鎌倉街道中道を歩く4 
       (二子玉川~千駄ヶ谷)
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 二子玉川駅-上野毛-等々力-中根-五本木-山手通-代官山-渋谷-原宿-千駄ヶ谷          14.6 km

 1 鶴岡八幡宮~東戸塚  2 東戸塚~中山駅  3 中山駅~二子玉川  4 二子玉川~千駄ヶ谷駅  5 千駄ヶ谷駅~川口駅

2014年5月25日  ※ 写真をクリックすると拡大します
■二子玉川~玉川高校前
  いよいよ鎌倉街道中道も多摩川を越えて都内へと入って来た。二子玉川から当面のゴールである岩渕から川口に至るコースには2つある。
 東コース 二子玉川-上野毛-碑文谷-渋谷-新宿-早稲田-雑司ヶ谷-十条-赤羽-岩渕-川口
 西コース 二子玉川-用賀-世田谷城-豪徳寺-笹塚-江古田-千川通り-赤羽台-岩渕-川口
 どちらが古いのかよくわからないが、今回は東コースをたどることにした。但し都内の旧道は多くが消滅してしまった所が多い。
 中道は二子で多摩川を渡るが、渡河地点は二子橋の北側であったろうといわれているので、現在の●兵庫島のあたりから始めた。
 名前の由来は南北朝の昔、新田義貞の子新田義興は矢口の渡しでだまし討ちにあった。家臣の由良兵庫助は舟の舶先に立ち、自ら首を切って川中に落ちて果てたという。その死体が逆流し、ここに流れ着いたからその名がついたといわれている。
 二子玉川園駅に戻って、「ライズ」の北側の通りを右折して進む。●バーズモール北側●駒沢通りに入ると街路樹が多くなって気持ちの良い通りになった。玉川高校前交差点を左折する。    9:50

■玉川高校前~谷沢川
 ●稲荷坂を上って行く。かなりの切り通し坂なので、昔はもっと急坂であっただろう。右手は「上野毛自然公園」になって、緑が深い。 左手に●稲荷神社がある。右側で人が集まり、なにやら祝詞が上げられている。上り切った所が環状8号の広い通りで、それを渡ると上野毛の駅である。駅舎の下をくぐり抜け進むと下り坂になり、●谷沢川を渡った。谷沢川の下流は有名な等々力渓谷になるが、このあたりは都会の川らしく、護岸でぎゅうぎゅうにされてしまった感じ。  10:10

■谷沢川~玉川警察署交差点
 左手に●天祖神社。祭神は天照大神・倉稲魂神で、このあたりの鎮守。明治時代に天祖神社に改称している。結構緑の深い由緒ありそうな神社である。真っ直ぐ進んで●玉川警察署交差点に来る。左手角に●明治の建築の様な古い建物がある。何かの店であろうけど日曜日で営業していなくて、何の店だかわからず。交差点を右に10分も歩くと等々力渓谷があるので寄ってみた。  10:20

★等々力渓谷
 右折して行くと大井町線の等々力駅があり、踏切を越える。スーパーの所を右に入り、ゴルフ橋のたもとの階段を下りていくと●等々力渓谷の遊歩道に出られる。やはり自然の渓谷とはいかず、かなりな護岸工事の手が加えられている。しかし夏は涼しく、秋は紅葉と23区内ではかなり珍しい渓谷美が残っていると言えようかと思う。
 護岸の道をずーと行くと、「不動滝」という2つの竜の口から滝が落ちており。この滝は涸れることがないと云われている。滝の横の石段を上ると●等々力不動に出る。このあたりは古墳など史跡が結構存在しており、不動の道の向側には「御岳山古墳」という円墳がある。 環8通りを行って野毛公園の中にある●野毛大塚古墳へも寄ってみた。全長82m、後円部の高さ10mの帆立貝式前方後円墳で、5世紀前半の築造といわれる。   11:20

 ■玉川警察署~中根交差点
 さて玉川警察署交差点に戻って先に進む。 しばらくすると広い道の目黒通りに合流する。その合流点の真ん中に●庚申塔や道標を兼ねた地蔵などが祀られている。
 やがて目黒区に入る。目黒通りは台地の縁を通っているようで、左側は●呑川に向かってかなりの坂道になっているのがわかる。●中根交差点に到着。目黒通りの旧道はこの先、左斜めに下り、八雲小学校の南側を通る弓形の道を通って又目黒通りへ合流していたようである。鎌倉街道はこの旧道ではなく、交差点から右斜めに入り、中根1丁目を弓状に通過して都立大学駅を越して駅前の目黒通りの北上するという説もある(芳賀善次郎本)。    11:50

 ■中根交差点~葦毛塚
 都立大学駅前を通り過ぎ、本田病院脇から左手に入る。●「目黒区緑の散歩道・呑川、柿の木坂コース」と呼ばれている。道路の真ん中が遊歩道になっている。500mも進んでから右折すると環状7号線に出る。
 横断してすぐ●左斜めの細いほぼ真っ直ぐな道に入る。ここも鎌倉街道定石通りの境界線で、左側は世田谷区下馬6丁目、右側は目黒区碑文谷6丁目。右側にテニスコート、奥には「碑文谷公園」が広がっている。駒沢通を過ぎると、今度は下馬と目黒区五本木の境界を通ることになる。 更に進んでいくと道の真ん中に大きな木と石碑が立っているのが見えて来た。●葦毛塚と呼んでいる。源頼朝が葦毛の馬に乗ってこの地を通った時、馬が何かに驚いて沢に落ちて死んだという伝説がある。このあたりは古くからの馬の放牧地であり、上馬、下馬、駒沢など馬に関した地名が多いという。   12:50

 ■葦毛塚~寿福寺前
 街道は●蛇崩川に架かる橋を越えてすぐ右折して行くのだが、蛇崩川が暗渠になり遊歩道になっているので、そこを左へ行って、駒繋神社へ寄り道した。蛇崩川の名前は大昔大蛇が出て土地が大崩れしたということに由来する。5分程歩くと緑がこんもりとして●駒繋神社がある。台地の突端に建っており、前九年の役の時、源義家が父頼義と共に武運を祈ったと伝えられ、頼朝も奥州征伐に向かう途中ここに立ち寄り、義家の故事を思い、葦毛の馬を繋いで参拝したという伝承が残る。境内に三代目駒繋の松というのがある。
 元の橋の所に戻り、先に進むと「野沢通り」に合流する。合流する角の左手に●道標を兼ねた庚申供養塔がある。野沢通りに入り蛇崩交差点を左斜めに進み、●半兵衛坂を上る。清水半兵衛を名乗る旧家があった為に呼ぶようになった坂であるという標柱が立っていた。13:30

■寿福寺前~山手通
゜左手に寿福寺がある。その先ゴルフ練習場の角を斜めに入って行く道がある。その入口角に●庚申塔と地蔵の石仏が立っている。「宿山の庚申塔」と呼ばれる。元禄5年(1692)から宝永5年(1708)までの造立になる。
 その先の旧道は狭いが緩やかな下り坂で●小川坂という。下りきると●山手通りに出た。そのまま横断して行く。  13:50

■山手通~代官山交番
 ●目黒川を渡り、突き当たったら右折して、左斜めに上って行く●目切り坂を上る。樹木が茂る狭いが歩道が申し訳程度にある。目切り坂とは江戸時代に石臼のすじの目切りをする石工が坂近くに住んでいたことから名付けられたという。上り切った所に昔富士塚があったといわれる。現在ではマンションが建ち並んでとても富士山が見られるというわけにはいかない。マンションの脇に●道標を兼ねた地蔵がある(文政元年(1818))の造立で、台座正面に、「右大山道 南無阿弥陀仏 左祐天寺道」と刻まれる。向い側に重要文化財の旧朝倉家住宅がある。  13:57

■代官山交番~ 金王八幡宮
 旧山手通を左に少し行った、ヒルサイドテラスの敷地に猿楽の地名の由来になった●猿楽塚がある。源頼朝がこの地で猿楽を催した後、その用具を埋めたので名付けられたというが、6~7世紀の円墳である。ここにはその円墳が2基ありそのうちの高さ5mほどの大型墳を猿楽塚と呼称してきた。2基の古墳の間を初期の鎌倉道が通り目黒川へと下っていたというので、目切り坂の途中からここへ曲って来たことになるのだろう。
 交番の所の歩道橋を越えて北上すると、左手は猿楽町。右手は代官山町である。●代官山の通りから渋谷川へ向かって緩やかに下り青山通りに突き当たるまでが鎌倉街道の名残の道であるという。
 並木橋の交差点を渡るとすぐ金王八幡神社の参道があり、左へ折れると奥に●金王八幡神社がある。ここは渋谷氏の居館跡といわれ、渋谷氏の祖、河崎基家が寛治6年(1092)に創建したという。金王とは基家の嫡男重家には子がなく夫婦で当八幡宮に祈願を続けていると、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る霊夢をみて立派な男子を授かった。そこで、その子に明王の上下2文字を戴き「金王丸」と名付けたという。 また境内には渋谷城砦の石が保存されている。  14:35

 ■ 金王八幡宮~原宿団地北
 もとの道に戻り右側の青山学院などを見ながら青山通りに出る。正面に見えるビルは●国連大学。この先は区画整理や道路整備で古い道は全く残っていない。旧道は青山通りから表参道まで斜めに向かっていたようである。ここから青山通りを表参道まで歩くが旧道は消えているので適当に進むことにした。
 国連大学の脇とか、紀ノ國屋の裏とか大体表参道まで斜めに進むような感じで行って、表参道の●原二本通りへ入って行く。突き当たって左折、すぐ右折して●真っ直ぐな通りへ入る、旧道はここに続くわけだ。まだ案外と人通りが多い。  15:00

 ■原宿団地北~勢揃い坂
 ●原宿団地北交差点に来た。ここまで来ると人通りもガクっと少なくなった、ここを左斜めに入る。右手に●熊野神社がある。その先左手にに龍巌禅寺があり、その前の下り坂を●勢揃い坂という。源義家が奥州へ向かう途中、この地で軍勢の勢揃いをした所だという。このあたりは軍事上の意味ある場所であったかもしれない。  15:15

 ■勢揃い坂~千駄ヶ谷駅
 その坂を下りると都営団地で行き止まり、旧道は消滅する。北側は国立競技場などがある明治神宮外苑で、2020年の東京オリンピックまでには大きく変貌を遂げるであろうと思う。
 行き止まりを左へ湾曲して行き、外苑西通りに出る。ここには以前渋谷川が流れ橋があったといい、今は暗渠になってその上が広い道になっている。北上して250mも進むと●鳩の森神社に出た。『江戸名所図会』によると大昔、此の地ではめでたいことが度々起こり、貞観2年(860)、慈覚大師(円仁)が村民の願いにより、石清水八幡宮の故事にのっとり、神功皇后・応神天皇の御尊像を作り、八幡宮として祀ったの起源と伝えられている。境内には寛政元年(1789)に築造された●富士塚が残っている。旧道は神社の前のわずかの通りしか残っていないと云われ、先の勢揃い坂から外苑内に入り、渋谷川を渡って神社をかすめて北上して行ったようである。次回は●千駄ヶ谷駅から、新宿御苑を突っ切って進むことになる。今日はきりが良いので千駄ヶ谷駅から帰宅した。
 15:40

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