![]() |
高野街道不動坂口道を歩く 1 (河内長野~橋本まで |
歩行地図はこちら 地図 |
河内長野-三日市町-石仏-出会の辻-紀見峠-慶賀野-御幸辻-小原田-橋本 18.7(全体35.2)km |
高野街道不動坂口道 京、大阪から東高野、下高野、中高野、西高野街道の各コースを通って来た高野山参詣道は河内長野ですべて合流し、一本の高野街道となります。一本となった高野街道は、三日市から紀見峠の峠を越え、橋本を経て「高野女人堂」に向かいます。不動坂口道は橋本で紀ノ川を渡り、学文路、苅萱堂、神谷、極楽橋を経て女人堂までですが、奥の院を目指します。 ルートは 「歴史の道調査報告書 高野街道」(大阪府教育委員会) 「大阪ウオーキングマップ 東高野街道」(大阪府都市整備部) 「西高野街道の里道標石をたずねて」(橋本市観光協会)によります。 |
東高野街道 | 西高野街道 | |
高野不動坂口道 1 橋本まで | 高野不動坂口道 2 金剛峯寺まで | 高野不動坂口道 3 奥の院まで |
![]() ![]() ![]() |
■三日市町~高野橋 古い町並みを進んで行くと、●八木家住宅があります。かっては木綿問屋、その後造り酒屋を営む。木造の平屋建で、町屋の伝統的な外観を留めている。 やがて左へカーブして行き、「三日市町駅」を越え、現代の「高野街道」の●常夜燈が立つ細い街道が続き、石見川の手前に●八里石が立っている。 10:00 |
![]() ![]() ![]() |
■石仏~千早口 集落の終るあたりは急坂になっていて、国道に出る。この先旧道が全く無くなっていて、旧道は国道下まで急坂を下り、再び国道へ向って上がり坂になっていたという。 石仏南交差点からまた●国道を歩きますが、、歩道の整備されていない区間が多く、又通行量も多く、非常な危険を感じた。 大阪ウオーキングマップでは国道の下を通る道をお薦めといっているが、それだと7里石を通過してしまうので、我慢して国道を通ることにした。 国道を1500m程歩いたら、左国道下にある●天見簡易郵便局の角から左折して集落に入ります。天見川を渡って、右へカーブして、最初の辻を「御所の辻」という。角に●御堂があって高さ190cmの大きな地蔵尊が祀られている。昔この辻で火事があって、一体が焼け野原となっても、この地蔵だけが焼けなかったという。また地蔵の前の線香立てには、菊と桐の紋様と、「御堂」という文字が刻まれている。 11:10 |
![]() ![]() ![]() ![]() |
■出会の辻~紀見峠 やがて「紀見峠トンネル」の手前の●旧国道の分岐点に到着した。左奥にトンネルが口を開けている。南海線も、車もトンネルに入っていくが、旧道は全くトンネルの為消滅してしまっている。なんでも旧道は天見川に沿って、谷の一番低い所から、紀見峠まで一直線に上がっていったという。旧道は80cm程で残っているらしいが、草木が生茂って進むことは困難というので、安全に旧国道を進むことにした。トンネルができる以前の●旧国道をたどって行きます。 軽自動車が1台下りてきた。舗装路を右に左へと行くと、●紀見峠頂上へ着いた。 ここは大阪と和歌山の県境にあたります。峠の名前は「よく紀の国を見える」ということから、由来している。紀伊藩が慶安元年(1648)に伝馬所をもうけてから、大坂屋、虎屋といった旅籠や茶店が軒を連ねて、1日に300人もの旅人が宿泊させていたという。しかし、大正4年、南海高野線が開通すると宿場の役割を終えるようになっていった。 頂上では●道は二手に分れ、左手を登って行く道が旧道として残っている。 12:45 |
![]() ![]() ![]() |
■沓掛~慶賀野 371を真っすぐに下って、●慶賀野交差点で左折して旧街道に入ります。入口の左手に●不動堂がある。お堂の中には不動明王と、きれいな金色の観音像が祀られている。古い石垣などが旧道の面影を残しているが、高台で展望が素晴らしい。。国道に沿って●大規模なマンションが建って、開発が激しい。 13:45 |
![]() ![]() |
■御幸辻~小原田 このあたりも高台で、ここから見えるのは●橋本市ニュータウン、しらさぎ台の新興住宅地など、橋本駅までもう3kmもない。 途中右手に●牛頭天王社がある。坂を下りて一旦国道へ出ます。 14:40 |
![]() ![]() ![]() |
国道がせまく歩道もないので、●「辻原橋バス停」の先の信号で左に折れてみた。信号右手に常夜燈が立っている。国道東側の●集落を進んだ。ここも細い道で結構味わいのある建物が並んでいる。 ●京奈和道路の高架の手前で左の旧国道へ入ります。国道に比べて急に交通量が少なくなった。 15:12 |
![]() |
![]() |
高野街道TOP | 不動道 2 | 不動道 3 |