東高野街道 | 西高野街道 | |
高野不動道坂口道 1 橋本まで | 高野不動坂口道 2 金剛峯寺まで | 高野不動坂口道 3 奥の院まで |
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■壇上伽藍~金剛峯寺 ●伽藍入り口から東塔東側付近までのびる小道は両側を植木で凹凸をつけているところから●「蛇腹路」と呼ばれ、空海が竹ぼうきで蛇を払ったという伝承が残る。 壇上伽藍を出ると、すぐ左手が●金剛峯寺正門となる。 |
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■不動堂~一の橋 元の境内に戻って、右手にあるのが●刈萱堂 苅萱道心と石道丸の話は、学文路にある、「仁徳寺・刈萱堂」の話と同じであるが、こちらは苅萱道心が出家し、実の子である石道丸とともに父子を名乗ることなく仏道修行に明けくれたと伝えられています。 堂内に●道心と石童丸の物語の額が掲げられています。 刈萱堂をすぎると●一の橋があり、奥の院入口となる。 |
奥の院にある墓所、供養塔 |
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豊臣家墓所 | 阪神・淡路大震災 物故者慰霊塔 |
しろあり供養塔 | 新明和工業(株)慰霊碑 |
墓所、供養塔というが? 武田信玄、勝頼墓所と案内板の題字には書いてあるが、説明の方では供養塔と書かれている。信玄の菩提寺は山梨県の恵林寺であり、勝頼は天目山で自害後、景徳院に墓がある。信長にいたっては骨が発見されていないわけだし、各大名は地元に墓所があるだろうと思うし、どういう性格のものだろうと考えた。 案内書でもらった「高野山MAP」ではほとんど「・・・・・供養塔」となっている。思うに本当の墓所ならば、分骨がされているのだろうし、有名人のは供養塔が多いのだろう。「しろあり供養塔」などという変ったものもあり、コーヒーカップ型や、ロケットが立っている各会社の宣伝みたいなのもある。沢山ありすぎて、いささかやり過ぎという感じがします |
![]() 御廟からロケット形の墓石など眺め、●奥の院墓所入口まで来て、バスにて高野入口駅まで戻り、これで岩清水八幡宮から始った高野街道の旅を一応の終りにしたい。東、西高野街道から奥の院まで120km程でした。いずれ慈尊院からの町石道も登ってきたいものと思います。 |
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