![]() |
下妻街道を歩く 1 (千住~吉川駅) |
歩行地図はこちら 地図 |
北千住-荒川土手-綾瀬川-大原-中川堤通-鶴ヶ曽根-八条橋-女体神社-旧千疋村-吉川 19.8km |
下妻街道 中川の自然堤防上に築かれた古道である。その起源は平安時代の「奥州古道」 にさかのぼるといわれ、前九年の役(1051~)、後三年の役(1083~)の際安部時頼の討伐に向かう源頼義、義家らの軍勢が通ったという。 その後、近世に入ると、日光道中と水戸街道の中間に位置し、茨城県下妻方面への街道として大いに利用された。 千住宿で水戸街道と日光街道とに分かれ、吉川、水海道、下妻、を経由。さらに北上して喜連川宿で奥州街道と合流する。 約150km 但し下妻道は流山から下妻へ向かう道など地方により色々呼ばれて場合もある。 参考図書は少ないが 「足立区史」、「吉川市史」、「新編武蔵風土記稿」 外に色々なhpを参照しました。 |
![]() |
![]() ![]() ![]() |
■桁川~大曽根 首都高速の下、●浮塚交差点を左へ折れて行く。 八潮市へ入った。ここからは(八潮の古道)という資料が参考になる。左へ折れないで直進し、六ツ木で中川へ至り、潮止橋から三郷市、流山市を経て下妻へ至る道も下妻街道と呼んだようである。(足立区史)。古道としての下妻街道はここを左折する。 綾瀬川に沿って行くと左手に●氷川神社がある。江戸期には浮塚村の鎮守社であったようで、明治4年村社に列格、明治42年字砂取耕地の稲荷社を合祀したという。●バス道を大きく右回りの円弧状に進んで行く。このあたりは工業地帯で、物流、建設会社などが様々建つ。あまり食堂、レストランの類が見当たらない。お昼はコンビニのおにぎりになりそうな感じ。 11:25 |
![]() ![]() ![]() |
■八潮排水機場~八条橋 排水機場の敷地の北側に●庚申塔など4基立っている。左から2番目の庚申塔は道標を兼ね、左側面に「江戸道」、右側面に「野道」と刻まれている。思うに下妻街道沿いからここへ移されたものだろうと思う。 その先に豪壮な蔵と屋敷が建っていて●市指定文化財太田家住宅という。 門の前の案内板によると、太田家住宅は下妻道と成田道と八條の渡しの交差部に位置し河川問屋などを営んでいた。建物は寄せ棟造り瓦ぶき、町家建築で、旅籠の形式も残した貴重な建築である。中川河川改修でここに移されている。 東京自動車外環道の下を行くと左手に●大経寺がある。 等誉暁翁上人が天正14年(1586)に開山と伝えられ本尊は阿弥陀如来座像。円空上人が彫った木造千手観音立像が観音堂に安置されているといわれるが、秘仏で拝観出来ない。ネットで見ると円空らしい雰囲気を感じるが、千手観音とは珍しいと思う。 13:54 |
![]() ![]() ![]() ![]() |
■女体神社~東漸院 女体神社の先を●右に河原の方へ入って行くのが旧道だが、河川改修工事で通行禁止である。ここあたりは草加八景の「音店河岸と下妻街道」という風景で、音店河岸は古利根川(中川)への落とし(排水路)を利用した河岸。明治の後半まで栄え、渡し舟なども発着していたが、河川改修による水位の低下で廃止されたという。昔を偲ばせる石組みが今も残るというが、工事川岸まで行くことができない。 河原へ下りる所に●下妻街道の石碑がある。工事中の臨時通路で河原へ下りることができるので、250mも進むと排水路で行き止まりになった。土手上へ上がり、更に進むと左手に「東漸院」がある。開基は室町時代の1500年頃といわれ、市内最古の寺院である。山門前に●万治板碑型六地蔵というのが立っている。板碑型の碑面に6体の地蔵を刻んである例は他になく貴重な資料となっている。また●山門は屋根が表裏に大きく伸びて、特異な形をしていると思ったが、普通の四脚門で、屋根だけ銅板で改修されて、あまり調和が取れていないように思える。 街道を進むと越谷市に入った。 15:08 |
![]() |
![]() |
2 吉川駅~利根川(小山の渡し) |