下妻街道を歩く 6
       (益子~喜連川)
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 益子駅-七井台西-芳賀町-来迎寺-大塚台古墳-柳町-台新田-JR鳥山線-古白井-葛城-連城橋   32.10km 


2016年5月8日  ※ 写真をクリックすると拡大します
■塙交差点~星宮神社
 8時52分益子駅到着。今日は喜連川まで距離が長いので直ちに前回終了した●塙交差点へ向かい、9時10分頃着いた。GPSの電源を入れ、角にコンビニがあったので水を買っておく。この先田舎道を通り、食堂、自動販売機もないことが予想されるのでここで買っておくことが必要かと思う。食料だけは朝電車に乗る前に買っておいた。
 ●県道255号を行く。左手明林寺門前に●大きな二十三夜l供養塔がある。塙北交差点を過ぎ、その先左手にこのあたりに結構目に付くが、●立派な長屋門を備えた旧家があった。    9:10~9:40

星宮神社~七井台西
 不動院、関空院と過ぎて行くと、●星宮神社がある。由来などわからないが、結構趣のある参道を行くと、●馬頭観音や二十三夜供養塔など4基の石仏があった。栃木県に多く見られる星の宮神社は日光修験と関係があり、祭神は仏教に関係のある磐裂根裂の神という。このあたりには星野宮、とか星之宮とか同じような名前の付く神社があちこちにある。参道の奥の●社殿は静かにたたずみ、奥ゆかしさが感じられた。 県道163を越し、国道123号の●七井台町西交差点を過ぎる。    10:15

■七井台西~市貝町境
 七井台西交差点を越えると、途端に道は細くなった。そのまま北上を続けていく。●木立が道を覆うようになり気持ちよく歩ける。●両側は畑でビニールハウスが点在しており、県道はその中を1本貫いている感じ。やがて●市貝町との境を過ぎる。  10:35

■市貝町境~二子塚古墳
 市貝町の区域はこの辺では狭く10分程で●芳賀町の境に着く。写真に写っている犬がこちらに向かって吠えかかってきたが、こちらも大声で応戦したら、しっぽ巻いて逃げていった。
 芳賀町は祖母井町、南高根沢村等の合併により生まれた町なのだが、芳賀禅可の乱で有名な芳賀氏一族のゆかりの地であろうか。芳賀氏は栃木県芳賀郡から起こり下野宇都宮氏の重臣であった。活動の中心は真岡らしいが・・・・・・
 左手はグランドになり、●街路樹がいい具合に昔の街道を彷彿するような感じで気持ちが良い。やがて●二子塚古墳の標識が現れ、矢印に従い左折すると、右手奥に●二子塚稲荷神社が建っている。神社は前方後円墳の墳頂に建っており、古墳は全長34m、墳髙は3m程度で極小さいものである。   11:10

 ■二子塚古墳~来迎寺
  神社を過ぎると左手に●真っ黒いビニールハウスに出くわした。こんなの見るの初めてで、何を作っているのだろう。暗くするわけだからホワイトアスパラかキノコ関係かなと・・・とか思うのだけど。
 2本の県道69号を過ぎると、右手は「栃木県畜産試験場」がある。左手の総合運動公園でトイレ休憩と・・・・。南郷の交差点を越えて更に北上。左手に●大谷石の大きな基壇が見え、●大黒天と二十三夜塔が祀られている。町道立街道拡張の為大黒天を移設し、二十三夜塔と共に合祀す・・という記念碑が脇にある。 その先が●来迎寺。時宗の寺で芳賀秩父観音2番札所という。    12:15

 ■来迎寺~八雲神社
 山門の前には●二十三夜塔群がある。●奥の大きい塔は道標を兼ねており、「右からす山道、左喜連川」と彫られているそうだ。八雲神社前のY字路分岐点にあったもの。また山門は長命寺(廃寺)の山門を来迎寺の山門として移築したもので、長命門としている。
 その先左手は崇真寺。門前に●追分地蔵尊というのがあって、台座に「右 文谷 大谷つ 左 森田 からす山」と刻まれている。  その先、追分になり、正面は●八雲神社。先ほどの来迎寺の道標はこの前にあったものらしい。大同2年高尾神社の分霊を勧請したもの。   12:22

 ■八雲神社~県道64号
  八雲神社の前で県道は右に折れて行き、左が●旧道で立街道とよばれている。しばらく畑の中の1本道という感じで進み、やがて●果気持ちの良い林の中を歩くようになった。左手に琴平山古墳という案内板が現れ、見に行こうかと思ったが山の灌木の中に道が消え、倒木もあるという感じなので止めにしておいた。  その500m位先に●史跡  大塚台古墳という標柱が半分草に埋もれて立っている。こちらは歴史がありそうなので見に行くかと思い、●ヤブの中を突っ込んでみた。ヤブ漕ぎして30m位先に進んだが、とげのある枝もあり、とても進めるものでなく、あえなく撤退・・・・という次第。 ●県道64号へ出たが、真っ直ぐ進む。13:15

■県道64号~
 県道を越すと、●立街道の案内板があった。 坂道を上り、高台を進む。左手は●八ツ木の丘ガーデンシティという住宅地が広がっている。結構不便な所と思うので、売れるのかなと思ったら第一弾は完売して第二弾売り出し中ということらしい。
 ガーデンシティが途切れた先に、●銭蒔塚古墳群の説明板があった。喜連川丘陵上の古墳群で円墳6基で構成される。主墳は直径60m、高さ9mというが、樹木が並んでどこがどれだがさっぱりわからず、辺りの写真を撮るだけで終わった。昔源義家が奥州征討の折り、この塚に上がって士気をを鼓舞するため銭を蒔いたという伝説由来するそうだ。
 その後上り坂を上がると、●気持ちの良い丘陵の尾根上を歩くようになった。  13:35

  ~県道176号
 右手の丘陵に広がる牧場は●「酪農とちぎふれあい牧場」。ここを過ぎる辺りから急坂を下って行くと、右手に牛達が寝そべっている●牛舎がが見えた。最初、牛がピクリとも動かないので なにかモニュメントのような感じがした。そのうちある1頭の牛が尾を振ったので生身の牛とわかった。坂を下りて●県道176へ出たら正面の坂を上がって行く。   14:00

 ■県道176号~柳町
 県道176号線を横切ると那須烏山市と高根沢町との境にあたる。そこに●西山辰街道の大桜がある。推定樹齢350年。八幡太郎義家が奥州征伐のためこの道を通り、そのとき持っていた桜の鞭を挿したのが根づいたものと伝えられている。
 道なり450m程進み●左に折れ、山村といった感じの道を進むと、こちらは●真っ黒な和牛の牛舎があった。お互いにジーっとにらみ合いながら、親しみを持ちながらジ-っという感じで通り過ぎた。大きめのT字路に来たら、その手前を●Uーターンするように左へ進みます。   14:30

 ■柳町~台新田
 右手に●溜め池がある。釣り人が数人釣り糸を垂れている。さらに進むとゆるい上り坂になり、車道に出た。250m先左手に日蓮宗妙顕寺がある。 その先には●妙福寺がある。ここも日蓮宗。この寺は日蓮聖人が眉間に刀傷を負い、治療のため那須温泉に創建された。その後この地へ移転したという歴史を持つ。
 その先は●曹洞宗量山寺。ここには三州(愛知県)豊川稲荷(仏教系稲荷)の分霊を祀っているというので、門前右手に狛狐が安置されている。 その先左手の庚申塔を見て進むと●三神社がある。明治3年、付近の熊野神社・星の宮神社・山の神神社の三神社を合併して、現在の境内に鎮座。以来三神社と称する。  15:10

 ■台新田~JR鳥山線踏切
 東雲ゴルフクラブの西側を進むと●台新田古墳群の石柱と案内板が立っている。極小さいもので古墳と思われないのだが、古墳群ができたのは6~7世紀頃といわれ、辰街道の西側に4基が残っているとのこと。 高根沢町と那須烏山市との境界に沿って少々歩くと、●那須烏山市の境界を越えた。案内板の脇に●道標を兼ねた供養塔があるが、文字が摩滅してさっぱり読めず。・・・・ということでそのまま過ぎ、坂を下ると●JR烏山線第二喜連川踏切を渡った。ちょうど列車が通過して行ったところ。  15:40

 ■JR鳥山線踏切~小白井トンネル
 踏切を通過して、右に曲がり広い道を左折して、公民館を巻くように右へ曲がって、●鴻野山を登って行く。
やがて●史跡長者ヶ平の標識がある所へ来た。左へ1km行くと「史跡長者ヶ平」というのがあるようだ。時間がなさそうなのでパスせざるをえなかった。平成13年度からの発掘調査によって、政庁や正倉などが発見され古代の役所であることが明らかとなったという。 山を回り込み、小白井トンネル手前●塩谷地蔵堂の前を左折して又坂を上って行く。   16:20

 ■小白井トンネル~さくら市・葛城
  物見櫓のある小白井の集落を抜けると、●切り通しを回り込んで行く。このあたりは旧道とは思えないが、途中に小さな神社があった。 やがて●広々とした水田地帯へ出て、●さくら市の境界を抜けた。
 真っ直ぐ行くと●喜連川陣屋の遺構としての陣屋長屋門がここに移築されている。喜連川足利氏は石高こそ5000石であったが、古河公方の出自を受け継ぎ、江戸幕府はその格式を尊重して10万石の扱いをしたと云われる。   16:56

 ■葛城~連城橋・下妻街道ゴール
 旧道はその先「葛城大橋」までは水田の中をジグザグの通ることになるので、適当に歩いて●葛城大橋手前を左折して、●荒川土手の上を歩く。もっとも連城橋バス停の最終バスが5時30分。現在5時10分で歩いていては間に合いそうになく、このあたり小走りの連続。30km歩いて来た身にはこたえる。 やがて●連城橋へようやく到着した。  連城橋は狐川とも呼ばれた荒川にかかる橋で、江戸時代には木橋が架かっていた。この橋には面白い話が伝わっていて、・・・・・伊達藩の行列が橋まで来ると、橋の下で喜連川藩の殿様が釣り糸を垂れていたのだという。格式だけは上なので、頭の上の橋を黙って通るわけにはいかず、殿様が引き上げるまで待機していたという・・・・・・
 橋の袂に●下妻街道の道標が建てられている。「右江戸道 左下妻道」 と彫られています。 この道標をもって下妻街道のゴールとすることにします。
  千住から150km程あり、交通機関も不便で結構大変でした。 氏家までの最終バスで帰宅しました。   17:25

     5 下館~益子