少し先を右手へ上がった国道脇に●橘神社があります。三筆の一人であり、唐に留学したことのある橘逸勢の墓を祀った神社です。石段を上った中央に●小さな社殿があり隣に逸勢の墓が祀られている。橘逸勢は承和9年(842)、伴健岑らと共に謀反の罪で伊豆配流となり、配所に赴く途中、板築駅で病没した。そこで駅の近くのこの場所で葬られた。娘の妙仲が都より付き添い父の死後墓を守っていた。嘉祥3年(850)、父の罪が許されて帰葬したが、代わりに埋めたa銅鏡は江戸末期に盗難にあい、庄屋により発見されたが、大正末年再び紛失し、いまだに不明であるという。
宿場に戻り先に進むと、右手に●高札場跡が残り、石組みでできた土台が残っている。隣にと文化4年(1807)の秋葉燈籠がある。燈籠は鞘堂に納まる。その先左に入って行った所に本陣も残っている様だが、よくわからないのでそのまま過ぎた。
まもなく宿も終わりになり、●二股を右に上って行き国道に合流します。 12:55 |