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日光千人同心街道 八王子千人同心が日光東照宮火番勤務のために往来した街道で、 八王子市の千人町から日光東照宮まで の街道である。 佐野(天明宿)で例幣使道と合流し、楡木で壬生道、今市で日光本道と合流、その後東照宮へ向かった。街道としては八王子から佐野までの約90kmが該当する。街道名は千人同心街道の他に日光脇往還、日光火之番街道、 日光裏街道などとも呼ばれた。 宿場は天明まで以下の15宿が置かれた 1 拝島 2 根ヶ崎 3 二本木 4 扇町屋 5 根岸 6 高萩 7 坂戸 8 高坂 9 松山 10 吹上 11 忍 12 新郷 13 川俣 14 館林 15 天明(佐野市) 参考資料 「歴史の道調査報告書 第四集 日光脇往還」 埼玉県教育委員会 「千人同心日光街道 電子版 」 中山高安 その他 各ホームページ |
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宿内は普通のバス通りなのだが、北側には由緒ある寺社が集まっている。北条氏照の家臣石川土佐守により滝山城の鬼門よけとして大日堂が再建され、大日八坊と呼ばれる8つの寺院が建てられた。そのいくつかが現存している。 街道を東へちょっと行った左手にある●拝島大師の山門は素晴らしい。左手奥に入ると、拝島大師がある。大日八坊の一つで、元三大師が本尊である。正面に本堂があり、左に大師の池と●多宝塔がある。 左手の広場は大日堂の境内で、石段を上がると●大日堂がある。寺伝によると天暦6年(952)創建で、滝山城の鬼門除けとして現在地に移され、天正19年(1592)には徳川氏より朱印地十石を賜っている。左隣りに●日吉神社がある。大日堂の守護社として建立されたといわれいる。明治以降の神仏分離により独立して、社号も「山王大権現」から日吉神社に改められた。特に本殿は絢爛豪華に彩色されておりすばらしいもの。11:00 |
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■日光橋~新青梅街道 次の信号を左に曲がって●国道16号を進む。もうこの辺りから右側に長い塀が続き、横田基地が現れる。青梅街道や五日市街道を歩くと、いつも横田基地で分断され、迂回する羽目になる訳だが、この日光脇街道も同様に寸断され先に進めなくなる。旧道は●第五ゲート交差点辺りから横田基地の中に消えている。国道を進むわけなのだが、味気ないので左に曲がって線路脇を北上している「わらつけ道」というのを歩くことにしてみた。「わらつけ道」については面白い伝説がある。(福生市観光協会サイト http://www.fussakanko.jp/pa0121_17.html) 街道は普通の道で何にもなかった。 八高線「東福生駅」先で国道16号に合流し、先に進む。入国管理局分室隣に「ドンキホーテ 多摩瑞穂店」があって、トイレを借りようと入ったら、トイレは4階で、しかたなく上がって行ったら、4階はトイレと休憩所だけで、なんと●横田基地が見渡せるのであった。ご丁寧に望遠鏡まで設置してある。そこで写真を1枚ポチっと撮っておいた。基地を見る為に4階をトイレと休憩所だけにしてあるみたいで、結構な見学スポットて感じ。 ドンキから15分程歩くと●新青梅街道の交差点に着いた。交差点の名前が付いていない。 13:40 |
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■新青梅街道~青梅街道交差点 国道の向うに 加藤神社が見えるが、その後ろにある塚は●加藤塚という。天正10年(1582)、武田氏滅亡後、その家臣であった加藤影忠は妻子と数名の家来を連れて当地まで逃げてきたがこの地で果てた。その死を憐れんだ村民が塚を築き弔ったという。 交差点まで戻り300m程南下すると●●旧道復活地点に達する。横田基地の金網が続いていて、旧道は基地から続いて来て、この地点で復活している。この地点でV字型に反転して北に向かうのが旧道である。 北に向かうと「旧箱根ヶ崎宿の町並み」に入るが、宿場時代の面影は全く感じられない。ほどなく青梅街道との交差点に来る。その角にあるのが●漢方の會田という漢方薬店。明治5年創業という。 古商屋造りの建物がいかにも旧道らしくてすばらしい。 14:00
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■ 国道16号宮寺南~入間IC下 左に曲がって坂を上がって行く。左手に「入間市博物館 アリット」がある。 隣は狭山小学校。旧道はこの先で●武蔵工業団地の中に消えている。工業団地は●昔の陸軍狭山飛行場の跡地に立地していて、敷地が正方形に近い。そこでなるべく旧道に沿うように工業団地の中を進んで、団地の東北の角、●「サンクス」の駐車場脇」で旧道に復帰した。 15:50 |
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■入間IC下~扇町屋南 サンクス脇を東北方向へ進む。左手に●狭山開墾記念碑と刻まれた石碑が建てられている。入間ICの下をくぐって先に進むと●このあたり(小谷田)は特に見るべきものはない。やがて国道16号の「小谷田南」交差点で合流する。右側は「武蔵カントリーゴルフコース」で林になっている。国道に沿って進むと、左側に入間市消防署があり、●小谷田交差点には大規模な「ふれあい橋」という歩道橋が架かっている。ここは歩道橋を渡らないと危なくてしょうがない。 歩道橋を渡って北へ進むと●扇町屋南交差点は三つ叉になっており、ここは正面を進む。 16:20 |
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■扇町屋南~愛宕神社 最初の交差点は扇町屋五丁目。次は●扇町屋3丁目交差点で、このあたりに扇町屋上町の道標があるらしいというので、探してみたがわからなくて通過ぎた。後で調べたら、3丁目交差点手前で、左へ斜めに入ると扇町屋上町の道標があるということだった。 入間市のHPで確認 日光脇往還と青梅からきた青梅街道が扇町屋宿の上町で合流するが、この道標はこの合流点に立てられたものであるという。青梅街道が細すぎて、住宅の裏道同様でわからなかったのが原因と思う。 扇町屋3丁目交差点を過ぎたあたりから第4番目の宿場の「扇町屋宿」入って行くといわれている。ここも昔の雰囲気が感じられないが、その先右側に●旧家があって、この家が昔の風情を残しているくらいの感じ。 ずっと進んで「扇町屋中央」のバス停の所を右奥に入ると、●大きな石の鳥居がある。愛宕神社という。 16:40
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★愛宕神社 ●愛宕神社には南朝の忠臣新田義興が祀られていると伝えられている。摩川河口の「矢口の渡し」で謀殺された義興の首は入間御所で首実検されたのち当神社の社前に埋められたという。義興の従者13人の首は神社周辺に埋められたが、集めて境内に築かれたのが●十三塚である。 また境内には●初代首塚の松が保存されている。義興の首を埋めた目印に松と杉の枝を挿しておいたところ、根付いたのがこの松だという。残念ながら昭和34年の伊勢湾台風で枯死してしまったのだそうだ。 参道入り口の鳥居脇に●芭蕉句碑もある。 ひらひらと あぐる扇や 雲の峰 |
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■愛宕神社~黒須坂 街道に戻り先に進むと道はY字路となり、この●豊岡交差点で宿は終わりになるようだ。右手の角に享和2年(1802)建立の●扇町屋下町の道標が立っている。元々は街道沿いにあったもので、正面に「道祖神」、側面に「かわこへ入間川 道」、「まつ山 日こう 道」などと刻まれている。Y字路を左へ曲がり丸広百貨店横を進むと下り坂になるが、●黒須坂と呼ばれている。 さて時刻も17時を過ぎ、30km弱歩いて来たのでかなりくたびれた。ここで終わりとして「入間川市駅」から西武、JR武蔵野線経由で帰宅することにした。 17:15 |
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2 入間市駅~高坂駅 |