結城街道を歩く3 
      
笠間駅-岩瀬駅)
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 笠間駅-石井神社-稲田-西念寺-桜川市境-加茂部-桜川公園-岩瀬駅    15.54km
 


 2022年3月6日  * 写真をクリックすると拡大します
■笠間神社~体育館前
 結城街道3回目。9時過ぎ「笠間駅」に着き、笠間神社まで、20分程歩きます。 神社西側、●高橋町交差点から再開します。 国道355号を越え、県道1号へ入り、●涸沼川を渡る。 左手の水田に●笠間稲荷神社神饌田の標柱が立って、何であろうと調べたら、神事「御田植祭(おたうえさい)」という神事を行う田でした。女子高校生が「早乙女」になって、稲の苗を植え、収穫した米を神饌として神に捧げるのでしょう。 9:55

 ■体育館前~飯岡
 ●県道1号を西へ直進すると、国道355へぶつかり、右手角に●石井神社があります。祭神は「建葉槌命」といい、日本書紀に記載があり、常陸の国を平定した、経津主神・武甕槌命に従った武神で、織物の神、機織の神として信仰されるという。
 国道の交差点は真っ直ぐ進み、●すぐ先の分岐を右に入ります。 ここは円弧状になって、すぐ元の道に合流します。 国道に合流する手前に●笠間神社の大鳥居が立っています。 10:18

 ■飯岡~稲田
 ●国道の交差点は真っ直ぐ細道を進み、ここもまた円弧状の脇道で、中程右手奥に「熊野神社」があるところ、林の奥のようで、わからず通過しました。 国道に合流すると、すぐ右手に●お地蔵さんが一体祀られています。 「稲田地区」に入ると、「石切山脈→」という案内板が出てきて、「稲田」交差点脇に●「茨城百景 石切山脈」という石碑が立っています。 右手奥に、山が半分削られた●採石場が見えました。 稲田地区は、昔から「石の町」として栄えてきたということで、至る所に石材店があります。元々「稲田駅」は、明治30年、稲田石輸送用の貨物駅として開業したものとか。 ネットで見ると、採石場を巡るツアーもあるようです。
(https://www.ishikiri-sanmyaku.com/
  10:50

 ■稲田~稲田神社
 「稲田」交差点から少し、戻って、●左手に入って行くのが旧道で、●割と落ち着いた旧道らしい風情を感じます。 右手に●二三夜塔などの石碑があります。 ここはすぐ国道に合流してしまい、●国道に出たら真っ直ぐ、又脇道へ入ります。 11:10

 ★稲田神社
 右手の大きな石造の鳥居は●稲田神社の鳥居。くぐって参道を進み、石段を上がると●拝殿、●本殿が建っています。祭神は奇稲田姫(くしいなだひめ)命。 八岐大蛇と素盞嗚命との戦いで救われて、素盞嗚の妻になったという神話で有名でしょう。 創立の年代は不詳だが、新治国造によって創建されたといわれている。式内名神大社で旧県社で社格が高い。 "説明板 " (稲田神社)
   11:16

 ★稲田御坊(西念寺)
 国道に出ると、すぐ右に●西念寺(稲田御坊)入口の石橋が見えると、渡って、参道を進むと●茅葺きの山門が見えます。西念寺は浄土真宗別格本山。本尊は阿弥陀如来。 創建は鎌倉時代初期の建保2年(1214)。親鸞聖人が越後配流の罪が解かれた後、当時の領主稲田九郎頼重に招かれ、この地に草庵を設けたのが始まりと伝えられている。 親鸞はここを基点に関東、東北地方を布教に従事し、この地で「教行信証」を完成させたと云われる。 ●太鼓堂と本堂。 境内には"御葉つき銀杏 "(樹高35m、幹周約7.5m、茨城県指定天然記念物が葉を広げている。 "案内板 "  11:35

 ■西念寺~源慶院
 国道に戻り、●一つ先の信号を左に折れるのが旧道なので、曲がります。営業を停止したか、廃屋のような石材店の前に、石材がゴロゴロと打ち捨てられている。 ここも弓状の脇道で、すぐ国道に戻ります。 福原交差点で国道を斜めに横切って進むと、右手石段上に●関戸神社が鎮座。 祭神は奇稲田姫の両親の手摩乳命と脚摩乳命で御神体は自然石という。 "説明板 "  社殿は不審火で消失し、再建されて新しい。  その先に●長屋門と蔵を備える豪農屋敷が建っている。 12:06

 ■源慶院~福原駅
 右手奥に●曹洞宗・源慶院。一応現況だけ。 ●国道のガードをくぐる。 左手に●水戸線・福原駅。 無人駅で隣にトイレなどあり、休憩に便利。 旧道は線路向こうらしいが、このまま駅北側を進み、 右手に「常陸国・出雲大社」というのがあるので、行って見ました。 12:15 

 ■福原駅~桜川市境
 国道のガードをくぐって急な坂を上がっていくと、一帯が「常陸国・出雲大社」の境内になります。 小山を開いて創建したようで、本殿までの傾斜がきつい。 案内図   平成4年、島根県出雲大社よりご分霊をご鎮座という、なにやら新興宗教の風な感じがする。
  ●拝殿、本殿などは島根県出雲大社の様式をそのまま取り入れており、拝殿のしめ縄の巨大さは目を見張ります。
再び、線路北側を進むと、「 大増街道」というバス停がある。 大増街道とはどんな街道なのか?。ネット情報だけど・・石岡から日光へ向かう街道が宇都宮街道で、南方の加波山神社あたりに「大増」という地があり、そこが宿場だったという。 そうすると、その宇都宮街道の途中ということかももしれません。 その先の小山の麓に墓地があり、●明治37年の勝善神塔と「皇軍健勝 光明真言百万遍祈祷碑(?)という石碑がある。日露戦争の勝利祈願のものでしょう。 ●桃山バス停の所で国道50号にぶつかり、左側の脇道を下っていきます。 「桜川市」に入りました。 すぐにまた●国道に合流して、しばらく進みます。  13:15 

 ■市境~加茂部・旧羽黒宿
  ラーメン屋さんの手前で●旧道に入り、左手の「加茂部公民館」隣に●二三夜塔や光明真言供養塔など大きな石碑が置いてある。 供養塔には「寛政二庚戌天羽黒駅」と文字が刻まれており、この地が「羽黒宿駅」であったことがわかります。●羽黒宿の町並。さすがに両側には●大きな門を備えた、旧家が並んでいて、風格を感じさせる。 羽黒は「加茂部村」の異称で、「加茂部宿」ともいう。 北方にある「月山寺」が「羽黒の月山寺」と通称されていた為といわれます。水戸線南側の「鴨神社」と「月山寺」との参拝者で栄えました。 旧道は大きな道路に突き当たるので右折して、国道を渡りそのまま進みます。 13:31

  ■加茂部~桜川公園入口
 ●アパートの角、変形四差路を左折すると、●西小塙の町並に入ります。旧小塙村で、羽黒下町と通称された所になります。
 右手に●二所神社。 平貞盛の祈願所である、羽黒山頂に鎮座した羽黒神社と八幡宮(現の社殿)が明治に合併して二所神社となった。 羽黒神社には、平将門の乱に際し、平貞盛が将門追討の加護を祈願したという。 県指定文化財の木造狛犬を所有しているとのことだが、見られなかった。 しばらく進んだ桜川に架かる橋の右手に●「名勝櫻川の櫻碑」と馬頭観音碑が立っています。 何かと思ったら、 ここを右に行った「磯部桜川公園」の桜のことらしい。  14:20

 ★筑輪川近隣
 右手に曲がって、正面が「桜川公園」、●右手に稲荷大明神、左手に四ッ榎稲荷神社が見える。 左手の●四ッ榎稲荷神社の境内には榎の大木がそびえている。 ●稲荷橋から桜川に流れる筑輪川。その橋の袂に●勝善神塔と「従是雨引・・」という道標が埋もれている。道標は雨引観音への道標でしょう。 14:30

 ■桜川~熊野神社
 左手、開けた所へ出たら、筑波かのような山が見えたので「ピークレンズ」アプリで確認したら、●「燕山」という、加波山の北方にある701mの山でした。 国道を越して、水戸線線路に近づき、旧道は線路向こうのようなので、踏切を越して行くと、小さな●戸川稲荷神社がちょこんとあり、その前に●熊野神社の参道があります、入り口左に「西国、坂東、秩父 百観音供養塔」が立ち、
"「青柳の糸桜」 "  という記念碑も立っています。「青柳の糸桜」というのは「謡曲桜川」に登場する伝説のシダレザクラのことという。「青柳の糸桜」  内容はわかりません。 石段を上がって右に曲がると●拝殿。  14:58      

■熊野神社~岩瀬駅
 線路を渡り、●岩瀬の町を進むと、左手が●岩瀬駅。本日はここで打ち止めということに、しました.    15:20
 

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