結城街道を歩く5
       (玉戸駅-小山駅) 
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 玉戸駅-小川下川島-結城東-結城城跡-浦町-木町-小田林北-日光街道合流地-小山駅  14.01km
 


 2022年4月2日  * 写真をクリックすると拡大します
■玉戸駅~江連用水
 結城街道5回目。 早く終わりたいと、前回から1週間でやってきましした。 ●玉戸駅9時半前到着。前回終了した、●ローソン脇の交差点へ来ました。 西南方向へ向かって歩くと、●水戸線の踏切を越えます。 結城街道ではなく、水戸街道と書いてあります。踏切を越えると●江連用水が南北に流れています。 用水は江戸期に開設された鬼怒川と小貝川に挟まれた地域の灌漑用水として設けられたもので、南方の宗任神社裏手に「江連用水旧溝宮裏両樋」という分水施設があり、下妻街道を歩いた際、訪れています。
 10:02

 ■江連用水~小川下
 県道を越えると、右手に●馬頭観音や如意輪観音などの石仏が並び、その奥に●稲荷神社があります。そのすぐ先に●山倉神社というのがあって、ここはかなり形式の整った、きれいな神社で、単独の宗教法人として成立している。 "案内板 " 
 更に進むと●国道50号に最接近し、その手前を右へ入ります 10:18

 ■小川下~川島駅前
 右手奥に●熊野神社。 突き当たって左斜めに進み、右手に●地蔵を祀る小祠がある。地蔵は新しく、平成7年の再建のもの。 享保7年(1722)の地蔵は老化が甚だしく、川島駅前の延命寺に移されたという。 県道303に突き当たり、その左角に●天満宮があります。 県道を右に曲がると、水戸線川島駅で、手前に●延命寺が建っています。門前に巨木が聳え、徳川家から庇護されたという重要なであったらしい。 "案内板 " 。 境内の"しだれ桜 " は満開で素晴らしく、筑西市天然記念物に指定。 10:30

 ■川島駅前~遊湯館前
 旧道へ戻り、●鬼怒川へ真っ直ぐ進みます。 鬼怒川は渡船によって渡り、その●渡船場あたり。 左手に川島橋、新川島橋、右手に水戸線が通っています。 川島橋を迂回しなくてはいけないが、土手から上がれず、元の県道、天満宮まで戻って、「川島交差点」から、●川島橋を渡りました。 渡って、●旧道は「筑西遊湯館」という施設の南側なので、そこを通りました。 11:05 

 ■遊湯館前~結城東中学校 
 旧道右手に●豪勢な旧家が建つ。 国道50号に合流、この先で結城市に入り、● 田川が流れます。東結城駅前を通過し、「続橋」信号を右に曲がり、●「第一水戸街道踏切」を渡ります。右手に見える、時計台の付いた、変わった形の校舎は●結城東中学校で、昭和62年の開校、校舎は市内に残る蔵を参考に設計されて,外観が蔵造り風となっている。 11:36

 ■結城東中学校~御影堂
 ●結城市街に入ってきました。 線路の向こう側に建つ寺は●人手観音堂。本尊は人手観音立像。"案内板 " 街道に戻って、左手角に●結城政勝御影堂がある。 お堂の中に● 結城家代16代、結城政勝木像が祀られている。お堂と木造は火災により焼失して、明治時代に再建されたものという。 11:51

 ■御影堂~結城小前
 街道は西北方向へ曲がっていき、左手●阿弥陀寺。時宗二祖他阿真教上人が開山した寺院。その先左手角に●番匠町の薬師さんと地蔵尊というのがある。結城三大薬師のひとつであり,1706年に結城水野家の御典医根本道教が,薬師如来を安置したと言われ。根本薬師と呼ばれていたとのこと。中に地蔵と小さな金色色の薬師如来坐像が祀られている。 街道は●真っ直ぐ「浦町」へ延びるが、手前を右折して県道204へ。「結城城跡」へ寄り道します。 途中左手に●二三夜塔のある観音堂(?)が建っていました。
 12:25

 ■結城小前~城跡公園
 突き当りは「結城小学校で」、校庭前に●「明治天皇駐蹕之遺蹟」の碑が立って、ここは「結城行在所跡」になります。"案内板 " 明治40年の陸軍大演習の際、大本営が置かれた跡という。 小学校の白い塀に沿って進み、右に曲がると、突き当りが●結城城跡公園。 鎌倉時代、平家追討に功があった小山氏一族の小山(結城)朝光がこの地を拝領し城を築いた。 南北朝時代は南朝に属し、敗れて一時没落。再興後、徳川家康の二男秀康を養子に迎え入れたが、越前へ移封され、結城家支配は終わる。 元禄12年(1700)以降は水野家が1万8千石で入封し、明治まで続いている。幕末、新政府軍により落城し、廃城となった。 "案内板 " 現在は公園となり●内堀跡が少し残るくらい。 12:45

 ■城跡公園~浦町通
 旧道へ戻る途中、県道沿いに●玉日姫の墓というのがある。"説明板 " 親鸞聖人の最初の妻と称せられる人で、親鸞が京に戻った際にも、京に戻らす、この地で布教し亡くなったという。(京にとどまったという説もあり、京都に墓もある)。墓碑を綴った「島地黙雷」は明治時代の浄土真宗本願寺派の高僧。 旧道の「浦町」交差点まで戻り、●浦町通りを西へ進みます。 結城は結城街道、日光東街道が交わる交通の要衝で、鬼怒川舟運で栄え、見世蔵や町屋が数多く存在し、独特の風景を残します。 交差点角の土蔵造見世蔵は●鈴木新平商店。 通りに入って、左手●桜井長太郎商店。生鮮・乾物問屋を経て、現在はかんぴょうを扱う。 13:30

 ★浦町通界隈
 左手奥に●健田須賀神社。 竹田臣一族が祖神である武渟川別命(四道将軍)を祀ったのが始まりとさる「健田神社」と、結城氏が尾張国津島神社の分霊を勧請したのが始まりとされる「須賀神社」を明治に合祀したもの。元々須賀神社は鬼門除けの鎮守として歴代結城家から庇護され結城家第一の氏神となっていたという。 右手に●小西見世蔵。明治8年小西酒造から分家して、銅鉄を扱う。
 左手奥に●称名寺がある。 称名寺HP  結城家の菩提寺で初代朝光から4代時廣を祀る。境内に●朝光の墓がある。 13:45

 浦町通~木町交差点
 左手に江戸末期、慶応年間創業の●武勇酒造があり、突き当りで、左からくる●「日光東街道」と合流し、右折します。 右折した先、●木町交差点で日光東往還と分れ、左折して行く。 交差点左角に●毘沙門天があり、山門左右の常夜燈の台石が道標となっています。 "左の台石 「向 水戸海道」 " "右の台石) 「右 小山 左 さかい」"    13:55

 ■木町交差点~小田林北
 左折して、県道264を西に向かいます。すぐ右手に●結城酒造。 創業1594年と古い。 隣の●弘経寺の桜が満開でした。
しばらく歩いた、結城市五助という地名の所、左手奥に●五助稲荷神社があります。江戸時代までは鉄砲馬場跡と思われ,大正時代までは草競馬が存在したと伝えられるそうです。 その先●新国道4号バイパスをくぐり、「小山市」に入ります。 14:40

 ■小田林北~犬塚
 下を流れる●西仁連川。茨城県と栃木県との県境でもあります。 国道前方の●和談坂を上る。 脇に 「小山の伝説 和談坂」という "案内標柱 "が立っていて、小山秀綱と結城晴朝の和睦の地という説明がある。  「国史跡 中久喜城跡 ←」という案内があるので、左へ入っていくと、●中久喜城跡という "案内板 " が立っている。 小山市の祇園城と結城城の中間に位置し、両氏を結びつける重要な役割を果たしたと云われます。 すぐ先●右へ入る脇道があるので、通っておきました。 旧道ではないかもしれないが、途中に馬頭観音と二三夜塔がありました。 15:01

 ■犬塚~日光街道合流地点
 昭和電工を過ぎた、右手に●長屋門の旧家。 結城街道はさすが、大名の通る街道らしく、長屋門を備えた旧家が何軒もあったけど、これで最後の見納めという感じです。 その先●愛宕神社は参道が長すぎて、参拝する気が起きず、写真だけで失礼します。
 ●JR東北線、新幹線の陸橋をくぐり、国道4号手前、県道265の交差点が●日光街道との合流点です。 結城街道はここでゴールとなりました。 真っ直ぐ進んで、国道を越えると、小山氏の小山(祇園)城跡があります。 15:45

 ■日光街道合流地点~小山駅
 小山は●日光街道小山宿で、小山城の城下町でもあり、宿内の長さは南北約1.4km。北関東の交通の中心として発展した。●駅前は交通も激しく、もう昔の面影はありません。●小山駅から帰宅しました。 15:50

      4 岩瀬-玉戸