結城街道を歩く4
        (岩瀬駅-玉戸駅)
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 岩瀬駅-北関東自動車道-上野沼-久地楽-門井-横島-五行川-下館-菅谷-伊賛美-玉戸駅    18.73km
 


 2022年3月26日   * 写真をクリックすると拡大します
■岩瀬駅~水子地蔵
 9時半過ぎ、●岩瀬駅到着。結城街道4回目始めます。街道は駅前を横断していますが、その前に前回見そびれた●山王神社に寄ります。1630年頃創建されたと推定される。祭神は木花咲耶姫。境内に二三夜尊堂というのがある。
 駅前を過ぎて、先で左に曲がると、●日比谷稲荷神社というのがあるが、リサイクルのプラ箱が並べられている。その脇を線路に沿って行くと、●馬頭尊の石碑と地蔵。向こうに水子地蔵尊の小さな祠がある。 "水子地蔵 "はしゃがまないと拝めないくらい小さいもの。  10:15
 ■水子地蔵~北関東自動車道
 そのまま線路沿いに進み、適当な所で右折して、旧道へ戻ります。 岩瀬小学校の西隣に●鍬田神社がある。薄暗いの林の中にあって、本殿は覆屋でよくわからず、由緒書きもありません。 ●旧道を西へ進み、県道を越える。 国道50号へ出る手前に、●桜川が流れます。 国道に合流して●北関東自動車道をくぐりました。 10:37

 ■自動車道~星の宮公園
 「桜川筑西IC」の導入路先で脇道に入る必要があり、信号で渡っておいたが、導入路の所は真っ直ぐ渡れず、少し迂回してトンネルをくぐる必要がありました。 導入路の先で●旧道の脇道へ入ります。 コンビニの先で●県道216に変わり、ゆるい上り坂を上がります。上がると、右手高台が「星の宮公園」があって、ここは●鳥居左に「明治天皇岩瀬星ノ宮御野立所」標石が立って、●一帯が「天皇野立所」を記念して公園化されています。鳥居は隣の「星宮神社」のものでしょう。 11:05

 ■星の宮公園~丹宮稲荷神社
 隣に●星の宮神社が鎮座。 星宮神社    ●神社の前の旧道は、真っ直ぐで由緒ある風で、石塀の続く屋敷が並んでいる。右手に大きな●長屋門。 結城街道は長屋門があちこち見られ、それもかなりの規模のものがあります。 右手奥に●丹宮稲荷神社(右側)と八坂神社。丹宮は(たんご)と読むらしい。江戸時代の慶安の頃、笠間藩主・井上河内守正利の命により行われた、上野沼から高い土地を堀抜いて低い所へ用水を流す、「逆さ堀」の難工事の責任者の海老原丹後を祀るという。 11:16

 ■丹宮稲荷神社~延命観音堂
  その先右手に●明治天皇岩瀬中和泉行在所の標柱の立つ、「酒井家住宅」があります。明治32年の茨城県下に行われた機動演習の講評を行った所による。 "案内板 " その先右手に豪華な●長屋門が。 この通りには外にも2件ほど並んでいる。 突き当たると、正面に●延命観音堂があります。江戸時代、観音畠という処から移し祀られたという。左の●道標には、 「左 下館 結城」、「右 谷田貝 真岡」などと刻まれ、道標に従い左へ曲がります。 11:30

 ■延命観音堂~新治郡衙跡
 左手へ下っていくと、●上野沼が見えます。 江戸時代初期の慶安期に灌漑用として作られた人工沼で、レンタルの釣り用ボートや水鳥が泳ぎ回っていました。 ●国道50号に合流する。このあたり、パスタ店やラーメン店が立ち並び、結構賑やか。「エネオスGS」の手前を左折していくと、●上野原瓦窯跡という原っぱが広がる。このあたり一帯は、その昔 常陸国新治郡の中心地で「新治郡衙」が存在した所にあたり、新治郡衙跡、新治廃寺など遺跡が発見されている。ここは新治廃寺の瓦を焼いた跡になります。 "説明板 " "関連遺跡配置図 "  及び"瓦窯配置図 " 。 その先「筑西市」に入り、「←郡衙跡」の標識に従い、左へ入っていくと、●郡衙跡の標識が立っています。 "案内板 "   畑の真ん中に標柱が立っているだけで、外にはなんにもありませんでした。 12:45

 ■郡衙跡~久地楽
 郡衙跡の後方に●筑波山がくっきりと聳える。筑波山が見える所に郡衙が造られたのだと思います。 国道の反対側には●新治廃寺跡があります。 新治郡の大領であったと伝えられる「新治直」が郡の中心であるこの地に、郡役所と共に郡の寺院を建立したといわれる。"案内板 " 弘仁八年(817)に新治郡衙の火災と共に焼失したと考えられるという。"配置図 "
 国道右手に●久地楽神社があるが、寂れた感じで、由緒などは分からないず。 先の●弓状の農道が旧道らしいので、歩いておきました。 13:05

 ■久地楽~門井
 国道50号を進んで行く。 ●長屋門を備えた旧家や蔵を備えた旧家が特に右側に多く見られます。●「門井交差点」で国道から離れ、直進します。 左手奥に●門井神社。 詳細はわからないが、桜が満開で、本殿もこじんまりとした、簡潔な形をしている。
 道が右手曲がって行く先の、左手に●地蔵の小さな祠があった。 13:32

 ■門井~横塚西
 ●国道50号に合流する。 「門井南」を過ぎ、●コンビニの手前で左折するのが旧道で、左折します。 ●用水沿いの、歩道の広い道路で、車がほとんど通りません。 突き当りを右折すると、左手に「筑波山」がくっきりと見えます。 ●横塚西交差点で県道7号に合流します。 14:20

 ■横塚西~県道7号
 常盤橋の下を流れるのは●小貝川。 常磐橋からの先のルートは、「茨城県ウオーキング協会 歴史の道を歩こう 結城街道その4」記載の地図を見ると、・・常磐橋を渡って、すぐ右折して円弧状に通過し、県道に合流して横島交差点から左手へ入っている・・
 しかしここは、県道を進んで、●横島交差点から左へ入ることとし、「ドコモ」手前を右折して、道なりに進むと、●「大日本塗料」の裏手に来ました。その先●県道に合流するので、真っ直ぐ横断します。 14:40 

 ■県道7号~大橋
 県道を横断して●突き当りを左に曲がると、●一度県道脇に出るので、そこを右折。 突き当りを左、右していくと、●「釜屋菓子店」右手に出ます。 そこを左折すると●「五行川」に架かる大橋へ来ました。 14:47

 ■旧金井町
 ●大橋を渡る「旧金井町」で、この通りは「下妻街道」と共通なので、一度通りました。  現在の住所は「筑西市丙・・」というようで、全く変な地名です。 明治・大正時代に商業の街として栄えた町で、重厚な●店蔵造りの商屋が並びます。右手に●三峰神社があり、その隣に●薬師堂本堂がある。 ここ一帯は廃寺となった、大徳寺の境内の区域で、初代下館城主、水谷氏の創健になる。 奥へ行くと下館城跡がある。 下館は下妻街道が南北に交差し、鬼怒川水運にも近く、結城街道の宿駅にもなり、交通の要衝として発展した。城下町としては徳川頼重が5万石で一時封ぜられ、享保17年(1732)石川氏が2万石で定着している。 14:52

 ■旧金井町~アルテリオ前
 このあたり、「荒川家住宅」など蔵造りの商屋などが残り、興味は尽きないのだけど、下妻街道で一度通っていたりで、あまり寄り道しないで通ります。左手の重厚な建物は●旧中屋製菓。かりんとうなど作っていたらしいが、現在は不動産業。 県道を越して1つ目を右折して進むと、正面に●「立川本店」。和菓子屋さんです。 ここを左折すると、右手に●下館アルテリオ。中に下館美術館が入っています。 ●アルテリオ前交差点を右に曲がります。 15:01

 ■アルテリオ前~江戸坂
 右に曲がると、上がり坂になり、●「羽黒坂」という。江戸時代にはなく、大正時代に造られた。右手に●羽黒神社が鎮座している。文明13年(1481)、下館城城主水谷勝氏が領内の安泰を祈願して出羽三山から羽黒権現を勧請したことにはじまる。
 坂を上がったら、左折して行くと、左手に●土蔵造りの中村美術サロンという店がある。 下館で20代続く旧家、中村家所有の美術品を公開している。その先の●大町3丁目交差点を右折します。 真っ直ぐ進むと「巽坂」。下って「下館駅」へ向かっていて、この通りは下妻街道になっています。 15:10

 ■江戸坂~大谷川
 右へ曲がり●江戸坂を下ります。由来などはわかりません。 左手に「北向地蔵堂」があるが、何故か、参拝者が多く、撮影できず。 ●真岡鉄道踏切を越えると、左手に●神明宮があります。 "説明板 " 貞享3年(1686)の再建の際に植えられたと思われる"2本のケヤキが "歴史を物語っている。   ●外塚橋の下を流れる大谷川。小貝川へ合流している。 15:30

 ■大谷川~玉戸駅
 ●「神分」という交差点を通過。 右手に●馬頭尊の大きな碑がある。 このあたり、ゆるくジグザグに進んでいる。右手に●稲荷神社。 「伊賛美」という所に入り、ローソンのある信号まで来た。左へ行くと玉戸駅がある。本日はがんばって「川島駅」まで行こうと思ったが、遅くなったので、 ここで終わりにしました。 ●玉戸駅から小山駅経由で帰りました。 16:00

       3 笠間-岩瀬     5 玉戸-小山