鎌倉街道上道を歩く 1 
            (鶴岡八幡宮~ゆめが丘駅まで)
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 鶴岡八幡宮-化粧坂-葛原岡神社-湘南モノレール-村岡-鉄砲宿-東俣野-下飯田-ゆめが丘駅       16.31 km
 1 鶴岡八幡宮~ゆめが丘駅   2 ゆめが丘駅~町田駅  3 町田駅~西国分寺駅  4 西国分寺駅~狭山市駅
 5 狭山市駅~武蔵嵐山駅   武蔵嵐山駅~小前田駅  7 小前田駅~丹荘駅  8 群馬藤岡駅~高崎駅

    鎌倉街道

 鎌倉街道とは、鎌倉時代に幕府のある鎌倉と各地を結んだ道路網で、鎌倉幕府の御家人が有事の際に「いざ鎌倉」と鎌倉へ馳せ参じた道である。
 各地から鎌倉を結ぶ街道は関東地方に限らず、ほとんどが鎌倉街道と呼ばれたという。街道は古代の官道や地方道を繋いだり、不足部分は幕府自体が建設したりして造られた。江戸時代に五街道を始め街道が整備されると、その役割を終えたが、中世から江戸期にかけて政治的、文化的に果たした役割は大きい。 
 鎌倉街道と称される枝道などは数多くあるが、主要な道としては下記の3本の道がある。
 上道・・・・鎌倉から化粧坂を越え、武蔵西部を経て高崎に至り、信濃、越後
                 へ抜ける古道。
 中道・・・・鎌倉から巨福呂坂を通り、武蔵国東部を経て下野国から奥州へ
       至る。
 下道・・・・鎌倉から朝夷奈切通を越え、武蔵国東側の東京湾沿いを北上し
       て常陸へ抜ける。 
       今回は中・下道に続き、上道を歩く。 ゴ-ルの目途は高崎
 参考資料
  「中世の道・鎌倉街道の探索(東京近郊の鎌倉街道を訪ねて)」 北倉庄一
  「旧鎌倉街道探索の旅 上道遍」              芳賀善次郎
  鎌倉街道夢紀行                       テレビ埼玉編

2014年10月19日
■鶴岡八幡宮~阿仏尼墓
  鎌倉街道の中道、下道を一応終了して、今日から上道を始めていきたい。上道は鎌倉から武蔵国を北上、入間川、神流川を越え、上州は高崎へ行く道である。高崎からまだ先、越後の方へ繋がるのだが一応高崎をゴールとしておきたい。
 上道に限らず鎌倉街道はいくつも別ルートが分岐したりしているのだけど、あちこち歩くわけにもいかないので代表的な経路を一本に絞ってみた。
 まず鶴岡八幡宮の●西の鳥居から出発する。バス道路に出て左折する。少し行って銭洗弁天の案内板に従い角を右折する。途中右手に川喜多映画記念館、岩窟不動がある。横須賀線の踏切を越すとすぐ前が●八坂神社がある。右隣は寿福寺である。またその右隣は英勝寺である。英勝寺は鎌倉市内に残る唯一の尼寺で、大田道灌の屋敷跡とも伝わる。見て回ると時間を取るので、ここはみんなパスして通り過ぎる。線路伝いに歩いて行くと左手崖下に「十六夜日記」の著者●阿仏尼の墓と伝えられる石塔がある。本物かどうかはわからない。10:20

■阿仏尼墓~化粧坂入口
 その先突き当たりを左へ曲がる。やや上り坂の道の突き当たりは海蔵寺でその●手前を化粧坂方面の標識に従い左折する。ここでの目標としては源頼朝の暗殺を企てた平景清という人が閉じ込められた土牢があった場所を探して、左手を注目して歩いていたところ、わからないで●上り坂の入口の所で一枚撮ったら、左側の崖の手前がそこなんだそーだった。(;゚ロ゚)。そんなわけで写真の左側の切れてしまった崖の上に土牢があったそうです。
 ほどなく●化粧坂の入口にやって来た。  10:30

■化粧坂入口~葛原岡神社
 ●化粧坂は昔のまんま残っていることで有名でいまさら説明しても・・・・・って感じ。ごつごつした岩が露出する屈折の多い滑りやすい坂だが想像以上に短く、息が上がる前にあっという間に終わった。
 坂の上は平坦な源氏山公園で、突き当たって左へ行けば銭洗弁天、右へ行けば●葛原岡神社の参道である。●葛原岡神社は建武の新政の功労者日野俊基を祀る。明治になって再評価された為に創建された新しい神社で茶屋が建って結構賑わっている。  10:40

■葛原岡神社~日当公園
 神社の手前に●日野俊基の墓がある。その昔葛原岡が刑場で、ここで斬られた訳である。上道へはこの墓の先から左の広場の方へ下りて行く。細い尾根道で民家の間を抜けると、やがて広い道に突き当たりそれを左へ行くと山内配水池がある。●そこからからやや下り坂になり、高級住宅街の様な閑静な住宅地が現れる。間もなく●日当公園に突き当たった。左へはS字坂という急な下り坂になっている。ここは公園に右手の道を進む。   10:55

 ■日当公園~湘南モノレール
 「山の上通り」というようだが、この先はまた住宅街が続く。やがて道は突き当たりV字型に右に曲がり、「山の上ロ-タリ-バス停」の手前を左折すると●急な下り坂になってくる。このあたりは寺分と梶原の境界線で境界線が鎌倉街道の痕跡という定石通りということかもしれない。
 左手の深沢中学北側の坂道を下る。学校の先で右に曲がり、ゆるい坂を上がって行く。右手奥の石段を上った所に駒形神社がある。そしてすぐ左側にある●大慶寺の山門は茅葺きで趣がある。大慶寺自体は関東十刹に数えられたほど壮大な規模を誇ったようだが、今は面影も無い。そして●富士塚小入口交差点でモノレールの高架と交差した。   11:25  

■湘南モノレール~柏尾川
 左手はJRの大船工場であったが、移転して●広場になっている。一部スポーツ施設もあるようだが、雑草が茂った原っぱが広がっているだけ。跡地利用計画はあるのだろうか。
 少し行って●住宅の間の細い坂道を上がって行く。急激な尾根状の坂を1本ストンと越えると右手に●古い道祖神と社が一つあった。そのまま進むと正面に泉光院があり、その左手奥に天満宮がある。泉光院を後にすると●柏尾川にぶつかった。前方に見えるビルは武田薬品の研究所。ここから旧道は諸々に遮られて消えている。   11:35 

 ■柏尾川~村岡城址公園
 右へ少し行って町屋橋で●柏尾川を渡り対岸へ出る。すぐ川岸を左へ取って工場の間の細道を通り、JRの線路にぶつかったら左へ曲がり線路のガードをくぐると、武田薬品の研究所の入口付近に出た。
 ここを左に行き「村岡東2」交差点を右へ曲がる。広い道だがかなりの上り坂である。●上がった中腹辺りの住宅の所から旧道が復活しているようである。 坂の途中から左へ折れると公園があり、●村岡城址となっている。記念碑が立っているだけで旧蹟らしきものは何もない。ここは坂東八平氏の祖、平良文と忠光、忠道、景成、景政の五代の居城であったといわれる。良文は醍醐天皇の延喜19年(921)8月、鎮守府将軍に任ぜられまた相模国の国司を兼任し、晩年にこの村岡に城を築いた。多くの荘園を持ち、関東一円に強大な勢力を張って、その子孫が三浦、大庭、梶原、俣野、長尾などの諸氏である。   12:06


■村岡城址公園~柄沢神社
  この先●坂道手前の十字路を左へ入るが、右手崖上に●日吉神社がある。この神社は裏山に良文が京都から勧進して邸宅の鎮守としたものを応永27年(1420)にここに移したものという。
 十字路を斜め左へ行くと渡内のバス通りに突き当たる。バス通りを左へ行き、柄沢神社へ向かうのであるがこの先の旧道のルートははっきりしない。右手高台にある慈眼寺あたりから右斜めに向かっているようであるが、住宅地で通れなくなっている。そこで直角状に迂回することにした。バス通りを進み、県道の広い交差点を通過し、ドラッグストア右手の道を真っ直ぐ進んだ。すると左手に●柄沢神社が見えてきた。鳥居の両側には●庚申塔などが立ち並んでいる。入間野・那須野の巻狩へ向かう途中の源頼朝が参拝したことがあるというので鎌倉街道には縁のある神社には違いないだろう。 12:52

■柄沢神社~鉄砲宿
 神社から先はまず、神社の北側を左へ行き、バス通りを横断して●坂を下りる。突き当たって右折してしばらく行くと、畑に突き当たる。ここを左折すると●横浜市戸塚区との境界線を行く道で、ここから旧道が復活しているという。その先県道の●鉄砲宿のバス停あたりで県道、国道の為に旧道が叉々消えてしまっている。鉄砲宿とは宿場とは関係なく、大蛇を猟師が鉄砲で撃ったという伝説によるとか。  13:10
■鉄砲宿~東俣
 国道1号の横断歩道橋を渡り、渡り終えたらすぐ●左斜めに分岐する道に入って行く。 この道は細いが車の往来はわりとあり、右手に宅急便の基地がある。その基地の反対側に●石仏や庚申塔が数点並んでいる。石仏には元禄2年の年号が付いている。ここは坂を下って行き住宅から田園地帯へと風景が変わってくる。東俣野という地名で往時の豪族の俣野氏由来の土地である。道は大きく右手へ湾曲しており、左手は●境川の低地の田園地帯が広がり、農業専用地区に指定されている。
 やがて●鳥居が見えて来た。この先の八坂神社の鳥居で、鳥居の下が昔の道幅で道路が拡張されて車を通すようになったので、鳥居だけが取り残されたようだ。脇に鎌倉街道の説明板が立っていた。西の道とも上の道とも言われるこの道は、鎌倉と地方を結ぶ重要街道の一つで、新田義貞軍が鎌倉攻略に進撃して来た道であると伝えられる古道であるという。   13:40

■東俣野~観音堂前
 鳥居からしばらく歩くと●八坂神社がある。小さな神社だが古社という。右隣奥に龍長院がある。山門前に庚申塔と石仏が立っており、延命地蔵もある。先ほどから目の前の高台の所になにやらタワーが建っており、その昔の●ドリームランドのホテルと云われているようだが、現在は横浜薬科大学の施設になっているそうだ。境川の支流●宇田川を宇多川橋で渡り俣野小学校の横を過ぎて、俣野観音堂前交差点に来た。左手は明治学院大学のグランドである。   13:55

■観音堂~下飯田
 コンビニの隣に●観音堂がある。頼朝挙兵の時の合戦で徹底して平家側に与し、討ち死にをした俣野五郎景久が護仏としていた観音像に由縁があるという案内板が立っている。お堂の脇を北上して行くが、右手奥に俣野神社があるところ通過ぎてしまった。
 まもなく●二叉の分岐点に来た。真ん中に道標を兼ねた庚申塔が3基立っており、台座に「右飯田町」と刻むのがある。割とあたらしいものようだが。この二叉は右に取る。すると境川の土手上に出て、眼下には河川敷を利用した●境川遊水地公園が広がっている。公園は台風で冠水したようで復旧工事の最中で立ち入り禁止となっているようだった。土手に沿ってずっと歩いて行く。   14:38

■下飯田~富士塚公園
 ●テニスコートを過ぎた先の分岐で土手から別れ住宅の中へ入って行く。間もなく下飯田の十字路がある。そこを越すと右手に●東泉寺●琴平神社が並んでいる。この寺と神社の西側の道つまり今通っている道が鎌倉街道であると伝えられている。   14:50

■富士塚公園~ゆめが丘駅
 更に進むと右手に●富士塚公園があり、●富士塚城址の石碑が立っている。富士塚城は源頼朝の御家人・飯田五郎家義の居館があった所と云われている。飯田家義は源頼朝が石橋山で挙兵し、敗れたときに頼朝を箱根山まで導き、安房に脱出させた頼朝命の恩人だという。
 その先相模鉄道の高架をくぐり、脇道を入ると右手に●佐馬神社がある。佐馬という名前の神社は全国に11社あり、すべて境川流域だそうだ。祭神は祭神は源義朝あるいは源満仲で、源義朝が佐馬頭(さまのかみ)であったためにこう呼ばれているという説もある。社により鯖という表記もあるようだが、佐馬と鯖ではえらく意味が違うのではないかな。
 さて右奥に相模線「ゆめが丘駅があり」、キリもいいのでこのあたりでおしまいにしようかと思い、神社の先から駅に向かった。向かったはいいが大体県道には「ゆめが丘駅→」などの表示がなく、駅までの道も農道を切り下げた道で両側が樹木で視界が悪く前方の視界もきかず、こんな所に駅なんぞあるのかいなって感じ。ただ●ゆめが丘駅自体は鉄骨で覆われた恐竜の骨格模型みたいで面白い。 駅前は何にもなく、畑が広がるばかり也・・・ 
    15:25

     2 ゆめが丘駅~町田駅