大山道を歩く 5
(愛甲石田〜大山ケーブルまで)
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 愛甲石田駅−石田−粕谷下宿−下糟屋−道灌墓−石倉橋−三の鳥居−社務所−豆腐坂−大山ケーブルバス停   10.9  km  

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■愛甲石田野駅〜石田
2011年11月7日 大山街道 6回目
 ●愛甲石田駅は海老名市と伊勢原市の境界をまたいでいる。税金は半分ずつ払うのだろうか。道は小田急の踏切を渡り、●国道246号と合流する。「道了尊入り口」と表示のある信号機の交差点右手に「浄心寺」があって、ここの●山門はカヤ葺きで趣がある。
 道了尊とは何ぞやと思い、調べたら、「高森道了尊」というのが、右手奥の東名高速道路脇にあり、足柄市大雄町にある「大雄山最乗寺」の開山了庵慧明禅師及び徒弟道了の居住の地であるという。道了は道了大薩捶とも言われ、神通力にすぐれ、師の死後天狗となって最乗寺と師を守護した。      10:35

 ■石田〜成瀬農協
 
●「石田」の交差点
に出る。左に折れる道は、明治35年新しく開削された新道で、旧道は、右手に見える「日本ロジテック」の中をぐるっと回って国道を横断し、住宅地の中を通過して「JA伊勢原成瀬支所」の所に出ていたという。現在では途中が消滅してしまっているので、「石田」の交差点を左折して新道を行くしかない。
 「谷戸入口」の所の小田急の踏切を渡って、古墳時代前期の円墳という●小金塚古墳を見に行く。途中古墳の南側で●発掘中の現場に出くわした。何の発掘かわからなかったが、古墳に関係あるのだろうか。古墳の頂上には「小金神社」が建っている。神社から旧道へ戻る道がわからなくて少しウロウロしたが、線路沿いに下へ下りる小道があった。
11:00

 道を下りた「小金塚バス停」の所に●道標が立っていて、「東 厚木町に至る」とある。「成瀬小学校」前に●「白金地蔵」が祀られている。平成7年茂田家が敷地の傍らに安置させた。万延元年(1860)この地に住む茂田半左衛門が子宝恵授を祈願して建立したものである。●JA伊勢原成瀬支所前で先ほどの「日本ロジテック」の先で、消滅した旧道が右手から合流している。   11:18

  ■成瀬農協〜粕谷下宿
 大山街道は交差点を左折して進む。歌川を歌川橋で渡り、県道22号線を越えて行くと、突き当ってしまうが、ここが●糟屋宿枡形であろうか。直角に右折した所に「粕谷宿下宿」のバス停がある。(バス停の表記は粕の字)●糟屋宿は旅籠、問屋、万屋、などがあり、大山参拝の旅人や物資の運搬人で、伊勢原宿におとらず賑わっていた。東から下宿、中宿、上宿となっていた。明治34年の大火で焼け、宿場の面影はない。
 宿の中央右手に●普済寺がある。  11:35

  粕谷下宿〜下糟屋
 
この寺で有名なのが境内にある高さ6mを越える●多宝塔である。蝦夷地開拓のために厚岸の国泰寺の住職を務めた文道玄宋が糟屋の神宮寺に帰山後に建立したのもので,廃仏毀釈により、神宮寺が廃寺になったので、普済寺に移築された。多宝塔の台座には「クナシリ、アツケシ、トカチ」などの地名が刻されている。
 「粕屋上宿」の信号を左折して行くと左手に●大慈寺がある。 太田道灌の菩提寺となっていて、道濯が鎌倉からこの地に移して再興し、叔父の周巌淑悦禅師を中興開祖としたとされる。向いの川沿いに●「太田道灌の首塚」がある。道灌は主君の上杉定正によって文明18年(1486)、定正の居館である糟屋館において(伊勢原市内。詳しい場所は不明)暗殺された。市内の洞昌院にも道灌の墓がある。  11:54

 「上宿」の信号の先、右手に●高部屋神社がある。創建が4世紀末といわれ、延喜式内社である。鎌倉時代、ョ朝の御家人で地頭の糟屋有季が守護~として社殿を造営。本殿は關東大震災で倒壊し、昭和4年柱、彫刻、正面扉などをそのまま生かし再建。●拝殿は慶應元年に再建されたまま現在に至る。
 神社の境内の裏から国道に架かる橋を渡ると、公園がある。●丸山城址である。鎌倉時代初期の糟屋左衛門尉有季の居跡と伝えられている。規模は東西1km、南北400mに及び、道灌が暗殺された「糟谷館」はここであるとの説もあるとか。   12:10

  ■下糟屋〜市米橋
 
●下糟屋交差点で国道246号にぶつかり、そのまま直進します。正面に見えるビルは「東海大学付属病院」で、まっすぐ進んで行くと、右手に●「咳止め地蔵」が小さなお堂に収まっている。案内によると、。咳止め地蔵は昔から痰咳平癒の守護仏として崇められ広く霊験を知られた。享保8年(1723)の再建になるもので、再三補修されてきている。
 道はせきど橋を渡ると●「市米橋」の交差点に出る。ここは矢倉沢往還との追分で、往還の方は直進をして、左斜めに進み、国道へ出て善波峠方面へ向かっていた。   12:30

  ■市米橋〜洞昌院
 大山街道の方は右折して「ヤマト運輸営業所」の前あたりを左折して●農道へ入って行く。道の両側は柿、ブドウなどの果樹園が広がっていた。「峰岸団地」の中を抜けて行くと、東名高速道路に突き当たる。
 高速道路の●「厚木18」というトンネルをくぐと、左手に道標が立っている。(いいやまみち ひなたみち 七五三引村(しめひき)と読む。ここからの道は旧道らしい●細い砂利道となり、旧道らしいのどかな道が続いていた。脇を千石堰用水というのが流れている。   12:50

 市光工業社員寮前に出る。この角に●三所石橋供養塔が立っている。千石堰用水に架かる三つの橋の供養塔である。 ここで太田道灌の墓を訪ねるために寄道をしてみた。先程の市光工業社員寮前の交差点を右折してすぐ左手に●洞昌院がある。道灌が上杉憲実の弟道悦和尚のため建てられた寺と伝えられ、上杉家の祈願所となっている。
 太田道灌の墓は洞昌院を出て、裏手というか、隣にあり●「大田道灌公霊地」と刻まれた石標が建つ。ここは伊勢原市の史跡となっている。暗殺された後、亡骸は洞昌院の裏山で荼毘に付された。道灌の墓といわれるものは、ここや、先ほどの大慈寺、鎌倉の英勝寺、川越などあちこちにある。   13:05

 ■洞昌院〜石倉橋
 
「台久保」バス停から北へ行き、左に折れると、●「七つ塚」というのがある。道灌が暗殺されたとき、上杉方の攻撃を一手に引受けて討死した7人の家臣を葬った墓で「七人塚」とよばれている。
 塚の右前方に●上粕屋神社がある。山王社とも言われ、由緒は古く、天平年間(729〜)良弁僧正が大山寺を開創した時に勧請した。参道の両側の杉が古く、参道に風格を感じさせた。
 大山道に戻り、用水が流れる細道を行くと、●石倉橋交差点に出た。   13:25

  石倉橋〜三の鳥居
 すぐ右手に動明王像の乗った●道標があり、正面に「 ひらつかみち 」、「右 い世原、田村、江乃島道」などと刻まれている。ここはあちこちから来る大山街道が合流してくる重要な地点であることがわかる、
 大山へ向うバスが通る細い通りだが、●正面に大山が見える一本道で、ここから大山に向かってゆるやかな坂を上がって行く。
 「明神前」バス停先の右手に●比々多神社がある。この神社は創建が天平年間と古く、延喜式社の一つである。祭神は木花咲耶姫で、昔から安産守護の神として崇められ、拝殿の柱を削って飲むと、安産出来ると信じられてきた。その為これ以上削り取られないように柱を鉄骨で保護してある。また拝殿に歌川国経筆になる県指定重要文化財の「美人図絵馬」が掛かっている。    13:40

  ●「易往寺」角を左折して進むのが旧道。現在の県道が整備されたのは昭和初期のことで、それ以前はここが大山道であった。曲った先は●「這子坂」といい、這って登るほど、急な坂だったといわれており、この坂で赤ん坊が這っているときに鷲にさらわれたという言い伝えもあるとか。300m程で新道に合流して進む。「子易」先で新道は左に分岐しているが、バスは細い旧道を通っている。このバスを往復4回乗ったけど、車とすれ違いができないので、運転手さんは先を見ながら止ったり、進んだりで大変そうであった。
 ●三の鳥居から阿夫利神社の参道に入ります。この鳥居は、江戸火消し「せ組」によって建立され、「せ組の鳥居」ともいわれている。     14:00

 ■三の鳥居〜社務所
 
「新玉橋」を渡って進むとT字路にぶつかり、右折して大山に向かいます。●アーチが架かっていて、「丹沢大山国定公園、ようこそ大山へ」などと書いてある。
 アーチの先は大山門前町で、「大山御師」の建てた●宿坊が立ち並び、「先導師何々太夫」などの看板と講名の彫られた玉垣に囲まれている。御師の活動は伊勢と大山が双璧で、宮本常一「日本の宿」あたりが詳しい。
 「加寿美橋」を渡り、バス通と分れ旧参道へ入っていく。右手奥に●阿夫利神社社務所がある。広い社務所で右側には能舞台もあるので少しパノラマにしてある。   14:15

 ■社務所〜愛宕滝
 
●参道を上がって行く。道は急に狭くなり両側は御師の宿坊が並ぶ。江戸時代には各地から講を組み多くの人達が参詣に訪れた。夏山参りになると、宿の玄関先には大山講の板招きが掲げられて大変な賑わいであったという。
 ●愛宕橋を渡ってバス通りに合流する。 ●愛宕滝がある。大山には多くの滝があり、江戸時代、参詣者は滝で身を清めてから白衣に身を包み山頂を目指したこの滝もその一つで、ここで禊をして神社に参ることになる。    14:25

 ■愛宕滝〜大山ケーブルバス停
 又少し上がり、「良弁滝」バス停から右手へ入ると●開山堂●良弁滝がある。 開山堂は大山を開いた良弁僧正を祀ってあり、堂内には正面に良弁僧正43歳の時の坐像と猿が金鷲童子(こんじゅどうじ)を抱いた像が安置されている。
 堂の左手には良弁滝が流れている。大山開山(天平勝宝7年 755年)に良弁僧正が入山、最初に水行をおおなった所。高さ1丈3尺(3m94cm)
 バス道路に戻るとすぐ左手に入る細い道がある。●豆腐坂と呼ばれる旧道で、江戸時代から参拝者がとうふを手のひらに乗せ、すすりながらこの急坂を上っていった、ということから名前がついた。両側に豆腐料理の店が並び、昔の風情が色濃く残っている。阿夫利橋を渡って、新道に合流すると左手は「こま参道」へ、右側は「大山ケーブル」のバス停のある駐車場へ出る。本日はここまでにしてバスに乗り「伊勢原駅」へ出て帰宅した。  14:50

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