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 12  小山宿から新田宿へ 歩行地 図
  小山駅-須賀神社-評定跡-城山公園-日枝神社-追分-新田宿 8.7 km(5km)

12小山宿
 小山の歴史は古く、天慶三年(940)藤原藤太に将門追討の宣旨を下されて、小山城を築城して以来、子孫の小山氏が守ってきた。その後北条氏の支配下に入り北条滅亡と共に小山氏も滅亡した。宿としては元和三年(1617)に成立し、北関東の交通の中心として発展した。
本陣1、脇本陣2、旅籠74。

2007年7月16日(月)海の日
 前日台風4号が関東地方来襲かという恐れがあったところ、房総沖にそれてくれ、晴れたり曇ったりの歩くには良い天気となりました。午前8時前にJR小山駅到着。本日は雀宮まで行きたいが、寄る所もありどうなりますか。先ずは須賀神社へ向かいます。

■小山駅~須賀神社
●須賀神社
 8:30
  創建は、天慶3年4月、藤原秀郷が京都の八坂神社より分祀したことによる。祭神は、素盞鳴命・大己貴命・誉田別命のおなじみ三神。参道も堂々としたなかなかの大社。ちょうど例大祭の時期であり●御神輿が出ていた。

■須賀神社~宮本町
●愛宕神社の大ケヤキ

 須賀神社の北隣にある。小山義政が康暦元年(1379)に山城国愛宕郡から観請。祭神は火産靈命。大ケヤキはこのとき御神木として植えたと伝えられる。樹齢は600年以上とも。由緒の割には本堂はみすぼらしい。
●持宝寺
 門前に弓削道鏡根本開基寺という看板が掛かる。道鏡の廟や孝謙天皇陵があったというが現在は不明。ちなみに正式の孝謙天皇陵は、奈良市山陵町に指定されていいる。山門に梵鐘が掛っかているのが珍しい。

■宮本町~市役所
●脇本陣跡

 旧道に戻り、宮本町を抜け、中央町へ入る左手の陶器、金物店が脇本陣跡。隣に昔の玄関が残っている。明治天皇行在所の標識も立つ。
●問屋跡
 
常陽銀行の所が問屋跡。対面が本陣跡というが全然残っていない。ビルが建っているだけ。

■市役所~城山公園
●小山評定所跡

 小山市の市役所にある。石碑には、「慶長5年(1600)7月24日、徳川家康は、会津の上杉景勝を討つべく小山に到着しました。 このとき、石田三成が家康打倒の兵をあげたことを知り、翌25日この地において軍議が開かれました。これが「小山評定」といわれるものです・・・ と書かれている。この後関ヶ原の戦いが始まることとなる。評定の場所は2、3の説があり須賀神社の案内にも境内で行われたとあった。
●小山城跡(城山公園)
 小山城(祗園城)は、市役所の北方、思川沿いの丘陵地に位置し、南北に長く空堀や土塁がなどが残されている。 14世紀後半の築城といわれている。守り神として祇園社(須賀神社)を祀ったことから祇園城とも呼ばれるようになった。小山氏から北条氏へ支配が移り、やがて本田正純が3万石で城主となり元和5年宇都宮転封と共に廃城となる。

■城山公園~本郷
●宝生院の倶利迦羅不動

 小山城から旧道へ戻る途中の宝生院には、剣に龍(倶利伽羅龍)が巻き付いてこちらをにらみ、あまり気持ちの良くない石像が門前に鎮座する。・・・利迦羅龍王は大日如来が変じて不動明王となり不動明王が変じて剣となり剣になられました。倶利迦羅龍王のお姿は、剣を飲む龍のお姿でありますがそちらは、仏と人が一体となることをあらわしております。また、この剣と火炎は一切の邪悪、罪障を滅ぼすといわれています。・・・倶利伽羅不動寺のHPから (http://www.kurikara.com/)。 初めて見る石像であったが、目黒不動などあちこちにあるようで、有名な倶利伽羅峠の地名も峠にあった倶利伽羅堂にちなむとか。

■本郷~喜沢東
●日枝神社
 10:25
 旧道に戻り、北上して行く。道の右手には愛宕神社があって、お祭りの最中で、御神輿が出ている。小平産業の工場が見えてきてから、しばらく進むと鳥居が立っていて、日枝神社の石標がある。鬱蒼とした参道が延びていて、ケヤキは樹齢400年以上になるという。参道の途中は見事に国道4号で分断されている。社殿に行くには国道を渡らざるをえず、信号もないので危険を感じる

■喜沢~羽川
●嬉沢の追分

 神社先に喜沢交差点が見える。手前左右に行くのが壬生道。直進すると国道4号線と合流する。旧道は右斜めに住宅地へ入る道となっている。分れ道に●石碑群が置かれている 。●旧道は医院の看板の所の細い住宅地へ入る道で、昔の街道はこんなものかと思わせるような感じ。今までの市内の騒音とは無縁のような住宅道となっている。

●嬉沢の一里塚
 左側には鬱蒼とした林が続き、やがてポコンとふくらんでいるところがある。見ればいかにも塚のようで、一里塚跡のように思われる。案内板などはなく、地元の人達は理解しているのでしょうか。保存する気がないとすぐ平らになってしまうと思う。やがて東北新幹線とほぼ一緒になり、案内板などないので、事前に調査しておかないとわからないような●道を左前方へ進み、4号線と合流し、新田宿へ入る。11:10  
     小山市内あちこち歩いたので、本来の宿間の距離とは大分違う。本来は新田まで1里11町なので5km程度

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