奥 州 街 道








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  10 白坂宿から白河宿へ   歩行地図
 泉岡-白坂-皮籠原-小丸山-松並-三番町-天神町   6.9km

10 白坂宿
 小田原攻めの勝利を確信した豊臣秀吉が伊達政宗に小田原から会津の街道整備を命じた際に、芦野と白河間が長すぎるということで宿駅となったのが白坂宿の起こりである。昔飯盛女を抱える旅籠が多かったといわれていたが、現在では宿の面影は無くなっている。本陣1 脇本陣1 旅籠27
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2010年10月1日 芦野宿からの続き
 ■泉岡~白坂
弘法大師衣替えの清水から1km位で、白坂に着くが、その前、道を下って行くと、左側に●馬頭観音などの石仏群があった。回りで枝下ろしの作業中で、迷惑なので近寄らなかったので、どういうものかわからず。 やがて泉岡の交差点から●白坂宿に入る。昔はびっしりと軒を並べていたというが、今はいたって静かなもの。宿の雰囲気は全く感じられない。   12:50

 白坂宿の中心部は泉岡あたりで、右手の家の表札は「かめや」とあり、かつての●旅籠「かめや」跡。ここが宿の唯一の名残といえようか。
 街道の反対側に白坂宿の本陣、問屋を務めた白坂周右衛門の家があったというが、よくわからず、案内板の類もなかった。
  宿の外れの左手に●観音寺がある。本陣を務めた庄屋・白坂家の菩提寺であり、戊辰戦争で、亡くなった大垣藩士3名の墓もある。ちょうど運悪いというか、お葬式の最中であり、立寄るのは遠慮した。  13:10

 ■白坂~革籠原
 白坂宿を抜けると●山間の道であるが、結構車が通る道をくねくねと行く。
 やがて●皮籠(かわご)の交差点にやってきた。このあたりがNHK大河ドラマ「天地人」でも放映された「革籠原(かわごはら)の戦い」の場であって、交差点を右へ行くと、「防塁跡」が残っている。 防塁跡を翌日の2日、レンタカーで訪ねたので紹介しておきたい。    13:25

●「革籠原(かわごはら)の防塁跡」
 関ヶ原の戦の前、会津討伐で北上してきた家康との決戦の地として、上杉軍が陣を築いたところだ交差点から東へ1300m石阿弥陀という所にあり、「天地人」の幟が沢山立っているのでわかる。残っているのは370m程だが、実際は数キロに渡って築かれた。土塁はドラマでは相当高く築かれていた様に思ったが、高さ2m位で、二重土塁構造をなしているのが上杉家の特徴だそうだ。まあ昔の地形はわからないので、実際の高さはどのくらいだったのだろうか。 2010.10.02

 ■革籠原~小丸山
 で、皮籠の交差点を過ぎて行くと、左手に●八幡神社がある。「金売吉次三兄弟の墓 是より300m」の案内柱が立っているので、左へ入って行く。
 林の中に三基の宝篋院塔があり、中央が吉次、左が吉内、右が吉六の●「金売吉次三兄弟の墓」と伝えられている。 製作年代は不明であるが、製作技法の特徴から室町時代頃の建立と推定されている。もちろ造られた時代が違うので、100%正しいというわけではない。承安4年(1174年)、吉次兄弟が砂金を交易して、奥州平泉と京とを往来する途中、ここで群盗に襲われ殺害された。里人がこれを憐れみ、この地に葬り供養したと伝えられている。後に義経がここに立ち寄り、吉次兄弟の霊を弔い、先ほどの八幡宮に合祀したと伝えられている。  13:35 

 ■小丸山~松並
 皮籠を抜けると一里段地区に入る。一里塚があったというが今はわからない。
 新白河中央病院の所にコンビニがあり、ようやくおにぎりにありついた。
 左手にため池が二つある●「小丸山」の分岐で、旧道は右手に入っていく。。ここは500m位で再び国道294号線に合流する。すぐに国道289号にぶつかり。左手に巨大な「スーパーモール白河」がある。ここを左折すると「新白河駅」に達するが、旧道は●真っ直ぐ進む。  14:28

 ■松並~三番町
 稲荷山にぶつかる。ここは戊辰の役、白河口古戦場跡地で、街道が右に折れる角に、●「戊辰の役古戦場碑」や、多くの碑が立っている。  南は水田が開け、北はこの稲荷山の小丘を慶応4年(1868年)、奥羽諸藩鎮定の為、薩長、大垣等の西軍が大挙して、3方から白河(小峰城)を攻めた。 東軍の会津、仙台、棚倉の兵は城の南西の山地に陣し、是を迎え撃った。ここで激しい戦いが行われ、4/25会津兵は一旦西軍を退けたが、ついに敗退となった。そして小峰城も城郭は消失し落城となった。戦後両軍は各々碑を建て霊をなぐさめた。北側に●会津藩主松平容保の題字の銷魂碑がある。   14:50

 南側に●長州、大垣藩6人之墓があり、明治天皇が立寄り供養している。
 また北側には●田邊軍次の墓というものもある。会津藩士田邊軍次は、戊辰の役、白河口での戦いで東軍が敗れたのは、後に白河県から白坂町取締りに任命された大平八郎が、西軍の道案内をしたためであると信じ、白坂宿鶴屋で八郎を斬殺し、自らもその場で割腹して果てた。殺された方の八郎の養子「直之助」が軍次の墓を建ててあげている。戊辰戦争がもたらした悲劇の一駒である。 

■三番町~天神町
 稲荷山をぐるりと回り込む様に進むと、九番町という所となる。
 九番町、八番町と続き、三番町に入ると、谷津田川(やんたがわ)に架かる●南湖橋を渡る。やがて一番町に入るが、このあたりに白河宿の木戸があり宿の始りという。 一番町を過ぎて、●天神町交差点で旧街道は直角に右に曲がっている。

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