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大山道を歩く 1 (赤坂~二子玉川まで) |
歩行地図はこちら 地 図 |
赤坂御門跡-青山通-渋谷-三軒茶屋-(旧道)-松陰神社-世田谷代官屋敷-用賀-瀬田-玉川新地 14.3km |
大山街道 大山は、神奈川県丹沢山系にあり、古くから雨乞いや豊作祈願の神として信仰されてきた。江戸時代に入ると御師の活動などにより大山信仰は一層盛んになり、各地から大山に向う参詣路が作られた。 今回歩くのは江戸赤坂御門を起点とした、大山阿夫利神社までの道で、「大山街道」の代表的な道になります。大部分が「矢倉沢往還」と重なり、矢倉沢往還は東海道の裏道として、各地の商品を江戸に運ぶ重要な輸送路として利用され、大変栄えました。この道が「大山参詣道」として庶民に盛んに利用されるようになった。距離は70キロ程度。都心を通り、道幅も拡張され、街道の面影はあまりないと思われますが、古道なりの面影を探して歩いて見たいと思う。 参考資料 「ホントに歩く 大山街道 中平龍二郎 風人社刊」。 「川崎国道事務所 大山街道 見どころマップ」 など |
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青山通は渡れないので、少し戻って歩道橋を渡ります。●左手に入る道があり、ここが大山街道の古道で、●牛啼坂という坂を上がって行く。荷を引く牛が啼くほど急坂といわれるが、今はそれほどでもない。左手に「山脇学園」があり、日曜日で静かなものだ。国道に合流する手前、左から●薬研坂が上がってくる。断面がV型の坂や堀に薬研坂とか薬研堀の名前が付くことがある。昔はV型をしていたのであろうか。 9:35 |
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■松陰神社~豪徳寺 神社を出て、西の方向に進むと、国士舘大学、世田谷区役所などを経て、●「豪徳寺」へ着く。 彦根藩主井伊氏の菩提寺で。藩主井伊直孝が豪徳寺の前身弘徳院の前を通りかかった折、一匹の猫がしきりと招いたので寺に入ると急な雷雨となり、猫のおかげで濡れずにすんだ。直孝が大いに喜び、その縁で菩提寺にしたという。 境内の●三重の塔の間斗束の装飾に招き猫が使われていたのは面白い。境内に井伊家の代々の墓地があり、●井伊直弼の墓もあるが、工事中だったので、掲示中の写真を撮っておいた。 13:50 |
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道を左折してすぐ右折すると左手に、●世田谷代官屋敷跡がある。彦根藩世田谷領の代官大場氏の役宅で、文2年(1737)と宝暦3年(1753)の二度の工事で完成したもので、江戸中期の上層民家の遺構を良く残し、表門と主屋が国の重要文化財に指定されている。またここは「世田谷ぼろ市」の起源にもなっていて、天正6年(1578)北条氏政が世田谷新宿に宛てて発した楽市掟書に起源を持つとのことだった。屋敷の前の通はボロ市使用される。 その先は世田谷通りと交差して、通りを渡り、三角形の二辺を通るようにして、●桜小町交差点を渡ることとなる。 そこを入って行くと、畳屋山の前に道標が置いてある。これは本物ではなくて、本物は先ほどの郷土資料館に移されている。 少し進んだ左手の小公園の中に●大山道旅人の像がある。大山道を旅する人が一休みする姿が楽しい。14:45 |
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■用賀~瀬田 用賀商店街に入ると、まず入口付近、左手の●鎌田酒店は創業150年の老舗。 右手奥に●真福寺。赤い山門が見事で赤門寺とも呼ばれていたという。真福寺は、小田原北条氏家臣飯田図書が開基したと伝えられる。 さらに進むと東名高速をくぐる。ここは●田中橋といい、「谷沢川」に架かる橋だったが、橋の面影は全くない。 |
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その先二股になっている所に●延命地蔵がある。右へ進む道の方が古く、今回は右の道を取り、慈眼寺方向へ向う。 環8交差点は真っ直ぐ渡れないので、少し迂回して進みます。右手に「大空閣寺」があり、その先T字路の正面に●瀬田教会がある。 、教会の前を右に行った所に「笠付庚申塔」という古い庚申塔がある。その先の坂の上に●慈眼寺がある。徳治元年(1306)法印定音の開山と伝えられ、もとは崖下にあった修験所を瀬田の郷士長崎四郎左衛門が崖上に移し長崎家の祈願所とした。 15:32 |
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■瀬田~二子玉川 慈眼寺の隣は●瀬田玉川神社が建つ。急な崖の上に建つ神社で、寛永え年間に創建された御嶽神社があったところで明治41年にあたりの神社を合祀して現在の神社となった。急な階段を下ると道は多摩川の河岸段丘でできた急坂を下って行く。治大夫橋を渡り、●玉川商店街を過ぎて行くと、左側に●東急「玉川駅」が見える。 15:55 |
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★ 新町、行善寺線 ■三軒茶屋~新道(玉川通) 2010年6月20日 地下鉄半蔵門線経由で三軒茶屋へ再び来ました。●追分地点で,右は前回歩いた旧道、左は玉川通りに沿った江戸時代の文化・文政期頃(1800年代前半)に開通したといわれる新道で、●首都高速の高架が続いている。 300m程で●左へ入る道があり、左斜めに入って行く先は「中里通」という 。 10:50 |
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すぐ右手のビルに囲まれた、きゅうくつな所に●伊勢丸稲荷大神がある。正一位とあって、威勢がいいのだけど、とても小さな社ではある。案内石碑も立っているが、小さい字で読みにくい。「大山通」と書かれた丸い石碑がある。 ●「中里通り」は玉川通りの喧噪から離されて、いかにも旧道という感じで静かで少し上がり坂になっている。やがて「玉川通り」に合流してしまうが、その手前左手に●「地蔵尊」が建つ。 11:05 |
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桜新町に近づくにつれ、「サザエさん」のイラストがあちこちにあふれてくる。「桜新町」信号を左へいく道は「サザエさん通」で、300m位行くと、●長谷川町子美術館が左手にある。作者の長谷川町子さんが住んでいた所である。 旧道に戻って先に進み、●三叉路の所で右斜め前に進む。やがて前回歩いた旧道とぶつかる所が古い●大山道との追分地点になる。左手角に「大山道追分」と書かれた新しい追分道標が立つ。元の道標は郷土資料館の庭に移設されている。 13:10 |
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