●大山街道二子・溝口宿の町並
大山街道二子宿を溝口宿に向って歩きます。二子宿は多摩川から下宿、中宿、上宿と並んでおり、光明寺のあたりが中心で、「高津交差点」まで続き、その先から「栄橋交差点」まで溝口宿が続いていた。2宿が連続して繋がっている形になっていて、寛文9年(1669)に宿として定められた。現代の街道は狭い割に車が多く、並んで歩くことができないくらい。駿河の茶や真綿、伊豆の椎茸、乾魚、秦野の煙草などを扱う商人で宿は大変栄えたという。
左手のマンション脇の小公園が岡本かの子、岡本太郎の●生家の跡になる。岡本かの子の実家は、江戸時代屋号を「大和屋」といい、二子村名主をつとめたほどの商屋であった。 右手の●光明寺は大貫家の菩提寺で、兄大貫雪之助の墓がある。雪之助は東大在学中から詩や小説を発表し、島崎藤村門下生の逸材として将来を嘱望されていたが感染症で24歳で亡くなっている。 |