大山道を歩く 2
       (玉川新地~青葉台まで)
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 二子新地-高津-栄橋-梶ケ谷-鷺沼-あゆみ丘-荏田-鶴見川-再勝橋-青葉台        14.2km


2010年7月4日 ※ 写真をクリックすると拡大します
 ■二子新地~高津交差点
  地下鉄半蔵門線から直通で「二子新地駅」に到着。改札を出て、早速多摩川土手へ行ってみた。●二子の渡し場があったあたりで、下流から斜めに渡船が来ていた。二子橋の袂に●二子橋の親柱が残されている。渡しはなんと大正時代まで使われていたようで、大正14年にやっと二子橋が完成している。駅方面へ戻って行くと、右手に●「旧大山街道二子の渡し場入口」と書かれた白い案内標柱が立っている。  10:35

  標柱を見ながら川の方へ進むと、白い白鳥のような記念碑が見えてきて、●岡本かの子文学碑であり、息子の岡本太郎の作品である。この地は岡本かの子の実家があり、太郎もここで生れている。文学碑は●二子神社境内に建てられている。二子神社は寛永18年(1641)の創建で旧二子村の村社。 大山街道に面した入口に●鳥居と大山常夜燈が立っている・・・・・・のはずだったけど常夜燈は説明板だけで現物が立っていなかった。  なんだろうと思って色々調べたら、地元の二子商和会にて毎年の大山の山開きの7月26日より8月27日まで立てているということのようだけど・・・   10:45

   ●大山街道二子・溝口宿の町並
 大山街道二子宿を溝口宿に向って歩きます。二子宿は多摩川から下宿、中宿、上宿と並んでおり、光明寺のあたりが中心で、「高津交差点」まで続き、その先から「栄橋交差点」まで溝口宿が続いていた。2宿が連続して繋がっている形になっていて、寛文9年(1669)に宿として定められた。現代の街道は狭い割に車が多く、並んで歩くことができないくらい。駿河の茶や真綿、伊豆の椎茸、乾魚、秦野の煙草などを扱う商人で宿は大変栄えたという。
 左手のマンション脇の小公園が岡本かの子、岡本太郎の●生家の跡になる。岡本かの子の実家は、江戸時代屋号を「大和屋」といい、二子村名主をつとめたほどの商屋であった。 右手の●光明寺は大貫家の菩提寺で、兄大貫雪之助の墓がある。雪之助は東大在学中から詩や小説を発表し、島崎藤村門下生の逸材として将来を嘱望されていたが感染症で24歳で亡くなっている。   

  右手蔵造のような●飯島商店があり、その前に大釜がでんと置かれている。大釜はNHK大河ドラマ「黄金の日々」で石川五右衛門が釜茹でにされるシーンの撮影に使われたという口上板が立っている
 右手の高津図書館前の緑地に、●国木田独歩文学碑がある。独歩は明治30年、溝口を訪れて旅館亀屋に1泊、このことが「忘れえぬ人々」に描かれ、この作品により明治文壇に不動の地位を築いたという。 すぐ先右手に●タナカヤ呉服店がある。江戸時代から続く老舗田中呉服店で、明治に建てられた代表的な「蔵造り」の店である。   11:01

  ■高津交差点~栄橋
 ●高津交差点
を渡ってすぐ右角に田中屋秤店がある。二子宿はここまで。田中屋は宝暦年間(1760)によろず屋を開業。その後幕府から秤の販売免許を受けたという老舗だが、建物は新しいビルである。
 その先右手の●灰吹屋も明和年間(1764~)創業の老舗の薬屋さん。土蔵は昭和35年までお店として使われていた。
 少し先の右手に「大山街道ふるさと館」がある。その隣が「益子焼」で有名な「浜田庄司」の生家という「大和屋」ケーキ店。その向いが●岩崎酒店。屋号を「麹屋」といい、明治中期より酒造りを続けてきたが、昭和19年に閉鎖し、以降は小売業を営んでいるとか。  11:20

  そのすぐ先に二ケ領用水が流れ、●大石橋という常夜燈のある石橋が架かっている。徳川家康は、江戸近郊の治水と新田開発に取り組み、用水奉行・小泉次大夫(こいずみじだゆう)に命じて、稲毛から川崎領六郷に至る本用水路を造らせた。用水は川崎のほぼ全域にあたる稲毛・川崎の二ヶ領を潤し、この地の発展に寄与している。その本流は、ここ大石橋で大山街道と交わっている。
 大石橋を渡ってすぐ左手に●稲毛屋金物店。創業は天保年間(1830~)。「駅入口」信号の先、右手に●溝口神社がある。もと赤城社と呼ばれ、溝口村総鎮守で、明治の廃仏毀釈で宗隆寺と分離し、名前も溝口神社となった

  神社の先右手に●宗隆寺がある。入口のすぐ右側に●芭蕉の句碑と濱田庄迩司の事を記した案内板があります。墓地には陶芸家浜田庄司も眠る。境内左手に芭蕉句碑があり、「世を旅に代かく小田のゆきもどり」と刻まれている。
 次の●栄橋交差点で溝口宿が終る。交差点を渡った左角にさかえ橋の親柱がある。栄橋は、平瀬川と根方堀(ニヶ領用水)が交差したこの場所にあった。12:25

  ■栄橋~梶ケ谷
  「南部線」の踏切を渡り、「溝の口」駅前に●庚申塔がある。大山街道の道標も兼ねている。
 その先、線路脇のの所を入り、緩やかに右に曲がって登って行くと、左手角に「ねもじり坂」の案内板があり、●ここを左折するのが旧道で、真っ直ぐ行くと新道の坂になる。案内板によると、●「ねもじり坂」は昔は今より急坂で、東京へ野菜を運び、帰りには下肥を積んでくる牛車・荷車などにとっては別名「はらへり坂」とも呼ばれた難所だった。「ねもじり」の意味は不明だが、坂がねじれているからという説もある。大山街道は中原街道と同じで多摩丘陵の起伏の多い所を通るので難所となる坂が大変多い。12:40

  坂を登りつめた辺り、左手に立派な●地蔵堂がある。昔、西国巡礼から戻った村人が、子を授かったお礼に建てたという。そのまま進み、●梶ケ谷交差点を歩道橋で渡る。その先を左手に入って行く。
 しばらく歩いて、「宮崎中」信号で左斜めにに入って行くと、民家の間に●「宮崎大塚」と呼ばれる小さな塚がある。古墳だか何だかよくわからないそうだ。特に案内板もなく、民家の中にあるため、初めはどこだかよくわからず少し探してしまった。上まで続く階段があって、上ってみると「馬絹大塚供養塔」と書かれた石碑がある。  13:05

 ■梶ケ谷~鷺沼
 街道に戻って、、「宮崎団地前」信号から右手の●庚申坂という真っ直ぐな急坂を下りて行く。このあたりはから「宮崎平駅」あたりまでは昔の大山街道の痕跡はなく、正確なトレースができないので、それらしき道を通るだけになる。
 「宮崎第二公園」を通り、「ガーデンオフィス」を右折、すぐ左折して「宮崎双葉幼稚園」を過ぎて、左折、右折を繰返すと「コンビニ」がある。左へ下りる急坂が●「八幡坂」という。
 坂を下って行くと、「東急」の線路脇へ出て、「宮崎平駅」が見える。
 駅前右手に●八幡神社がある。急な石段が延々と続いているので、気温が30℃を越える中、気合を掛けて上った。
途中の「小台庚申堂」と書かれているあたりを旧道が通っていたといわれている。頂上の社殿は、鰹木が乗った千鳥破風・唐破風の曲線が美しいきれいなものだった。   13:50

  宮崎平駅を過ぎ、●JAの建物の所を旧道が通っていたというので、建物の脇を通り、ガードをくぐり、レンタカーの脇から竹林を過ぎ、坂道を上がって行く。
 ●「小台公園」の所を右折していくと、やがて●バス通りの広い道へ合流した。その先に「鷺沼駅」がある。本日はまだ14時20分ほどだけど、気温が高く、くたびれたのでここで帰ることにした。歩行距離は9km足らずでいつもより大幅に少ない。
 14:20

 2010年7月19日
■鷺沼~横浜市との市境
 鷺沼駅10時30分に到着。交番前信号を右折し、みずほ銀行脇を抜けると●八幡坂に出る。現在でもかなりな急坂で昔は大変だっただろうと思う。下って246号を右折すると、すぐ右手に●阿弥陀堂がある。元禄元年(1688)の石造阿弥陀立像が安置されている。道の向うの●ファミリーマートは大正時代に立場だったという「八百国商店」。このあたりの大山街道はななめに通っていたというが、246号に分断されたりしてなくなっているので、コンビニ脇を直角に曲って右、左へとジグザグに行くしかない。    10:52

 鷺沼二信号で左折して、緩やかな坂を上る。すぐ右手に道標を兼ねた●馬頭観音がある。左側のひし形の大きな石碑に長い解説が書かれている。それによると、かつては上有馬と牛久保の境近くにあったのが、土地改良事業により移設されたものだ。かなり損傷が激しくて読めないが、案内によると、左側面には「大山道」、右側面には「王禅寺道」と書かれている。
 途中右手階段の上にある●民家は現在の道とは斜めに建っていて、家の方向と並行に昔の旧道が通っていたという。 ジグザグ道をたどって、坂道を上りつめ、旧道が復活する辺りから●横浜市に入る。途端に左右に見事な枝振りの緑豊かな植木が続き、前方に見晴らしのよい視界が広がってきた。   11:10

 ■横浜市との市境~地下鉄高架橋
 
このあたりは●「横浜市あゆみ丘」で右側は新しそうな住宅が続き、左側はきれいな植木がいっぱい植えられている。あたりの植木は、「皆川園」のもので、皆川園は旧立場を開いていた「皆川家」のこと。相当の高台で景色がよく、休憩するには絶好の場所であっただろうと思われる。しかし今見えるのはマンションばかりの風景だ
 皆川園の前はゆるい坂道となっていて、「うとう坂」や「血流れ坂」があるといわれるが、坂の表示があるけででもなく、やがて右側に●マンションが建つ急坂に出会うけど、どこからどこまでが「うとう坂」か「血流れ坂」かよくわからなかった。マンションが建つ急坂が「血流れ坂」かもしれない。 坂を下りた付近を●「牢場谷」と呼ぶそうである。本当は牢場ではなく。「老馬」であり、出入口が狭い袋状の地形の谷戸と言われ、牧場があったという。   11:25

  ■地下鉄高架橋~荏田
県道を渡り、緩い坂を上がって行くと、高架線に出会う。「横浜市営地下鉄ブルーライン」が高架の上を通っている。
 坂を下って行くと、左手に●不動滝がある。水を飲むと喘息、風邪に霊験ありとされる、が、ちょっと飲む気はしない。
「生で飲まないように」という注意書がある。滝の上には●老馬鍛冶山不動堂がある。石段がかなり急であった。
 その先で●早渕川に突き当たる。昔はここに橋が架かっていたという。今は渡れないので、そのまま左へ行き、鍛冶橋を渡って行くことになる。早渕川には鯉が泳いでいたりした。  11:42

  ■荏田~江田駅
 鍛冶橋を渡り右折するとマンションの前に●庚申塔がある。寛政5年(1793)荏田村下宿の婦人達により建立された。ここは、荏田宿の入口に当たり、右折すると●荏田宿が始っていた。・・・・・しかし現在は普通の道路で全く宿の面影はなく、渋滞の車が並んでいるだけ。・・・・・・荏田宿は江戸を朝立った旅人が最初に泊る宿である。江戸時代は宿駅としてまた近郊農村の物資集積地として栄えたといわれる。「渡邊崋山」は天保2年にここに宿泊している。右手の民家の敷地内に、●中宿秋葉講常夜燈がある。文政4年(1821)の大火の後、文久元年(1861)に防火祈願のため秋葉神社を勧請して建てられた。  11:54

  その先のコンビニの所で左折するが、ここに高札場があったといわれる。
左折して行くと、右手にこんもりとした高台が続く。ここが●荏田城址といわれ、鎌倉道や矢倉沢往還の抑えとして小田原北條氏の支城とされる。 この通りには大きな農家が並び、街道の面影が残っている。
 一旦大きな道路に合流してすぐ右の●細い道に入ると、右手に竹林が続いていて、庚申供養塔があるというので、探してみたが草で被われて見つけられなかった。東名高速道路の高架下を通って行くと、江田駅のガード手前右手に●地蔵堂がある。三体の地蔵が祀られている。  12:20

  ■江田駅~地蔵堂下
 
ガードを越えると左側に「江田駅」がある。駅脇の●トンネルをくぐり、線路の反対側へ出て、またガードをくぐり直して、線路沿いの道へ出る。ここらあたりの旧道は線路をS字型にまたいでいるので、このように歩く必要がある。
  線路の北側を真っ直ぐ行くと、段々右寄りになっていき、旧道は●「長谷公園」手前で右斜めにへ入っている。このあたりは旧道が残っている。 少し右に左に曲がると、右手高台に●市ヶ尾竹下地蔵堂がある。真宗の寺で、江戸中期に建てられた。石段の左側に石仏やら沢山並んでいる。   12:50

 ■地蔵堂下~鶴見川
 
地蔵堂を過ぎて一つ先の信号の手前を左折し、●猿田坂を下る。「猿」は「去る」に通じるため嫁入り行列はこの坂の通行を避けたという。以前坂の右側に道標を兼ねた庚申塔があったという。
 坂を下った所の日野往還と呼ばれる道との交差点左手に●旧旅籠「綿屋」だったという建物が昔ながらに残っている。明治15年頃の建築で明治末期に廃業している。現在は個人の表札が架かっていた。斜め向かいの角に茶屋兼旅籠「石橋屋」があったが明治15年焼失したという。 やがて広い県道を渡り●鶴見川を川間橋で渡る。昔は少し下流に「三文橋」というのがあり、渡り賃を3文取っていた。

 ■鶴見川~医薬神社
 
川間橋を渡った先、右手にNTTのビルが見える二叉の所は●「大難の辻」と呼ばれていたあたりで、昔は急坂で大雨が医薬神社方面(西南方向)から土砂崩れが起こり、現在のNTTの周辺の田畑も土砂に埋没したという。
 その先右手の民家の庭に●「一里榎」がある。昭和47年に区画整理により移植された。樹齢600年だそうだ。真ん中の空洞は明治3年の火災の痕跡だそうだ。 テニスコートを左に見て、右折すると●医薬神社がある。このあたりも旧道が残っておらず、ジグザグに歩くしかない。 境内に双体道祖神などがある。   13:30

 
 ■医薬神社~再勝橋
 
神社の角を左折して行くと●藤が丘ゴルフ場にぶつかる。ゴルフ場の前の坂道を下っていくとT字路に出た。正面に神奈川県指定銘菓の店という●和菓子店がある。
  旧道はこの和菓子店を斜めに横切り、波を描くように、国道246号をジグザグに交差をしている。青葉台駅へ通じる地点まで旧道を歩くことができないので、246号を歩くのが手っ取り早いとは思う。しかしここは「風人社」の本に沿って歩いて行きたいと思うので、和菓子店の先を右折して、「ビバホーム」の裏を真っ直ぐ行き、「ヤマダ電機」を左折して、●再勝橋を渡る。ここは246号が下を通り、更に地下を「東急田園都市線」が通っている。  14:05

 ■再勝橋~青葉台
 
再勝橋を渡り次を右折し、坂を下って行くと●「つつじ丘第二公園」がある。広い道を右折し、246号のガードをくぐると「青葉台」交差点にぶつかる。旧道は左へ行くのであるが、本日は暑いこともあり、ここでやめにすることにして、右折して、●「青葉台駅」から真っ直ぐ、東急、半蔵門線とで帰宅することとした。  14:15