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大山道を歩く 2 (玉川新地~青葉台まで) |
歩行地図はこちら 地 図 |
二子新地-高津-栄橋-梶ケ谷-鷺沼-あゆみ丘-荏田-鶴見川-再勝橋-青葉台 14.2km |
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そのすぐ先に二ケ領用水が流れ、●大石橋という常夜燈のある石橋が架かっている。徳川家康は、江戸近郊の治水と新田開発に取り組み、用水奉行・小泉次大夫(こいずみじだゆう)に命じて、稲毛から川崎領六郷に至る本用水路を造らせた。用水は川崎のほぼ全域にあたる稲毛・川崎の二ヶ領を潤し、この地の発展に寄与している。その本流は、ここ大石橋で大山街道と交わっている。 大石橋を渡ってすぐ左手に●稲毛屋金物店。創業は天保年間(1830~)。「駅入口」信号の先、右手に●溝口神社がある。もと赤城社と呼ばれ、溝口村総鎮守で、明治の廃仏毀釈で宗隆寺と分離し、名前も溝口神社となった |
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神社の先右手に●宗隆寺がある。入口のすぐ右側に●芭蕉の句碑と濱田庄迩司の事を記した案内板があります。墓地には陶芸家浜田庄司も眠る。境内左手に芭蕉句碑があり、「世を旅に代かく小田のゆきもどり」と刻まれている。 次の●栄橋交差点で溝口宿が終る。交差点を渡った左角にさかえ橋の親柱がある。栄橋は、平瀬川と根方堀(ニヶ領用水)が交差したこの場所にあった。12:25 |
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坂を登りつめた辺り、左手に立派な●地蔵堂がある。昔、西国巡礼から戻った村人が、子を授かったお礼に建てたという。そのまま進み、●梶ケ谷交差点を歩道橋で渡る。その先を左手に入って行く。 しばらく歩いて、「宮崎中」信号で左斜めにに入って行くと、民家の間に●「宮崎大塚」と呼ばれる小さな塚がある。古墳だか何だかよくわからないそうだ。特に案内板もなく、民家の中にあるため、初めはどこだかよくわからず少し探してしまった。上まで続く階段があって、上ってみると「馬絹大塚供養塔」と書かれた石碑がある。 13:05 |
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宮崎平駅を過ぎ、●JAの建物の所を旧道が通っていたというので、建物の脇を通り、ガードをくぐり、レンタカーの脇から竹林を過ぎ、坂道を上がって行く。 ●「小台公園」の所を右折していくと、やがて●バス通りの広い道へ合流した。その先に「鷺沼駅」がある。本日はまだ14時20分ほどだけど、気温が高く、くたびれたのでここで帰ることにした。歩行距離は9km足らずでいつもより大幅に少ない。 14:20 |
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■再勝橋~青葉台 再勝橋を渡り次を右折し、坂を下って行くと●「つつじ丘第二公園」がある。広い道を右折し、246号のガードをくぐると「青葉台」交差点にぶつかる。旧道は左へ行くのであるが、本日は暑いこともあり、ここでやめにすることにして、右折して、●「青葉台駅」から真っ直ぐ、東急、半蔵門線とで帰宅することとした。 14:15 |