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大山道を歩く 4 (さがみ野~愛甲石田まで) |
歩行地図はこちら 地 図 |
さがみ野-赤坂-小園-望地-国分-海老名-相模川-厚木-旭町-岡田-愛甲石田 13.4km |
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■赤坂~小園(東海古道) 「赤坂」バス停のところに、●赤坂道標と不動明王坐像がある。道標の上に不動明王坐像が乗っている。バス停の先に●ゆるく上がっている道があって、「崋山ゆかりの道」という解説板が立っている。・・・ここから右手に向かう道は、古東海道との言い伝えがあり、天保2年(1831)渡辺崋山はこの古道から小園村に入り、少年期に世話になった「あこがれのお銀さま」を訪ねたのでした。・・・・。看板の右、江戸方から見て左手に斜めに上がって行く道があり、古東海道跡もあるらしいので寄道してみた。 左へ入って行き、県道を越えて行くと、山道へ入る入口にぶつかり、その先が●古東海道の面影を残す道である。ちょっと寂しげな山道だけど、「小園」バス停付近で終ってしまい、出口に小さな道祖神があった。11:00 |
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■望地~国分 墓からバス通を通って●「望地」交差点まで戻って来た。その名のとおり、道の正面に「大山」が良く望める。街道は県道40号を横断して●道下公園の方へ迂回して上がって行く道である。公園から坂を下って、また県道に合流し、●目久尻川を渡る。川を渡って、川沿いに右折して行く。少し行くとフェンス沿いに宝暦7年(1757)の石橋供養塔があった。 |
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左手森のような高台は●伊勢山自然公園。公園の中をぐるっと通って外へ出たら、●「伊勢山大神宮」への参道替りの階段があった。階段を上がると大神宮とは名ばかりの、小さな祠が建っていた。 公園の中を歩いてしまった為に、「史跡逆川碑」を見損ってしまったようだ。逆川は目久尻川から引いた、人工の用水堀で、低い場所から高い所へと流れていることから逆川と呼ばれたという。 県道へ出てその先、「国分」バス停のあたりは「国分宿」があった所で、村役場があり、大変賑わっていたらしい。国道406と407号が交差するあたりは国分の辻」と呼ばれる。ここに嘉永年間に建てられた●道標、庚申塔などがある。またここには高札場もあった。 12:06 |
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■海老名駅前~海老名駅前 海老名駅前を進み、小田原線を陸橋で越えて行くが、陸橋から●大山が正面によく見える。河原口を過ぎて●県道40号線は左へ折れて行くが、旧道は真っ直ぐ細い道を少し進み、コンビニの裏を通って行く。ここから先は何回か右折左折を繰返し、「七曲り」といっていたという。途中左手に児童館と●歴史資料収蔵館という建物があった。 13:15 |
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■旭町~岡田 旭町三丁目の先、右手に●最勝寺がある。門は閉ざされて入れる雰囲気ではなかった。昔、旅の僧が動かなくなった阿弥陀仏を拝んだところ、村が流行り病を免れたので、宿にした閻魔堂の隣に寺を建立したのが始まりといわれている。境内の閻魔堂は見ることができず。 最勝寺の先の●熊野神社の所に「あるぎの文化財案内」が立っていて、旧厚木宿の古い写真が貼ってあったので、参考になると思って撮っておいた。 熊野神社の境内には●渡邊崋山「厚木六勝図」熊林暁鴉の記念碑というのがあって、神社付近は、古くからうっそうとした森で、天保2年に厚木を訪れた、渡邊崋山が描いた「厚木六勝図」の一枚「熊林暁鴉」は、その風景を描いたものとされています。 14:20 |
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■片平~愛甲石田駅 さて、大山街道は国道を過ぎ、玉川を渡り、真っ直ぐ進んだあたりは昔は酒井村といい、「酒井宿」があったという。小田原・厚木道路をくぐり、片平に入り、●玉川橋を渡ると直角に左折する。右手角に「愛甲宿の道標」と呼ばれる●庚申塔がある。「右 江戸 青山 あつぎ道。 左 大山道」などと刻まれている。 左折すると●愛甲宿に入ったと思われた。愛甲宿は比較的小さい宿場で、立場の外にまんじゅう屋、紺屋などがあったという。 15:50 |
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右手奥に、いささか派手な●円光寺の山門が見える。この寺の前の住職はかの有名な「織田無道」が勤めていたとか。寺を過ぎた先の交差点は何故か●「宿愛甲」と名前が逆に付いている。 大山街道は信号を右折して、すぐ左に折れると●小田急線愛甲石田駅に着いた。本日は4時を過ぎたのでここで終りとした。 16:05 |
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