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大山道を歩く 3 (青葉台~さがみ野まで) |
歩行地図はこちら 地 図 |
青葉台-片町-長津田-町田市辻-鶴間-さがみ野 12.7km |
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墓地を出て左へ行くと246号にぶつかるが、手前右側に道標を兼ねた●供養塔がある。文化五年と「上がり 江戸道と下り 大山道」の文字は読める。 国道に出て右折して,少し行き「恩田大橋」を渡る。下を流れるのは●「恩田川」という。改修前は暴れ川でしばしば洪水を起していたとか。 ●「片町」信号で右側へ入ります。ここから本来の旧道に入るようだ。 11:22 |
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■長津田交差点~町田市辻 国道246号を歩いて行くと、左側に●フィールドアスレチックがあり、親子連れが楽しそうに遊んでいた。 やがて左手に「マック」が見えてきて、脇を左回りに入るようになっていると事前に学習していたが、・・・・マックは閉店している。・・・・左へ入る道はあった。・・・ちょうどこの道が横浜市と町田市との境界にあたる。左手に「陸軍殉職に碑」があるというので付近を探してみたがどうしても見つけられなかった。あたり工事用のフェンスで囲ってあったので移動したのかもしれない。 マック跡の所の歩道橋を渡り、国道の向うへ出ると。音楽スタジオのような建物があり、そこを●右へ入って行く道がある。ちょっと上がると見晴しの良い尾根道に出る。ここは●「馬の背」といって、馬の背に似て、右手の町田方面の眺めがすばらしい。 13:05 |
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■町田市辻~鶴瀬橋 246に戻り、陸橋の下●「町田市辻」交差点を交差している道は「町田街道」という。明治初期、八王子から絹を運ぶ、シルクロードと呼ばれた道である。ここは以前「浜街道(絹の道)」として歩いたことがある。 246を左に折れて行き、国道16号を●「東名入口」で横断して行く。横断した先はゆるい右回りの円弧を描いて進んでいる。途中のコンビニの前の角に●大ヶ谷庚申塔が立っている。正面に「つるま」と彫られ、注連縄が張られている。後ろの石碑は「供養塚」といって天明の大飢饉の犠牲者を供養したものという。 13:42 |
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■鶴瀬橋~鶴間 ●下鶴間宿 神社の前の道は下鶴間宿にあたり、江戸よりおよそ11里。紺屋、げんこく屋、居酒屋、餅屋などの商屋、山本屋、松屋、などの旅篭があった。現在は宿場の面影はないが、大きな屋敷が点在していて、昔の雰囲気は感じる。ただ道がせまくバスもやっとという感じで通り過ぎていく。 中程の左手に旧家小倉家を利用した●「下鶴間ふるさと館」がある。館の前に昔の宿の案内図があって、昔の様子がわかる。 右手にある●大きな家は伊能忠敬測量隊が、測量の途中、宿泊した家といわれる。 14:20 |
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■鶴間~さがみ野 右手、石段の上り口に●上半分が欠けた不動尊の石像が立つ。階段の上には「鶴林寺」が建っている。 右手の道標の立つ所は●「まんじゅう屋跡」で、渡辺崋山が藩主の命により、藩主の生母「お銀」の消息を訪ねるために江戸を立って、1泊目にここに宿泊している。 先の滝山街道が交わる地点に日枝神社があり、境内入口に●矢倉沢往還の説明碑、庚申塔や青面金剛立像が配置されている。 14:50 |
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町中の道をどんどん進み●小田急江ノ島線の鶴間駅付近の踏切を越える。●大和斎場入口信号で道は二叉に分岐しており、ここは右側を行く。 すぐ右に●西鶴寺という寺がある。 15:24 |
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