甲 州 街 道






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  9 府中宿~日野宿     歩行地 図
    宮元町2丁目-札の辻-片町-本宿町-谷保-青柳-錦町-日野橋-日野宿入口    8.9km

9府中宿
 府中はかつての武蔵国府、武蔵総社(大国魂神社)があった武蔵の国の中心。鎌倉街道が通り、甲州街道が整備されると宿場として栄えた。現在の宮町が昔の「新宿」、宮西町が「番場宿」で「本町」と合わせて3町、3宿で府中宿が成り立っていた。この3宿が一ヶ月を三分し交代で問屋場を勤めた。 本陣は本町に1軒、脇本陣は新宿、番場に1軒ずつ、その他旅籠屋、木賃宿、飯盛旅籠がそろっていた。
 本陣1 脇本陣2 旅籠29

2017年7月17日の続き。    ※ 写真をクリックすると拡大します
■八幡宿交差点~大国魂神社前
 ●八幡宿交差点から宮元町へ入り、府中宿の内、「新宿」が始まります。現在の国道の北側が新宿に相当し、南側は八幡宿の内の「京所」と呼ばれた地区になります。宮元町は「伊勢丹フォーリス」などのビルが立ち並び昔の面影はありません。 ●明治サウスビル脇に脇本陣、田中三四郎家の跡を示す看板が立つ。昔柏屋といったそうです。明治天皇府中行在所の碑もある。屋敷は府中郷土の森へ移築したそうで碑だけ。その隣は同じく近江屋というが跡形もない。その先北側には●ケヤキ並木が続きます。大国魂神社の参道であり、かっては馬場でありました。慶長年間家康が神社に寄進したもの伝わる。並木は源義家が前九年の役の途中、戦勝記念に千本寄進したのが最初といわれ、●源義家の銅像が途中に立っています。    13:35

★称名寺・大国魂神社
 参道の北側の左手を入った所に●称名寺があります。時宗の寺院ですが、清和源氏の祖「源経基」が武蔵介として赴任した時の館址と伝えられている。経基は赴任早々現地代官武蔵竹芝ともめ事を起こし、平将門の乱のきっかけをつくった人物と伝わっている。
 国道南側は言うまでもなく●●大国魂神社が鎮座している。、武蔵国の一之宮から六之宮までを合わせて祀るため、「六所宮」とも呼ばれ、武蔵国の総社にあたる。境内地がかつての武蔵国の国府跡にあたり、境内の東側に「武蔵国府跡」も「武蔵国衙跡地区」として国の史跡に指定されています。  13:50

■大国魂神社前~府中市役所前
 大国魂神社前交差点から先は宮西町となり●旧番場宿に入ります。ここから府中街道との交差点まで、150m程がかっての府中宿の中で最も賑わった所で、「神戸」と呼ばれる場所であったといわれる。道路の拡張で景観は一変してしまったが、右手のホテル●「松本屋」は江戸時代から旅籠を営む老舗です。
 まもなく●府中街道との交差点になります。昔は札の辻と呼ばれ南側に●高札場が当時のまま残さされている。そして北側には安政年間に(1854~)に建てられた蔵造りの酒屋があって、当時の姿を伝えている。  14:15

■府中市役所前~片町
 片町に入って南側に広い境内お持つ●高安寺があります。片町の名前は南側のほとんどが高安寺の境内で占められ、北側にしか町並みが無かった為と云われる。山門裏の像がすごくて、右側に●地獄の脱衣婆の像が鎮座する、
 境内は元々将門を破った「藤原秀郷」の居館跡と伝わり、新田義貞が分倍河原の合戦で本陣を構えていたともいう。 境内の奥には●秀郷稲荷という祠も建っている。さらにその奥に●弁慶の硯の井戸と伝わる古井戸があり、平家滅亡後に鎌倉入りを許されなかった源義経、武蔵坊弁慶がこの井戸の水を使って大般若経を書き写したという伝説がある。 ここで少し早いが暑くもあり疲れたので終了することとして「府中本町駅」から帰宅しました  15:00

  2017年8月27日   ※ 画像をクリックすると拡大します
 ■片町~本町交番前交差点

 府中本町駅へ9時に到着。駅から高安寺へ向かい街道歩きを再開します。
 寺を過ぎると京王線の踏切を越します。踏切の南側にはJR南武線の分倍河原駅があるが、分倍河原合戦の古戦場は駅から南の多摩川にかけての一帯であり、古戦場の碑が分梅町2丁目の新田川分梅公園の入口に建っています。
 その先左手に●大きな冠木門の家があります。かって旧本宿村の名主を務めた内藤家という。この門は幕末期の府中宿の本陣であった番場宿の矢島家の門を移したものと云われています。
 やがて本宿町2丁目に入り、●本宿町交差点で国領町で別れた国道20号と合流します。その先本宿交番前交差点の西側角に●常夜燈が立っています。秋葉大権現の常夜燈で寛政4年(1792)本宿村講中が立てたもの。    9:45

■本町交番前交差点~谷保
 交差点から200m程先の右手に「熊野神社古墳展示館」の看板が立っていて、その奥に●熊野神社があります。本宿村の鎮守であるが、その奥葺き石で覆われたきれいな古墳が残っており、●国史跡、武蔵府中熊野神社古墳といい、飛鳥時代の上円下方墳といわれる。詳しい説明は府中市のHPを見ていただきたいが、保存整備工事が終わり、葺き石で覆われた本来の古墳の姿を見るのは神戸の「五色塚古墳」以来で珍しいことだと思います。
 南武線の上を通る「西府橋」を通過すると、国立市谷保に入ります。 「国立インター入口」バス停の所に「史跡 獅子宿」の石碑が建っています。宿と云っても、宿場のことでは無くて、谷保天満宮で奉納される獅子舞の獅子頭を昭和44年まで佐藤家が保存していたので、その獅子頭の保存場所と云う意味で、佐藤家は獅子舞の稽古をする家、「獅子宿」と呼ばれていたそうです。 その先右手の●大きな薬医門を備える家は江戸時代名主を務めた「本田家」という。本田家から100m程先に●旧下谷保村の常夜燈があります。   10:08

★谷保天満宮
 左手一帯に広がるのは●●谷保天満宮。  東日本最古の天満宮であり、亀戸天神社・湯島天満宮と合わせて関東三大天神と呼ばれる。 社伝によると、903年(延喜3)菅原道真が亡くなった時、子息の道武は父の像を自ら刻み、廟を建てて祀ったのが創建だとされる。社殿に向かうには鳥居をくぐって石段を下って右へ回り込むように進まないといけない。これは元々古い甲州街道が多摩川の段丘(ハケ)下を通っていて、ハケ下から進むと真っ直ぐ参拝できるようになっているからという。 ハケ下には●常盤の清水というのがあるが、 昔は付近の人々の井戸として使われたといわれるも、現在は小さくてよくわからないくらい。    10:20

■谷保天満宮~矢川
 天満宮の先は「天神坂」と呼ばれる下り坂になる。昔は荷車が上がるときは近所の子供たちが後押しした程と云うが、その後の改修工事で緩やかになっている。下った先に「清水の立て場」があったといわれる。
 国立一小前歩道橋の所から左手に入り、すばらく進むと●城山公園がある。中世の豪族、三田氏館跡で土塁などが残っていると案内板に書いてあったがよくわからなかった。 南側段丘を下った所に●民家、栁澤家住宅が復元されている。 街道に戻って先に進むと、左手に●旧上谷保村の常夜燈がある。街道の向い側にあったもので道路の拡張に伴ってこちら側に移された。その奥長い参道の先に●南養寺があります。周辺は縄文時代の遺跡地であって庫裏の下から縄文中期の住居址が見つかっている。その先には矢川が流れ、道の向こうに五智如来を納める祠があります。 11:00

■矢川~日野橋交差点
 青柳に入り、福祉センター隣が青柳神社の参道で立派な●鳥居が立っている。その脇に●元青柳村の常夜燈も立っている。その隣に地蔵堂、青柳上講中の膳椀類を共同で納めるお椀倉と呼ばれるものもあります。
 200m位ある長い参道を入って行くと多摩川の土手脇に●青柳神社があります。この神社も多摩川の洪水によりこの地へ移転して来たのだが、由緒が面白いので案内板を見て下さい。神社から多摩川へ出て行くと●満願寺渡船場跡あたりで現在は運動場となっています。土手の上に案内板が立っています。  11:35

■日野橋交差点~日野渡場跡
 街道へ戻って、先に進みます。道は立川市へ入り、●日野橋交差点の五叉路へ到着。右斜めに進む「奥多摩街道」へ入り、●次の角を左へ入って行く。途中に「旧甲州街道」の表示が立っている。かってはここに「左 甲州道中」と記された道標が立っていたが、市の歴史民俗資料館に移された。
 立川市民体育館を右に見つつ、新奥多摩街道横断し進むと、●日野の渡し」を伝える石碑があります。江戸中期から大正時代まで渡しが使われていたと云われる。その先が●日野の渡しが往来していたあたりになります。日野の渡しは現在の日野橋の300m程上流の所にあった。   12:10

■日野渡場跡~新奥多摩街道入口交差点 
 現在は●立日橋を渡りますが、多摩都市モノレールが一緒に渡っています。 この先は日野橋と立日橋の間を通っていたと思われ、旧道は消えているでしょう。●新奥多摩街道入口交差点に突き当たるが、このあたりが日野宿入口にあたります。 手前左手に●東の地蔵という地蔵が祀られて、日野宿の安泰と旅人の安全を願ったと云われる。この交差点を右に入れば次の日野宿になります。 12:30

4 布田五宿 10 日野宿