甲 州 街 道



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  37 栗原から石和宿   歩行地 図
    上栗原-下栗原-日川高校-一町田中-日川橋-笛吹橋-権三郎通-石和  6.6km

37栗原宿
 江戸時代、宿場には毎月4と9の日に市が立ち、勝沼宿と共にこの一帯の農産物や織物などの集積地として栄えたといわれていますが、現在では宿の跡らしきものは何も残されていない。本陣1 脇本陣1 旅籠20
   ※ 写真をクリックすると拡大します

2008年1月20日 勝沼宿に引き続き 11:00
上栗原交差点からしばらく行くと右手に鳥居が現れ
●大宮五所大神
 の参道になる。この神社は歌舞伎造りと行いって拝殿の前板が広く、江戸時代甲府へ行く前にここで芝居をして、評判を調べたといわれている。絵馬が掛けてある。境内の●クロマツは市の天然記念物で枝垂れ樹形もよく、特に樹皮の亀裂の深さやウロコの大きさはすばらしく、樹勢も旺盛ですと

 右に鳥居を見て、街道は●真っ直ぐ細い道に入る。●ここから枡形に曲がっている。細道を直進し、源屋園というぶどう園に突き当たるので、そこで道は直角に左折し火の見やぐらの下で国道を渡ります渡ったところで栗原宿そのものは終わるようです。宿の長さは750m程度。  国道を渡ると川に向かって入っていきます。
  11:15

 そのまま進むと●日川の土手に突き当たるので、今度は土手に沿って右折する。●旧道はそのまま土手沿いに進んで新日川橋への道を突っ切って進んでいたようだけど、この道は消滅しているので、進めない。しかたなく、橋は渡らず右折して国道、下栗原の交差点へ戻ります。ここで再び国道を左に進むことになる。このあたりの進み方はちょっとややこしい。 

 下栗原交差点から国道沿いに真っ直ぐ進む。ほどなく右手に●県立日川高校が見える。この日川高校はラグビーで有名な学校。最近は低迷しているようだけども。校門前には和菓子屋が3軒もある。
●一町田中交差点
 街道はここの交差点を左折します。角に電気店がある。このまま進むと大きく左に曲がって日川橋を渡っているけど、旧道はその手前を曲がっていきます。  11:40

 交差点を左折する前に、右を見るとなにやら旧跡の看板が見えるので寄ってみます。
●田安陣屋跡
 徳川吉宗の次男田安宗武は甲斐外十万石)が与えられ、山梨郡など村を治めるために、一町田中村に陣屋(じんや)が置かた。現在壕の一部と石組の上に守護神の村上稲荷社が祀られている。  ●交差点に戻って左折する部分を行きます(陣屋からは直進)。左手には大層なお屋敷が建っていた。 11:50

●日川橋
 旧甲州街道はそのまま土手に突き当たる部分から対岸の一宮町へ日川を渡っていた。しかし現在は不可能なので、土手を右折して日川橋を渡る●対岸の旧道  
 日川橋を渡り対岸に出て、左折して土手を進む。旧道にこだわるため、橋を少し戻り、旧道の痕跡を探すと、畳屋さんを過ぎた辺りから土手を下りる道があるので旧道だろうと思い細道を行った。とたんに犬に吠えられた。

●旧街道の跡
 左側に水路がある細い道で、ここが旧道だろうと思う。真っ直ぐ行くと日川橋から来る国道を横断することになる。ただここは滅多に人が通らないようで、家の門を通る度に犬に吠えかけられる。角に甲斐犬の店があり、ウーウーすごかった。
●白山神社  12:05
 旧道は西に向かい日川の南岸を進む。ここにも球形の道祖神が祀られていた。 

このあたりはぶどう畑でなく、●桃畑が多い。一宮町 は現在は「日本一の桃の里」として全国にその名を馳ています」と宣伝している。まだ1月なので桃の花は咲いていない。紙袋が掛けてあるけどなんの意味なのだろうか。 街道は●休業中のホテルの脇を抜けて笛吹橋の方向へ土手沿いに進みます。●「甲州桃太郎街道」などという標柱も立っている。

●笛吹川
 笛吹川の土手を歩いていきますが、途中で国道が合流してくる。歩道がないので少々あぶない。旧道はここから斜めに笛吹橋の付け根あたりへ横断している。この笛吹川は江戸時代はただの小流だったそうで川を渡るという感じでなかった。明治40年の大水害で現在の流れになったもの。やがて●笛吹橋を渡ります。対岸は石和温泉の町  12:20

 ●補強工事中の笛吹橋
 笛吹橋は現在橋桁の補強工事中のようで、橋桁に鉄板が巻いてある。これだけだったら別に珍しくもないが、工事用車両の通行用に、鉄製の大きなパイプを何本も通しトンネルにして流れを通していた。印象的だったので撮っておいた。対岸に渡ると土手沿いに●松並木が続いている。松並木は明治の氾濫後に植えられたものらしいが、街道らしい風景です。(拡大しない)

 ●笛吹権三郎の像  12:30
 笛吹川の名前の由来になった像で、昔笛の上手な権三郎は母親と二人で暮らしていたが、ある晩氾濫した濁流に二人とも流されてしまった。権三郎はく助かったが、母親は権三郎の名前を叫びながら濁流に呑まれて行方不明になった。権三郎は毎晩母親の好きな曲を笛で吹きながら川下まで探し回ったが、ある日足を踏み外して川に落ちて死んでしまった。その日から夜になると川の流れの中から美しい笛の音が聞こえるようになり、村人はいつしかこの川を笛吹川と呼ぶようになった・・ ●権三郎通り
 像の前の通りは権三郎通りという。[今井金吾、甲州道中」の街道図はここではなく、1本南側になっているが、通れる道がなさそうに思えるので、ここを通ることにした。

 途中●石和川中島簡易郵便局があります。土蔵のある建物で、昔の民間の旧家が郵便局をやっていたという形態が珍しいので記録しておいた。この度の民営化でこのような簡易郵便局は廃止になるのだろうか。やがて又●国道411号に突き当たり、市部本通りへ出る。右折すると石和宿の大木戸があったそうで、石和宿の始まりです。 12:50

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