甲 州 街 道
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34 駒飼宿~鶴瀬宿 歩行地 図 |
駒飼宿-日影-大和橋西詰-立会橋-鶴瀬関所跡 1.4km |
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34 駒飼宿
馬の放牧が多いことから宿の名がついた。次宿の鶴瀬宿との相宿で、人馬の継ぎ立てを21日から末日まで行った。 黒野田と同じく笹子峠を控えて、旅人で賑わっただろうと思われる。武田氏滅亡の地に近く、又1868年(慶応四年)
駒飼宿は新鮮組の近藤勇が甲陽鎮 部隊を組織して甲府城に立てこもる 板垣退助と決戦する為、軍議を開いた場所となった。本陣1 脇本陣1 旅籠6
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2007年10月22日の続き
駒飼宿入り口右側には、●芭蕉句碑がある。
秣負ふ 人を栞の 夏野哉 芭蕉
(まぐさおう ひとをしおりの なつのかな)と読むそう。
●脇本陣跡
富屋脇本陣跡で、駒飼宿には本陣と脇本陣がひとつずつありました。茅葺きの家が残っていたようだけど、現在は空き地となっている。 13:10 |
●本陣跡
宿場を少し進むと、左側に本陣跡がある。ここは、明治天皇の小休所跡にもなっていたがここも空き地となっている。
以前は茅葺きの家がちらほら残っていたとあったが、見た所残っておらず、すべてスレート葺き屋根に変わっている。●大きな旧家も建っていたけど、茅葺き屋根だったと思われるが、葺き直している。茅葺きは維持が大変でしょうがないと思う。 13:20 |
その先で街道は、●県道から外れ左下へと分かれて行きます
●坂道になっていて、下っていきます。「大和十二景甲州街道」の標柱が立っていてここら辺は往時の面影を残しているそうです。やがて道は笹子川を渡ります。
13:25 |
>これは笹子トンネルに入る直前の●中央自動車道の橋で、上下二段の橋のように見える。近づくと二段ではなくて平行に走れないので上下線を少し離して二段のように作ってある
●野仏群
一番右の地蔵は、昔、強盗に襲われ胴体だけになった巡礼僧を供養した地蔵だという話。 13:35 |
●国道20号線合流点
街道は国道を左折します。進んで行くと日川を渡る●立合橋で、歩道が無く危険なので左を行きます。
右に行くと、武田氏滅亡の地の田野で、最後の合戦場となった「鳥居坂古戦場」や勝頼の墓のある景徳院がある。ここまで来たら、景徳院へ行きたくもあり悩むところです。 |
このまま進むと鶴瀬宿に入ります。その手前に石碑があり
●金岡自画地蔵尊碑
これは巨勢金岡(平安時代の画家)がこの地の岩に地蔵尊を描いたのですが、江戸時代には風雨に晒され、すっかり線が細くなり、普段は見えず、水をかけると浮かび上がり、人々を驚かせた。その岩も洪水で流れてしまい、碑が残るのみ ●鶴瀬の関所跡
甲州十二関の一つ。「鶴瀬の口留番所」といわれ、主に物資の流通の警戒と「入り鉄砲に出女」を取り締まった関所があった所だそうです。 13:45 |
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