甲 州 街 道
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32 阿弥陀海道~黒野田宿 歩行地 図 |
阿弥陀海道-笹子駅-黒野田-追分-笹子峠 3.2km |
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32阿弥陀海道
日本橋から数えて32番目の宿場。「此地一名を葦が窪といへり。駅の南に阿弥陀堂あり」ということから名前がついた。現在は道の字がなく、大月市阿弥陀海で(あみだかいどう)と呼ぶ。前の白野と先の黒野田と3宿で合宿となっていた。宿場の継立ては1日から15日が黒野田宿、16日から22日が阿弥陀海道宿、23日から30日は白野宿がそれぞれ行った。
本陣1、脇本陣1、旅籠4 ※ 写真をクリックすると拡大します |
2007年10月22日9時5分笹子駅着
阿弥陀海道入り口へ向かいます。笹子川橋を渡った所から宿が始まります。
●笹一酒造 (前回撮影16:10)
街道を少し入り右折した所にある。大正8年創業の大きな酒造であり、阿弥陀海道では一番の特色ある会社。ワインも造っており、見学や試飲、販売を行っている
●世界平和太鼓
駐車場脇にギネスにも登録されている大太鼓が鎮座している。太鼓口径4m80cmという大太鼓。笹一の持ち物ではなく、大月で制作したものを展示場所のみ、提供しているものらしい。 |
阿弥陀海道の町並みとしては短く、本陣、阿弥陀堂もわからなくなっている。交通量もそんなに多くはない。途中笹子餅を作る老舗がある。
●笹子隧道記念碑
笹子駅前広場に立っている。国道ではなく鉄道の方の笹子隧道の記念碑であって、明治35年に完成した、全長4,656mという当時東洋一のトンネルを記念する碑。このトンネルは中央線下り列車専用で現在でも使われている。 9:08 |
33黒野田宿
阿弥陀海道からわずか1km程であるが、背後に笹子峠を控えていたこともあって、当時は多くの旅人で賑わったのではないかと思われる。また黒垈(くろぬた)とも書いた。
本陣1、脇本陣1、旅籠14 |
笹子駅は少し高いところにあり、坂を下ればすぐに甲州街道が通っている。●JRのガード下をくぐり、道はまっすぐに進んでいく。300mほどで宿に入る。●途中のお店は屋根に屋号を掲げている。家紋入りなのでたぶん、昔の旅籠かなにかの由緒を持っていると思う。旅籠風な造りの家もちらほら見え、この辺が宿場だったことを感じさせる。 9:30 |
●笠懸地蔵
少し行くと、左手になんとも変わった地蔵が立っている。「黒垈宿笠懸地蔵由来」という説明板がある。由来ははっきりしていないが、安政2年の創建。天保の大飢饉、それに続く農民一揆など、苦渋に満ちた諸業を善かれと地蔵に心願してきたものだろうという。
●本陣跡
西はずれ、右側に古い門を持った家が本陣(殿村茂助)跡である。 9:33 |
●一里塚碑
普明禅院門前に立つ。日本橋から25里と書かれている。
●普明禅院
毘沙門天で有名なお寺。開基は武田氏の臣、天野景信という人物で、天正10年(1582)武田氏滅亡の後、この地に定着した。この景信は、本陣の先祖だそうです。 9:37 |
●芭蕉句碑
寺の境内に立っている句碑。
「行くたびに いどころ変わる かたつむり」
寺を過ぎると、人家はまばらになる。途中の街道脇に馬頭観世音、庚申塔などが並んで建っていた。また右手に笹子鉱泉などという温泉もある。朝早いせいかやっていない・・・・・・(廃業したとか夜だけとかという情報あり) 9:50 |
●追分
旧道と国道の分岐点につく。国道はここで大きく右に曲がり、新笹子トンネルに向かう。
なお、地図にはコンビニがあることになっているが閉店している。笹子峠を越えるまで店はないので注意が必要。旧道に入って、この辺は新田地区である。左折すると真っ直ぐな道が続いていて、新田下バス停の所の●青い建物の先を右折していくと峠の登り口が見えてくる。
次は笹子峠 10:05 |
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