甲州街道
江戸幕府を始めた家康は甲斐の国を支配下に置いた。ここを重視した家康は江戸から交付に至る甲州道中を開き幕府の管理下に置いた。ここを重視した理由としては、甲斐の金山を重視したとか、甲府城を拠点化したとかの理由がある。一般的には江戸城の避難所としての性格ももつと言われる。半蔵門からすぐが甲州道中であり、八王子には千人同心がいたりする。しかしここを参勤交代で使用する藩は3つだけで他の街道に比べ繁盛したとは言えなく、各宿の経営は楽ではなかった。
日本橋から下諏訪まで53里24町(約208km) 5泊6日程度の行程
参考資料
「今昔三道中独案内」 今井金吾 |