房総往還を歩くⅡ-4 
       (桜井~佐貫町駅
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 木更津-桜井交差点-波岡-南子安-八重原-法木作-外箕輪-滝の沢-岩富寺-佐貫町駅    15.76km   

1 木更津-青堀 2 青堀-大貫 3 大貫-竹岡 4 桜井-佐貫町 
5 竹岡-保田  6 保田-那古船形  7 那古船形-館山   

2026年5月17日 画面をクリックすると拡大します
 ★佐貫村道(房総往還。山側道)
■桜井バス停~能蔵院
 房総往還のうち、木更津までは大体平坦な土地を通るが、木更津から南は半島内部の丘陵地帯に入るルートがメインでした。木更津、桜井の分岐点から佐貫に向かう道は、海岸部を通るルートと、山側を通るルートに分かれ、山側ルートは「佐貫村道」と称します。もう1本、畑沢川手前で内部に入るルートがあり、こちらは「西房総街道」と称しています。この道は宅地開発などで変貌が激しく、進むのが困難な箇所があるようです。これら2本の道は「佐貫」で海側ルートと合流します。海側ルートは竹岡まで歩いているので、今回は「佐貫村道」を探索しておきました。
 ●木更津、桜井交差点。真っ直ぐ行くのが海側ルート。左折するのが「佐貫村道」になります。●「佐貫村道」。ほぼ国道127号に沿って佐貫へ至ります。道が90°右に曲がる手前、左手民家の塀の間に●四角柱の道標が立っている。正面 此方かのふざん道 三里半 此方木更津道 貮拾町」、左側面には「此方峯のやくし 一町 たかくら ミち貳里」と刻まれています。 9:07

■能蔵院~波岡
 道は右に曲がり、内房線のガードの手前、「能蔵院→」の矢印に従って右手に入って、しばらく行くと右手、高台に●日吉神社がある。石段が急で危険を感じるくらい。次に、標識に従って田んぼの中を行くと、高台に●能蔵院があり、境内に高さ4mくらいの大きな宝篋印塔がありました。 そのまま旧道には戻らず、道なりに、内房線の踏切を越え、国道127号のトンネルを潜り、旧道に合流します。 ガソリンスタンド手前●左斜め前方に入る細い道が旧道であるので、こちらに曲がり、進むと「下鳥田」交差点にぶつかり、左折して進みます。 9:40

■波岡~大久保交差点
 ●館山自動車道の高架下をくぐる。間もなく●「大久保」の三叉路交差点に到着。ここを右折するが、その前に、直進して、左角の「下烏田集会所」の前に●2つの石塔がある。左が「庚申塔・道標」で、半分に折れたのが継いである。右側面に「是より ・・・かのゝみち 東方たかくらみち」、裏面に「→(手の形)かのふ山小糸道 三り」と刻まれている。右隣りの石塔は正面に「大願成就 不浄之もの入べからず 阿らひもの一切無用」と刻まれ、裏面には「文政十二年」(1829)の年号を刻む。9:53

■大久保交差点~南子安
 交差点を右折するとゆるやかな上り坂になり、左手は「シーアイタウン」という住宅地。坂の名前は●「馬込坂」と云われるが、地元では「行人坂」呼ばれているそうだ。右手台地上に「葭ケ作貝塚」と呼ばれる貝塚があるそうだが、わからず。
 やがて君津市に入り、●林間の子安坂を上って行くと、左手に「君津市北子安配水場」がある。このあたりから下り始め、左手「千葉県君津保健所犬抑留所」の看板がある細い道の入口、右手草むらの中に●道標を兼ねた延享4年(1747)の笠付四角柱六地蔵があり、その右隣に首の欠けた仏像が乗っている供養塔があります。草で埋もれて良くわからなかった。 10:35

 ■南子安~
 道標のある場所から先、右手を見ると●君津市の町並が広がっている。このあたり市街地の縁にあたっているのでしょう。この付近右手に「うしろ稲荷」という祠があるはずなのでが、見つからず、行きつ戻りつして地図確認してもないので、住宅地で無くなったかと思い、通過して行きました。あとでストリートビューで確認したら、"2018年8月"段階ではホテルの看板のそばに存在し、"2021年2月"段階では無くなっていました。宅地開発の為でしょうか。 その先 左手に小学校の様な●清和女子短期大学附属八重原幼稚園があります。 10:50

    ~八重原
 右手に珍しい形の木造の●八重原公民館がある。中に池があったり、建物を渡り廊下でつないだりした、中々雰囲気の良い公民館です。壁に、"八重原歴史遺産を巡る遊歩道"という案内板が架かっており、これから先、巡る参考になったが、地図が大雑把でよくわからない点があった。 少し先、「九十九坊廃寺跡」の案内に従って、左に入って行くと、左手に"宝永4年(1707)の地蔵立像と昭和2年の馬頭尊 "がある。奥へ進むと、●九十九坊廃寺跡が広がっている。草地の広場になっていて、中に"九十九坊廃寺阯"の案内板が立っている。発掘調査の結果、●三重塔跡と見られる土壇と礎石、講堂跡が確認され、出土品の瓦は当時の文化の中心だった大和のものと比べても遜色ないといわれているという。 11:02

 ★鐘ヶ淵
 先の信号を右に下りて行くと、「内箕輪運動公園」が広がっている。入口に「千葉県指定史跡 鐘ヶ淵」という表示板と●元禄7年(1694)に没した「名主小榑治郎右衞門」の墓がある。公園の右手へ入っていくと、●鐘ヶ淵という池があります。"説明板"
 「鐘ヶ淵」という名称は、戦国時代の里見・北条両氏の合戦で、隣接する九十九坊廃寺の梵鐘が兵火にかかりこの池に沈んだことに由来するといわれている。 池のほとりに、江戸時代に建立された●厳島神社が鎮座している。  11:15

■八重原~法木作交差点
  県道92号を越え、法木作へ入ります。しばらくすると、左手に●双体の六地蔵像がある。1面に2体並び、双体道祖神の様な感じと思ったが、3面に計6体刻まれているので、六地蔵ではないかと思った。 その先、左手に●塞神社がある。石段周りが相当古色蒼然としているが、宝亀2年(772)の創建と伝えられ、明治維新までは「道祖神」と称し、別当寺は内箕輪の歓喜院という。神仏分離によって塞神社と改称した。石段の途中には古い庚申塔や常夜燈などがある。本殿は普通の神社造りの建築ではなく、窓が開放された、普通の民家の様な作りであった。裏手の子山は「道祖神裏古墳」というらしいが、アクセスするには上っていけばいいのか、わからず断念。碑が立っているみたいです。右手の細道を上がって行くと、左手の小山斜面に"貝殻の堆積層"の露出した所が見られ、古代、海底層であったことがわかります。 その先、●法木作信号のある交差点に出ます。左に曲がるのが「鹿野山道」。 11:50

■法木作交差点~外箕輪
 次いで、●「君津市外箕輪歩道橋」で国道127号を跨ぎ、「こほり酒店」の右横に続く"旧道"へ入ります。右手に"「辻台不動尊堂」"がある。その先、左手に●八幡神社があります。この神社は「八幡神社古墳」の前方後円墳の前方部に祀られ、後円部は国道127により1/3程度が削られている。社殿の後部に回って見たが、わずかにこんもりとした後円部が確認できた。隣に●延命寺がある。別当寺だったかもしれません。 12:05

 ■外箕輪~光聚院
 道なりに行った先で、国道と合流し、右折します。●小糸川に架かる松川橋を渡ると、「常代」に入る。橋のあたりに「渡船場」があったと云われ、昭和の初め茶店や、馬車、川船による、運送業が営まれていたという。右手一体は弥生から江戸時代に至る複合遺跡が存在し、「郡衙」跡もあったと云われています。 国道左手に●光聚院がある。光聚院は、老中阿部忠秋の夫人-承応2年(1653)没の法名で、霊験あらたかのうわさのある薬師如来に病気平癒を祈願したところ願いがかない、、当時川田山東光寺と称されていた小寺を「薬王山光聚院」と改め中興開祖したという由来を持つ。 墓地、左手奥の隅にひときわ目立つ巨大な●宝篋印塔が立ち、阿部忠秋や夫人の戒名が刻まれている。  12:25

 ■光聚院~西了寺
 郡信号を右手に渡り、コンビニの先から、右手に入り、左折すると●春日神社が鎮座している。中々風格のある神社です。「ヤマトタケル」東征の時、鹿島神をここに祀り、治承4年(1180)頼朝戦勝祈願の後、北条時政が社殿を造営したという。 又、道なりに進むと、国道に合流する。 左手、原っぱの中に●西了寺がある。かなり荒廃した感じで、無住の寺である。●仁王のない仁王門をくぐると、●本堂は全く寂れた感じ。先程の春日神社に奈良春日大社から勧請した「僧原信」が本尊を収め、「天台宗無量寿院」と号したのが始まりという。 12:52

 ■西了寺~滝の沢
 ガソリンスタンドの先の信号で、左斜めに曲がり、●山裾を南下していくのが旧道で、国道の喧騒から離れた、のどかな田圃脇の道を行きます。 途中で急に細くなり、"藪漕ぎ"が少し必要な箇所があるのだけど、通行には支障がない。  左手高台に●小山野神社がある。石段が急、且つ落ち葉で踏み外しそうになる。この神社は昭和47年、付近の春日神社、八雲神社、日枝神社が合併統合してできたもの。 広めの道に出て、左へ行くと、分岐に出て、ここは右へ下って行く。左手一体は"山砂利"採取場で、山が大きく崩されています。ため池を右手に見ながら、右に曲がっていき、民家の間を抜けて、いよいよ●上りの山道入口に来ました。 13:40

 ■滝の沢~
 これから「岩富寺」へ向かうわけだが、房総往還とは思えないような●人気のない山道で、先が見えない。そんなに急な山道ではないが、左側が急坂で滑落する雰囲気もある。一応地図上にも線が引かれてあり、GPSに入力してあるので、迷う心配はしないが、不安な感じはします。途中で君津市と富津市の境界を通るようになっている。国道127、小山野トンネルの上を通るようになっているので、山道が通れないときは、国道を通ることになります。上り詰めると●切通の壁が現れ、間違いなく来ていることがわかって、安心しました。 尚も●切通をすぎると、下り坂になり、道なりに下りていきます。 13:47

   ~岩富寺
 左手に●岩富寺山門が見えました。右手から車道を通じており、車が2台止まっています。本尊は聖徳太子作と伝わる千手観音像という、古い寺だが、戦災で焼失したそうで、面影は残っていない。山門をくぐった●本堂。法事が行われていたので近づくのを遠慮して、撮った"千手観音" 。 境内には石仏、石宮、大日如来の乗った宝篋印塔らしき石塔などが散らばっています。寺に続く車道を下って行くと、●国道手前に出ました。 14:05

 ■岩富寺~国道127・天祐寺
 後は国道127を佐貫町駅に向かってまっしぐら。左手の●ピラミッドの様な形の建物は「エンターデイメントMotheLand」という、児童発達支援事業施設だそうだ。 途中、右手に2本位旧道が弓状に迂回しており、すぐ国道に合流します。 右手高台に「北上地蔵堂」があり、これが全くの民家であって、看板だけ「地蔵堂」。その前に●石造物が左から地蔵立像、六地蔵 、供養塔と3基並んでいる。その先、右手に●天祐寺がある。曹洞宗の禅寺。14:27

 ■天祐寺~日月神社
 すぐ先右手高台に●北上神社がある。ちょっと石段が急で、上がる気が起きず、下から撮るだけ。元は西約100m先の西房総街道との合流点に建っていたという。 その100先に畑沢手前から延びてくる、"西房総街道"が合流してきている。 北上川を渡ってす
ぐ、●太陽光パネルの所を左折します。県道163に入る手前、左手に●日月神社がある。鳥居、参道、石段と続き、一段高い所に社殿が鎮座している。 14:42

 ■日月神社~佐貫町駅
 街道は、日月神社の先を右折して、佐貫町駅へは一直線。 この付近は江戸時代、佐貫藩の管理する宿場で、木戸、番所、旅籠があった所と云わる。佐貫信号の手前左手に●「天保五年創業たまさ醤油」の風格ある建物が建っています。 街道は更に進み、●カネイ理容店の手前、左手に入る道が海側から来ている、房総往還との合流点らしく、ここを左に曲がります。前回、房総往還から来た時、1本西側を曲がってしまい、間違えたようです。 道はクネクネと曲がり、内房線手前で右に曲がり、●佐貫町駅に到着しました。
 今回はここで終わりです。 15:05

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