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鎌倉街道上道を歩く 6 (武蔵嵐山駅~小前田まで) |
歩行地図はこちら 地図 |
武蔵嵐山駅-嵐山小川-奈良梨-能増-今市-塚田-荒川-花園橋-小前田 17.36 km |
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■嵐山小川~奈良梨 関越道を接続する県道11号線の「嵐山小川IC」交差点を過ぎて、新川に架かる高橋手前の左手奥、農道の傍らに●馬頭尊と刻まれた大きな石碑が目に入った。隣に馬頭観音の石仏もある。 新川に架かる高橋を渡るとやがて●奈良梨の交差点である。この地はかつての鎌倉街道上道の拠点として、戦国時代には平時に馬3頭、戦時に馬10頭を置く伝馬宿であったという(wikipedia)。右前方に鳥居が立っていて、ここに●八和田神社がある。長い参道を行くと社殿が立っている。もとは諏訪神社といっていたものが、明治22年に上横田・下横田・中爪・奈良梨・能増・高見・伊勢根・高谷の八か村が合併して八和田村を作ったので、村社八和田神社と改まった。案内板には・・・・「こに懸けられている鰐回は、延徳、弘治の銘を刻したもので~ 」 という鰐口の説明があるのだが、社殿眺め回してもそれらしき鰐口が架かっていない。由緒あるものらしいがなんだがわからず。また右手奥に大きな杉の木があって、天正18年(1590)に奈良梨に入った諏訪頼水が所領を決める際に信州諏訪から投げたスギがこの地に刺さったという伝説がある。地図には「陣屋跡」の記述があるが、確認できなかった。 12:00 |
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■奈良梨~能増 奈良梨を過ぎると●能増に入る。交通量も少なくなり、前方に森などの緑も濃くなってきた。左手に鎌倉街道上通跡の案内板があった。説明にある・・・「能増の門跡跡・・・」という説明が良くわからず、写真の感じと現地の状況が少し違うので理解に苦しんだが、案内に従って●左手奥に踏み込んでみた。 奥には道もありそうになく、民家の敷地らしいので入り込むこともはばかれ、ちょっと行った所で引き返してきた。 ところが後で調べてみると県道東側には実際に旧道が残っていたようで、竹林の中を通る道は街道の息吹を感じさせてくれる絶好の散策路ですとか堀割の遺構が残るとかのことだった。このあたりから上段の馬頭尊のある高橋付近まで歩けるようなので、残念ながら見過ごしたと思わざるを得ない。その内再訪してみようかと思う。 ●能増の交差点を過ぎる。 12:40 |
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■荒川~花園橋 途中で左手を眺めると●正面に花園橋が伸び、遠くの山々は秩父山系であろう。結構雄大な眺めを楽しめる。川岸に降り、左折して荒川沿いを進む。●衛生センター前の荒川の川岸に出る。ほんの少し進むと川岸に●川越岩とか獅子岩とか云われる大石がある。この大石の所が「赤浜の渡し」と呼ばれる場所であった。対岸にも大石があり現在でも楽に渡れると云われる。川越岩は川の流れの水量の目安にもされていて、岩の一定の高さまで水面が上がると川止めされたという。対岸は砂利取り場のようで、重機がうるさく動き回っているのが見える。 赤浜の渡しを越えた後の鎌倉街道は西と北へ二手に分かれる。西へは上道の本道といわれる道で、荒川の北岸をしばらく西に向かいお茶々の井戸へと続く道。もう一つの北方向のは渡岸点からそのまま北へ進み、関越道花園IC付近を通り本庄方面に向かう道で、「榛沢瀬」(はんざわぜ)と呼ばれた道である。「赤浜の渡し」を渡河することは不可能なので●花園橋を渡って西に向かう本道を通ることにした。花園橋を渡るには川岸道から簡単に上げって行けず、取り付け道路を大回りに回って行かないとならないのでちょっと面倒である。 14:25 |
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5 狭山市駅~武蔵嵐山駅 | 7 小前田駅~丹荘駅 |