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| 小金宿 その規模は松戸宿の半分、家数は江戸後期に約150軒とさほど大きいものではないが、江戸まで約一日の行程であった事、また周辺に鷹場が設けられていたことから、水戸藩は重要視していた。このため水戸藩専用の本陣も置かれ、戦国時代に当地の豪族で小金城主であった高城(たかぎ)氏の家臣であった日暮玄蕃の子孫が代々経営にあたっていた。 本陣1 脇本陣1 ほかに水戸家専用旅館があった。松戸の出口からは勘定奉行の支配になる |
![]() ■旧家・旅籠小金は戦国時代、高城氏一族の小金城下町として発展した。徳川時代に小金宿が設けられ、また軍馬を育成する小金牧が開かれていた場所でもありました。大きな門構えと広い庭を持った旧家が目立つ。すぐ右手が永妻家です。小金宿での古い歴史のある飴の製造販売業者であった。先祖は俳人で、小林一茶と親しかった。左手が、千本格子が見事な鈴木家の旅籠玉屋で、徳川時代後期の旅籠の原型をとどめている。 |
![]() ■一月寺現在は日蓮宗であるが、江戸時代は普化宗金竜山一月寺といっていわゆる虚無僧の総本山であった。虚無僧とは士の平服に紺黒五条の袈裟をかけ、深編み笠をかぶり、尺八を吹きながら行脚、托鉢をする半俗半僧をいう。門左の標柱が残るだけだが「普化宗金竜山一月寺は、鎌倉時代金先禅師によって創建されたといわれています。江戸時代には青梅の鈴法寺と一月寺が触頭として関東地域の普化宗諸派の寺院を統括しました。明治4年の太政官布告によって普化宗は廃止されます。」と記されてあった。 |
![]() ■東漸寺創建は戦国時代の文明13年 (1481)、 浄土宗増上寺の音誉の門下の経誉によって根木内に開かれ、後に小金大谷口城の完成とともに出城としてこの地へ移転したという。浄土宗の信者であった徳川家康によって保護され、江戸時代の格式は高く、関東十八檀林の一つであった ■水戸街道道標 JR常磐線北小金駅入り口にある「サティ」ビルがあり、道路の角に道標が二基ありました。一つは右水戸道中、もう一つには右水戸海道と刻まれている。旧水戸街道はここから直角に右折して6号国道へと向かう。 |
![]() ![]() ![]() ■根木内交差点 北小金駅を右に折れていき、宿場らしい風情は何もないが又6号線に出るところが根木内交差点です。交差点の左側の小山が ■根木内城跡 「根木内歴史公園」として整備されている。空堀、土塁などが残る。中世戦国時代にこの地域を支配していた「高城氏」の居城で、1462年(寛正3年)室町中期 高城胤忠が築城とも大永5年(1525年)高城胤吉が築いたともいわれる。大きさとしては200×500mの規模であった。城としては江戸時代前に終わっている。 |
![]() ■庚申塔柏市へ入る。入る前に流山市が入り込んでいる。右手に古そうな庚申塔があった。 ■香取神社 中に一里塚記念碑、「ここにも一里塚があって、長い歳月の程を 朝に夕に 往き来の人を 送り迎えた榎の巨木は幾とせか前に枯損して塚は毀ち均され これは植え継がれた榎です・・・」とある。青面金剛像の庚申塚もある。南柏駅手前には日光街道に脇街道の性格を持つ「日光東往還」の入り口がある。ここはいずれ歩くつもり。南柏を経て柏駅に通じる柏神社前で本日終了。 |
![]() 水戸街道二日目 2006.8.13柏神社前から出発 ■柏神社 こじんまりしているが、市内では一番有名な神社らしい。狛犬が2組ある。縁起によると羽黒神社と八坂神社の合祀で祭神は素戔鳴命 大山祇命。北柏方面へ歩き始める。巻石堂病院という古そうな病院を通り、SOGOの駐車場ビルの脇に明治天皇休憩碑がある。 |
![]() ![]() ![]() ■諏訪神社 左手奥に諏訪神社がある。縁起案内がない。拝殿は新しい。左側に庚申塔が沢山並んでいる。きれいな神社である。16号線と交差する。前方に旧水戸街道入り口の標識が掛かる。JR常磐線の立体交差を越す。前方は柏玉姫殿。。 |
![]() やがて国道6号線北柏入口交差点に差し掛かる。渡ったらガードレールがじゃまし歩道にあがれない。どうも手前で右折し、陸橋下をくぐるらしい。前方はアサヒ飲料の工場■東陽寺 真言宗入り口に空海像が建っている。道の反対側に大型青色金剛の石仏があった、根戸地区にはいるが、ここら辺の建物は農家でどれも大きく立派。 |
■JR常磐線高架橋6号線根戸交差点を過ぎる。しばらく行くと街道はJRに分断されている。 歩道橋を渡り、我孫子市立第四小の脇を入っていく。ここらへんから我孫子宿の始まりです。 |
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