水戸街道歩き旅






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 水 戸
  
 16 竹原宿から片倉宿へ  歩行地図
 竹原神社-竹原下鄕-中野谷-大曲-大曲三差路-片倉宿   4.8km

16竹原宿
 
元和年間(1615~)に水戸街道が移転してきて宿場が置かれた。本陣はなく竹原上鄕に問屋場が二カ所、竹原新田に一カ所置かれ問屋役人が宿継ぎ業務を行っていた。上鄕と新田はカギ形につながっている。小さい宿で助鄕制度に苦しんで度々免除願いが出された。
旅籠13
  ※ 写真をクリックすると拡大します

●竹原神社
 5月3日の続き
宿の入り口にお決まりのように神社が存在する。右手に●供養塔群があり、銘を見てみたが相当古く読みづらい。●神社は階段を上がった所にある。ここの御輿が町指定文化財で、竹原神社アワアワ祇園で使用される。総欅造りの彩色をせず、屋根は黒漆仕上げだそうでみて見てみたいものである

●宿の町並み
 町並みは落ち着いた感じで、史跡らしいものは見あたらない。家の配置は昔とあまり違わないそうだけど、左側の家は新しい建物が多く和風で大きな建築。右側のマーケットは問屋跡だそうだ(ケース故障で閉店中)、スポーツ店など店舗が少し並んでいる。左に曲がって右手にある大きな屋敷は薬医門を備え堂々たる構えで「木村接骨院」という。元庄屋の屋敷跡ということです。

 このまま6号線を竹原下鄕、中野谷と行きます。途中「故北辰一刀流大貫先生之碑」などという大きな碑が立っていて何となく気になるが通り過ぎてしまう。大曲三差路あたりから左側には桜並木が続く。歩道を覆い尽くすような感じで桜の季節は見事でしょう。4月には桜祭りも開かれると小美玉市のHPに出ている。堅倉三叉路から左に入り、明治乳業の工場先から片倉宿が始まってくる。

17片倉宿 
 現在は堅倉と書く。この宿場には脇本陣があり、旅籠屋も沢山あって賑わっていたらしい。 現59号線に曲がる角の旅籠かと屋は今も営業中。
 脇本陣1 旅籠10    片倉宿-小岩戸-西郷地-小幡宿 4.9km


 片倉宿の付近は小美玉市の中心地で、市役所も立っている。ここは脇本陣があり、庄屋クラスの屋敷もある。
●加藤家復旧門
 門左に石標が建っており、元治元年(1864)加藤家は名主職を勤めていた関係で水戸天狗党により母屋と門が焼き討ちにあい門の前柱2本を残し焼失してしまった。歴史を残すため焼残った柱二本を使用して復旧したそうです。門が建っているのみで奥は原っぱになっているだけ。

●酒屋一本槍
 営業している雰囲気はないが、名主だった所らしい。一本槍という文字が半分隠れている。
●本多殿の屋敷
 加藤家の隣で門構えの立派な屋敷で、本陣と見まごうばかり維持が大変だろうとおせっかいに思う。

●旅籠 かと家
 文字通り角に建っている旅籠屋です。現在も旅館を営業しているそうですが、この建物ではなくて。6号国道の反対側に旅館”かと家”として近代的に営業中。
●米穀店
 ここも旅籠らしき建物で、奥行きが長く続いていた。
 その後巴橋を渡り、小岩戸で6号線を横切り西郷地を通過していく。

●なまこ壁の蔵
 水戸街道ではあまりお目にかかれなかったなまこ壁を持つ蔵だけど堅倉を過ぎるとちょくちょく眼にすることができる。亀甲形もみることができたが珍しい形。
●愛宕神社
 小幡宿に入る手前にある神社。愛宕は火之迦具土命を祀る防火の神様。尊は江戸時代中期に盗難あったとのことで、馬頭烏山(栃木県?)で発見されたとしている。結構長い参道があり、鬱蒼としている。中には不動明王、八坂、弁天、皇体神宮何でもありの神々が祀られている。

18小幡宿
 水戸藩の藩領地で問屋1軒、かって並木があったらしく、並木という地名がある。
     小幡宿-6号線-千貫桜碑-奥谷バス停      4.3km

●法円寺
法円寺は宿の入り口に建っており、かっては水戸家の旅館でもあった。幾たびかの火災に遭い、現在の本堂は昭和40年代の再建になるもの。(拡大しない)

 宿の史跡らしいものはなんにもなく。この辺り、御殿のような大きな屋敷(拡大しない)が建ち並んでいる。板塀の立派な門構えの敷地の中にまあ昔の農家というか、お屋敷とはこんなものかというような、数軒の家が並び、蔵を持つ。現在は何をして暮らしているのであろうか。維持も大変だと思う。

 門の上にカエルの置物が置いてある家もある。なんのおまじないかこんなの初めてみるもの。やはり火除けのつもりであろうか。宿を出ると6号線とまた合流するが、その手前は左右水田ばかり。旧道桜並木や茨城桜本という名前のバス停があるのでこのあたり桜並木があったのだろうか。右側奥の方に小幡城跡が地図では確認できたが時間がないので通過した。この先の奥谷バス停に3時55分に行かないといけない。今3時少々過ぎ。先を急ぐ

●千貫桜碑  6号線に合流して左手に千貫桜碑がある。かつてこの地に桜の巨樹があり、義公(水戸光圀)が終日めでて「千貫の価値」があると賞賛したといわれている。現在桜は枯死したが、この地を千貫桜と称し、往時のよすがをしのんでいる。右横に「春風も 心して吹け 散るは憂し 咲かぬはつらし 花の木のもと」という光圀公の歌碑がある。左奥へ茨城県畜産センター養鶏研究室への道が続いている。4月は見事なことでしょう。この先奥谷まで6号線を行く。3時55分の石岡行きバスに乗れた。しかし常磐線は石岡あたりから左へ大きく迂回して水戸まで行っている。まっすぐ行けば旧道と同じなのだけど、昔建設反対でもあったのだろうか。  本日は石岡で寄り道をして24kmほどありました。

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