12 土浦宿から中貫宿へ  歩行地図
 銭亀橋−枡形−大徳−亀城−本陣跡−真鍋宿−板谷一里塚−中貫  5.86km

12土浦宿
土浦宿は、土浦藩土屋氏65000石の城下町にあり、城の南門と北門の中にあった。町方も一緒に城の中に入っているいわゆる総構えの城下町でした。本陣2、旅籠は田町、中町、本町などにあった。水戸、千住を別にして街道最大の町並

2007.3.4引き続き
 銭亀橋を渡ると城下町らしい風景というか、早速旅籠風の旧家が見えてくる。
■一里塚の井戸
 橋を渡り、街道沿い左手に、『この井戸は、日本橋から十八番目の一里塚のかたわらにあった井戸である。』と刻まれた井戸があります。ふたが被さっていて井戸の機能はなさそう。

■南大門跡
 市指定史跡南門の跡と刻まれている。水戸街道を江戸に向かう土浦城の南門があった跡。屋根の様に被さっているのは土浦境線という高架道路
■枡形跡
 南門からすぐ、染谷石材店の所で道は右折し、すぐ左折する。城下町に多いクランク状の道路で枡形という。ここで敵の侵入の速度を鈍らせ、ここで迎え撃つことができる。

■東光寺南門土塁跡
 枡形の角に寺があり、曹洞宗、東光寺という。墓地の東南にあって市文化財となっているもの。南門から当時の上沼、下沼をつなぐ堀に沿って土塁が構築されていてその一部が残っている。寺を出ると大手町という地名になる。早速旧家あり、お肉やさんでありました。

 その先道は右折し、左折する。2番目の枡形かもしれない。中城通りという通りに入るが、地名は中央1丁目という味気ない名前。この通りには歴史的な建造物が集積している。右手に壁はタイル貼りではあるが古い建物の山口薬局がある。その先は吾妻庵総本店という蕎麦屋さん。ここも古そうな建物。一階に格子窓、二階にうだつ風な看板がある。その隣は矢口酒店。

■矢口酒店
 土蔵造りの店蔵・袖蔵・元蔵の3蔵からなる、重厚な建物で、特に二階の窓扉や、壁の風化の具合もなんとも言えず歴史を感じる。天保12年(1841)の大火後に建てられたので、塗籠造りという防火構造になっているとのこと。県指定の文化財になっている。
■まちかど蔵「大徳
 左隣はまちかど蔵「大徳」だが、ちょうどひな祭りの最中で人が結構いました。元は呉服屋で今は別なところで営業しているとのこと。ここには、観光協会の事務所がおかれていて、ツエッペリンカレーなんて物も売っていました。中にひな人形が展示されていた。ここで土浦限定版キティをゲットする。正面には同じく、まちかど蔵「野村」がある。

■桜橋
 「ほたて」という天ぷら屋で、これ又古そうな建物の脇に桜橋の柱跡土浦町道路元標が並んでいる。「市指定史跡桜橋の跡」と書かれた案内標柱がある。旧桜川は、ここを流れ、ここに架かっていた橋を桜橋という。川は暗渠になってしまい、昔の面影はない。駅よりの隣にはレンガ造りの歴史を感じる倉庫があるが、危険なので近寄らないようにと注意がしてある。地震が来たら一発で崩れ落ちそうな感じ

■土浦城跡(亀城公園)
 通りを出て、左側方向へ行くと土浦城「亀城」が見えてくる。公園になっている。周りは堀を巡らした城跡だが一周する時間はないので一部だけ見ることに。代々譜代の大名が配置され土屋氏で終わっている。本丸はなく、土塁と内堀、本丸表門の櫓門、裏門の霞門、東西の櫓などが残る。東櫓の上は小さな資料館で壁の模型などが展示されている。

■本陣跡
 再び桜橋跡から旧道へ戻って行く。角の三菱UFJの所は高札場跡ということだが特に何もない。その先は土浦商工会議所で本陣大塚家跡。もう一つ本陣があり、山口家といって「大徳」の裏あたりとのこと。旧街道はここで左に曲がる。常陽銀行の所で又左に曲がる。この先またクランク状に曲がっている。門の前にはS字型の特徴的な馬出が作られていた。新川橋で真鍋へ抜ける。橋の手前に北門の跡碑が立っておりS字状の馬出しがあったと書いてある。

 橋の欄干に「ここは真鍋宿通り」の看板があった。
宿というけど何故土浦宿に接して存在するのかよくわからない。詳しい資料を手に入れたい。この先で国道6号に合流するまで、旧家が点々と残っている。
■常総筑波鉄道跡
 関東鉄道本社の手前はいかにも線路跡といった感じの道が走っていて、現在は「りんりんロード」といっている。この鉄道は土浦駅と水戸線岩瀬駅とを結んでいた線で、途中筑波山を通るということで、昭和41.2年頃高校の遠足で筑波山へ行ったが、鉄道で帰った気がするので、この線であったかなと思う。この先は坂道が続き旧商屋のような家が並んでいる

■善応寺
 真鍋坂下で十字路になっていて、右折すると鹿島街道で、潮来を経て鹿島神宮へと通じる。ちょっと行くところに善応寺がある。創建は南北朝だが寛文十年(1670)土屋数直が土浦城の鬼門除けとして観音堂を寄進してから、真鍋観音として栄える。
■照井の井戸
 石段の脇にある井戸で一年中絶えることがないと看板に出ている。地元の人がペットボトルに汲みに来ていた。城まで木樋で送られたという。飲んでみたけど冷たくもなくまあ普通の水の感じ。

 坂下から街道は急な坂道となる。両側には格子のはまった旧家が続き、街道らしい雰囲気となっている。坂を上がると国道125号に出る。右側は県立土浦第一高校で、本館がゴシック様式の重要文化財であり、是非見たいと思ったが学校の中だし、日曜日で多分だめだろうと予期していたが、そのとおりで入れず外から見るだけ。後で調べると第二土曜日だけ開館ということだった。学校のフェンスがじゃまで写真も撮れなかった。正門前は筑波街道との分岐点で道標があるというので探したが、どこにもなく、ないはずで現在は市立博物館に移されていた。この先右手の道が旧道で土浦厚生病院の方へ入っていく。

■松並木
 国道の右手日立電線の工場がある方の道約1.2kmは松並木が残っている。昭和初期までは立派な並木と言われたが、国道拡幅工事で切り倒されたという。案内看板によると水戸街道には松並木が作られたが、現在残るのはこの板谷地区のみとのこと。

■板谷の一里塚
 厚生病院の先の両側に板谷の一里塚が残っている。ここは日本橋から布川を通る街道の20里の所にある。円墳形の築山で形は良い。昔は榎木が植わっていたと思うが今は雑木で案内板がないとそうとは思えないくらいの単なる築山。

★6号線トンネ
 国道6号線と合流する手前から跨道橋が通っていて、旧道は国道の向こう側につながっているはずなのだけど、上がる気にならず右側をしばらく歩くと国道をくぐるトンネルがある。そこを通ったが、やや遠回り加減で、どっちにしろ跨道橋と出会うので跨道橋を上がった方が正解かもしれない。やがて中貫宿へ入ることになる。

11中村宿へ  13中貫宿へ