|
||||||
| 13 中貫宿 荒川沖宿と同じで片継ぎの宿。下りの荷物、人のみ稲吉宿へ送った。上がりは稲吉宿が中貫を越して土浦まで送っている。中貫の本陣は現存し人が住んでいる。 |
![]() ![]() ■中貫宿の道国道から1本離れており基本的には静かな道ですが、バイパスの様で車も結構通っている。両側には寄棟造りの多分昔は茅葺きの、現在は瓦葺きが多いが立派な門などを備えた農家が並んでいる。 |
![]() ■中貫本陣富島酒店の向いにある。看板が立っているので読むと、ここは街道を通る大名が休憩するための小休止本陣。元治元年(1864)天狗党の焼き討ちで焼失後すぐに再建されたもの。寄棟造、茅葺き、平屋一部中2階。現在屋根は銅葺きで覆われている。人が住んでいるというので入ることは遠慮し、外から眺めさせてもらう。式台付き玄関などが見え本陣建築が見事。水戸街道は取手の染野家とここと稲吉の坂本家の三カ所のみが残る。 |
![]() かすみがうら市にはいる。霞ヶ浦町と千代田町が合併してできた市で、ひらがなにしたのは千代田町への配慮かもしれない。市名としては長い。 ■陶陶酒の工場 まむし酒で有名な陶陶酒の工場。こんな所にあるとは思わなかった。入り口はお休み処だが日曜日だからか、営業はしていない。工場が休みだから休業かもしれないが休みの日の方がお客が多いと思うけど。この先に稲吉宿への入口がある。 |
■稲吉宿への入口本陣や木村家住宅の案内看板などがあるここで、国道から分かれて斜め左に入って行く。手前に一里塚の看板があったそうだが見逃した。ここを入って少し行った下稲吉十字路付近に宿があった。 |
| 14稲吉宿 創設は万治年間(1658〜)という。問屋場、本陣、脇本陣、旅籠17。本陣、旅籠の建物も現存する。 旧街道の趣をよく残す。稲吉の地名はヤマトタケル命が東征の際休むため集めさせた稲藁が良いので 稲吉の名がついたと由来がある。 |
![]() ■稲吉宿本陣道の右手の本陣、坂本家。今も立派に保存されている。門も玄関も堂々たる本陣造りで一般の家よりも一段高くなっている。屋根の上部には領主本堂氏の紋笹りんどうがつけられている。向かい側に脇本陣があったとのこと。表札が出て住んでいる様なので見学は遠慮する。 ■旅籠(皆川屋) 隣は旅籠皆川屋、現在は木村家住宅。江戸時代末期の建築で二階建て総瓦葺きの堂々たる構えを見せている。水戸街道に残る唯一の旅籠となっている。二階は見学できるということだが、閉じられていてそんな雰囲気ではなかった。 |
![]() ■香取神社特に由来を書いた案内板はなかったが、経津主大神を祭神とする神社でしょう。土地の鎮守と思います。長い杉木立の参道を持っており、歩いて行くと、社殿がひとりポツンとたたずんでいた。お堂の割に狛犬が派手目。近くには立派な門を備えた屋敷もあります。 |
![]() ■上土田地区 かすみがうら市役所が左側にあり、消防署や農業研修センターなどもある地区を通過していると、立派長屋門のある農家に出会う。 ■下土田地区 ここには千代田町らしい果樹園が多い。千代田町は観光農園で有名この先6号と合流する。その先千代田石岡インターになる。 |
![]() ■千代田の一里塚旧道の合流点とインターまでどう歩いたか、国道の右側を歩いていたら、左側のインターの脇に一里塚の看板が見え、渡ろうとしたら複雑な道で横断歩道も見あたらず、どうにも渡れない。しょうがなく車のないのを見計らって国道を横断した。ここは左側を歩いておくべきであった。旧道はまたこの先の新治小交差点を左に入る脇道を行く。 |
![]() ■馬歴神供養塔脇道を入ったすぐ左手にある馬のための供養塔。昭和13年とある。馬歴神と刻まれていたので馬の供養塔と思うけど何のことかわからなかったので後で調べてみた。「ばれきじん」と読み、木ヘンのついた歴の字も使う。「馬櫪」とは、一般に厩の根太、或いは馬の飼い葉桶を指すが、中国の唐時代に信仰された馬の守護神のことであり、両足で猿とセキレイとを踏まえて両手に剣をもつということで、馬頭観音と同じ性格のものと思われます。また国道と合流し恋瀬橋を渡り石岡市に入ります。府中宿といっているが、ここは古代東海道の終点であり、常陸国の国府があった所なので府中宿というのでしょう。 |
| 12土浦宿へ | 15府中宿へ |