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| ■取手宿 取手の地名は、その昔、「砦」より起こったといわれ、その後鳥手と呼ばれ、現在の取手となった。また水戸街道の宿場町として整備され、利根川の渡し場として発展し、取手宿を中心とする新四国相馬霊場(八十八ケ所)による人心の信仰により賑わった。 |
| 取手藤代間は小貝川、利根川の氾濫により、道が悪く、利根川近辺の治水の変化により四本の道があったそうです 1 本道り(今回歩いた道) 取手宿→長兵衛新田→吉田村→小泉村→酒詰村→米田村→谷中村→藤代宿(陸前浜街道と呼 ばれている道) 2 中通り 取手宿→井野村→酒詰村→谷中村→藤代宿 (現在のJR常磐線に沿っている。) 3 水戸往還椚木廻り道 取手宿→桑原村→毛有村→椚木村→藤代宿 (中通りより500m程北側、国道6号線にやや近い) 4 大廻り道 取手宿→寺田村→和田村→小貝川堤防沿→藤代宿(岡堰の方まで迂回し、小貝川に沿った道) |
![]() ■長禅寺・観音堂小高い丘の上に、承平元年(931年)平将門が祈願寺として創建したと伝えられる臨済宗のお寺。古くは大鹿原(取手競輪場辺り)にあり、大鹿村の住民が水戸街道沿いへ移住した江戸前期頃に現在地に移ったといわれている。 三世堂は「さざえ堂形式で」公開はされていなかった。 |
![]() ■旧家すぐ隣に倉を備えた旧家らしき家、奈良漬けの新六本店、君萬代という酒の醸造元田中酒造店 ■本陣・染野家 一般公開中であったので訪問してみました。資料によると・・染野家は代々取手宿の名主であり、享保4年(1687年)に水戸徳川家より本陣を命ぜられた。現存する主屋は寛政6年(1794年)に焼失し、翌年直ちに復興したものである。大型民家のつくりであるが、式台玄関の上部には重厚な入母屋破風を設け、風格を保っている。・・ |
![]() ■八坂神社取手宿の産土神。明治39年に建てられた本殿の彫刻は精巧である。金網で保護されていてあまりよく見えなかった。 ■旧家 神社の先の右手にあった旧家。これから土手に向かって東方向へ進む。 |
![]() 土手沿いの吉田バス停の三叉路、左の道が旧道である。その先から比較的真っ直ぐな街道らしい道が続く。■道標1 吉田地区にあったもので、江戸より10里22丁(約42q)とある 日本橋から42kmだけど、小菅からなので37kmくらいは歩いた感じ。 |
![]() 道標2土橋横にあるもの、来應寺七丁、水戸一八里、江戸21里とある 来應寺という所まで700m位なので実際に存在するのか訪ねてみようと思ったがくたびれてきたのでやめた。 道標3 陸前浜街道の記載あり。藤代町が設置した物。これは適宜立っていた。 |
取手吉田から藤代まで真っ直ぐな道が続く。清水丙、中田乙など変わった地名がある。JR、6号線を渡り右折するところから藤代宿。公民館の所が本陣跡になる。 |
![]() ■相馬神社案内標柱には『建立はきわめて古く元享元年(1321)6月といわれ、安政二年(1855)火災焼失、慶応三年(1867)に再建される。・・・元八坂神社は、藤代・宮和田宿の総鎮守であった。』とのことです。宿の始め枡形といって屈折することがあるがそこに神社などがあることが多い。監視の役目も果たしていると思われます。この先藤代駅から帰りましたが、次回はここから始めようと思う。 |
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