水戸街道歩き旅








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 水 戸
  
 10 荒川沖から土浦宿  歩行地図
 荒川沖宿-旅籠跡-中村南4丁目-中村宿-大聖寺-布施道標-銭亀橋-土浦宿 7.4km

10荒川沖宿
本陣がなく牛久宿と共同で継立てを行っていた。上りの継立を牛久宿まで行い、下りは牛久宿が荒川沖宿を経て次の中村宿まで行っていた。荒川沖には人足は4人、馬は2匹しかいなかったという。その為牛久宿の負担が大きくやがて牛久一揆にまで発展してしまう。荒川沖という地名の由来は諸説あって、いわゆる「荒川」とは関係なく、地区内の乙戸川が氾濫し荒川のようであるということから、又沖というのは元々東方にある荒川本郷が本村でそこから見ると沖にあるように見えたという意味らしい。
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2007年3月4日
 北千住7時14分発の快速に乗り、8時5分荒川沖駅到着。エンジ色の制服着た高校生が沢山降りたがここに高校などあったかなと
思いながら、前回通過した宿入り口まで向かう。(後で駅周辺の地図を見たら、あの野球で有名な学校らしい)
★荒川沖南区交差点
右へ入る道が宿の方面になる。日曜の朝早いのであまり人気はない。普通の町並みだが、駅へ向かう道の角あたりに旅籠の面影を残す建物がいくつか残っている。
★乙戸川
 街道の西側、常磐高速道あたりに乙戸沼というのがあり、そこから発している川。沼は昔は大きくこの川も水量が多く荒れたらしい。この先を地図で追っていくと東方で小野川に合流し霞ヶ浦に放流されている。

★街道風景
 ここは「鶴町」姓が多い。宿は役人宿1、旅籠数軒の小さな宿場で道は中程で少し屈折するが、見通しがよい。
★宇野家
 立派な瓦屋根の付いた板塀で囲われているのは宇野家邸宅斜め右前、駅へ行く道の角には名主であった川村家がある。

★鶴町醤油醸造元
 塀にはなぜか大八車の車輪が掛かっている★旅籠佐野屋
 郵便局の隣にどっしりした茅葺屋根の建物。ケヤキの重厚な門がある。建物は壁で隠されてしまっている。

★タバコ屋さん
 改装されて新しい茅葺きの建物。中でたばこが売られていたけど、商売っ気はあまりなさそう。ここも鶴町姓
★6号線合流地点
 手前の左手は鶴町皮膚科といって、おそろしく広大な敷地である。駐車場も広いし、診療所は、洋風の建物で見とれて写真撮るの忘れてしまった

11中村宿
水戸街道11番目の宿になる。本陣1 問屋2、旅籠が数軒あった。人足25人、馬10疋常備

 国道6号線に合流後、広大なJOYFUL HONDA荒川沖店を過ぎ、中村南4丁目交差点を右手に入って行く。普通の道であるが、人気がなく、けばけばしいパチンコ店の看板もある。その後「原の前交差点」の手前に旧街道らしい、松の木が並木とまではいかないが数本生えた土手が続いている。原の前交差点付近には一里塚があったらしいが、なんの説明もない。交差点を横断して旧中村宿の中に入って行く。ここでは「川村」姓があちこちに見える。

★宿入り口
 定番のように折れ曲がっている入口。左側は土手並木になっている。
★双体道祖神
 左手の墓地の脇にあった。かわいらしいので撮っておいた。
★石仏群
 金比羅大権現や安永5年の銘のある十七夜塔など。

★宿場風景
 特に本陣跡とか旅籠らしきものは残っていない。ここもあまり人気は少ない。両側は広い農家が多い。
★大川橋
 やがて坂を下っていくと、広い水田地帯に出る。前は花室川。川といっても細い川である。橋も小さく、歩道がないので車も結構通るのであぶない。右手は6号線とそのバイパスが走り交通量が多い。左前方に小山があり、広大な境内を持つ大聖寺の看板が出ている。

★大聖寺
 茅葺きの山門が印象的。HPより抜粋・・羽黒山今泉院大聖寺、長徳元年(995)に現在地付近に開山されたのが縁起だと伝えられている。江戸期の貞享二年(1685)には堂宇を消失したが、同年、土浦城主松平信興が山門を寄進するなど貞享四年には再興された。延享二年(1745)には門末合わせて百六十ヶ寺を擁する檀林所格の本寺として大名と同格の格式を持つ寺院として栄え、文久三年(1863)、またしても消失して、本堂がようやく再建されたのは、昭和六十年(1985)である。昭和六十二年、北関東三十六不動尊霊場第三十一番札所となり、現在に至っている・・・。境内には新四国八十八箇所ミニ霊場というのがあり八十八カ所分の石仏が並んでいる。隣の郵便ポストは納札所の替わりで、お札を投げ込むようになっている。まあ安直といえば安直。あまりありがたくはない

 6号バイパスを渡ると、松並木のある道となって6号と合流するといわれるが、地図は354号となっている。永国とか天川団地という地名になる。
★布施街道道標
 中高津のセブンイレブンの北側に立っている。小さい方の道標の字は全く読めない。道標の左手に入っていく道が北柏から来る布施街道の旧道跡。
★旧道跡
 左へ入っていくと道は切れているが、両側が土手のある旧道らしい雰囲気を残す道が少し残っている。布施街道は途中に布施弁天や板橋不動尊がある街道で、水戸街道のバイパスの性格を持つ。利用者が多かったので本来の宿の衰退を招き、幕府から利用自粛の通達が出ている。板橋不動尊は初詣で何回か訪れている。

 354号とは又分かれて、霞ヶ浦医療センタ-へ行く道の右手にある旧家。やがて坂を左の方へ下っていく。途中の右手に★下高津の道標。 水戸街道と板東街道との交差点にある。享保18年(1735)東埼の観音講により立てられたとの説明柱が横に立っているが、彫ってある説明文字に色が塗られておらず、光って読みにくいし、道標の字は摩滅して読めない。

★愛宕神社と石段
 愛宕神社は防火の神で芝の愛宕神社みたいに石段がある。上ると茅葺きの屋根で結構美しい。この地域の鎮守でありましょう。神社の奥は常福寺といって、市指定天然記念物
「常福寺のイチョウ」などというのがあった。

★銭亀橋
 桜川に架かる橋。手前にも備前川が流れており、橋は土手をはさんで大小二つ架けられている。桜川はもともと土浦の街の真ん中を流れていたものを、洪水禍を避けるため、530数十年前に大曲付近から現水路に切りかえたということです。桜川が洪水の時は上流の堤防を人為的に切って田の方へ流したという。手前の備前川は冠水時の排水に利用された。橋は昔は木製の太鼓橋であったとのこと。橋を渡るといよいよ本格的な城下町土浦に入って行きます。

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