水戸街道歩き旅








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 水 戸
  
 7 藤代宿から若柴宿へ  歩行地図
 JR藤代駅-宮和田-小貝川-文巻橋-訓柴-若柴入り口  4.5 km

藤代宿
藤代駅を挟んで西側が藤代宿で東側が宮和田宿であり、2宿で1つの宿駅の機能を果たした。本陣は双方におかれ、それぞれが交代で役目を務めた。取手から藤代までは小貝川がたびたび氾濫する低湿地帯であったので、少しでも高い所に宿が作られた。公用の人馬として人足25人、馬25疋を常備。藤代宿本陣は昭和30年の町村合併時に町役場建設のため建て壊され、現在の中央公民館の位置にあった。宮和田側本陣の位置は不明。
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■藤代宿入口
2007年1月3日
 JR藤代駅から街道入り口の相馬神社へ行く。神社のことは取手宿の頁に載せてある。正月なので赤い幟で飾られている。お参りの人はいない。初詣は沢山いたのだろうと思う。街道はここで定石どおり直角に曲がっている。神社の前にあるのが坂本呉服店で昔からここで商いをしているという話。正月休み中であった。宿全体も正月だろうか人気があまりなかった。

■中央公民館と本陣跡
 本陣は昭和30年の町村合併時に町役場建設のため壊された。現在は藤代中央公民館に変わっている。中庭に案内板があり、屋敷は木造萱葺屋根で質素であったが、唐破風造りの玄関は本陣の風格を備えていたとあってなんか弁解がましく書いてある。当時は歴史的建造物を残そうという気概は無かったようである。サルスベリと松は本陣玄関前にあったもの。木を残すなら玄関くらい残しておいてもよさそう。本陣は代々飯田三左衛門の子孫が管理していたそうである。 藤代宿は、本陣のほか、脇本陣、問屋場、旅籠、湯屋、商家が建ち並び、結構賑わっていたらしいが、あまり面影は残っていない。途中の医院の建物は明治の洋館風で雰囲気がある。

■愛宕神社
 この地域の鎮守社と思う。寛永年間に京都愛宕神社より鎮座させ、享保2年に社殿を完成させ、昭和59年に拝殿と合わせ改修したもの。社殿は覆屋でおおわれ全く中が見えないが、堅いかつお木をのせた神明式社殿である。入り口両側の石灯籠はなぜか鉄柵の中に保存されている。盗難よけだろうけどよくわからない。

■民家と宮和田宿辺り
 途中の民家であるが、屋根の形から見て、茅葺き屋根を改装したものであろうと思う。最近は茅葺き職人さんもいなくてなかなか維持が難しい。車道は左に曲がって文巻橋へ出る。街道の方は直進しており、道が細くなる、その先は土手で、かつて宮和田の渡し場があったところになります。

■熊野神社
 藤代宿のつきあたりの小貝川堤防下にある。『創建は、千葉常胤説とその子孫俊胤説の二説があるが不明である。(常胤は鎌倉時代の武将、俊胤は戦国時代の武将である)』とのこと。奥殿の彫刻が見事とあるが、トタンで囲われ見ることができない。土手から街道を振り返ってみた。直線ですがすがしいが江戸時代は土手はなかったと思われるので、川べりだし氾濫すると大変であっただろう。

■文巻橋
当時小貝川は下総国と常陸国の国境で、その国境越えのための宮和田の渡し場がこの宿場にあった。
■小通十一面観音堂
小貝川を挟んで藤代宿の熊野神社の反対側にある。案内によると、天慶年間(938~947)に平貞盛が父国香の菩提を弔い、自領の民心を安定させるために、川原代に安楽寺を、小通の川岸に観音堂を建立したのが子通十一面観世音の始まりとされている。境内の石仏・庚申塔群の由来は不明。扉が閉じられ堂の中は全く見えない。

 道なりに進むと常磐線の踏み切りがある。浜街道でなく龍ヶ崎街道という名前の踏切になっていた。葛飾から踏切の名前はほとんど浜街道になっていたのだが。右手に牛久沼排水機場を見て道なりに左折して行き、車道(県道5号)と合流する。角にかわいらしい交通安全の地蔵が立つ。事故に遭った家族が立てた物でしょうか。その先トンカツ屋さんの前に屋根付き道標が立っている。摩滅していて全く読めない。資料によると「右 りゅうがさき なりた 左 わかしば」らしい

■訓柴小の道標
 道標の前の道を進み、関東鉄道の踏切を越える。右側に訓柴小があり、突き当たると三叉路になる地点の、学校の中にある道標である。案内板が出ている。・・・「文政9年に建立され、三面に水戸16里 江戸13里 布川3里と彫られている」初期の水戸街道の二つの道の合流点に立っている・・・とのこと。その後水田地帯に入り前方の高台が若柴宿になる。竹林がある坂を上がる。 

■八坂神社
 上がりきると街道は又定石どおり直角に曲がっているが,角に八坂神社がある。案内板もなにも出ていない。社殿は新しいもので、a右手に慶応年間の年号のある庚申塔群、裏手は竹林である。ここから若柴宿となっている。

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