水戸街道歩き旅





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 水 戸
  
 19 長岡宿から水戸へ  歩行地図
 奥谷坂上-小鶴-長岡-吉沢-吉田-銷魂橋-本町   11.9km

19長岡宿
 
水戸街道最後の宿場。宿の中程には水戸藩の御殿があった。安政6年に水戸藩攘夷派数百人が集結し(長岡屯集と呼ぶ)、中心人物が桜田門外の変に関係した。近年まで松並木が残っていたといわれる。※ 写真をクリックすると拡大します

 2007年7月1日。本日で水戸街道完歩の予定。 北千住7時3分の快速に乗り、石岡駅着。8時40分発の水戸駅行き関東バスに乗車する。このバスは2時間に1本しかないので、遅れたら一大事。今日の行程はたいした距離ではないのでゆっくり見物しながら回るとしよう。9時10分に奥谷坂上バス停に到着する。そこから水戸へ向かって歩き始めた。
■高 橋
 涸沼川に掛かる橋。この川は涸沼に入り、那珂川湊へ合流しています。橋を渡ってすぐ旧道は左へ入り、小鶴という集落になる。

■佐久間米店
 小鶴という集落は宿場とは違うが結構おもしろい建物が建っている。右手の佐久間米店は由緒ありそうな建物で、倉のなまこ壁の亀甲模様が珍しく、2階には唐破風のような飾り窓が付いている。
■「こども屋」
 看板建築の建物。おもちゃやお菓子、文房具のお店。昭和3年の建築ということだそうだ

■フルーツのヤスムラ
 左手に茅葺の長屋門があり、果物店が店を出しており、フルーツのヤスムラという。
■諏訪神社
 その先左手の小山には村社の諏訪神社。村の鎮守と思うが地区の神社で由来書きのようなものは見あたらない。鳥居が二つ連続しており、奥の階段をゆるゆると上がっていくとある。拝殿はトタン板で閉じられていた。

■如意輪寺
 常陸の国第六番霊場という。
由来書きなどはなかったので、詳しいことはわからない。本尊が如意輪観音像で、徳川光圀の寄進といわれているそうだ。本堂は建築年次は新しそうだけど入母屋造りの端正な造りである。

■長岡橋
 その先、涸沼前川を長岡橋で渡る。この川もすぐ先で涸沼川に合流している。国道と合流するが、すぐ右の旧道に入る。すぐ右手にあるのが
■藤屋製菓
 長岡名物のみそまんじゅうを作る店。あまり愛想が良くないと聞いているので寄らずに通過する。まんじゅうの良い香りが漂っている

長岡宿へ入っていく。だんだん坂道になっていき、手前に右方向、水戸浪士「毛塚」の案内板が掛かっている。500mも先なので行かなかったけれど、水戸浪士が、桜田門外の変に討ち入る際髪を切り、明治になり村人たちがこの地に髪の毛を移し、塚を築いて埋め鎮魂の場所とした。
■高岡神社
 坂を上がって、ここら辺が長岡宿の中心であった。長徳元年(995年)の創建。平成四年に改築された。ちょっとした森のような参道を持ち、形の良い拝殿を備える。
■木村家住宅
 江戸時代長岡宿の脇本陣で、問屋(人や荷輸送)や庄屋を勤めていたという。安政4年(1857)の長岡宿の大火により消失、現在の建物はその後建設されたもので、総茅葺き屋根の建物は希少。改築中と聞いていたが完成に近づきつつあるようで、シートも取れていた。     

■「みくらや
 「旧水戸街道繁盛記」(山本鉱太郎)では本陣と書かれているが、旅籠「中えびす」といっていた建物の跡ではないかともいわれている。現在は衣料品店(現在取り壊されている)
■柏屋肥料店
 その先の左手の旅籠風の歴史を感じる建物。肥料のほかに種籾や農業関係の販売店。

 その後旧道は国道6号と合流し、しばらくみるべきものもなく淡々と歩く。矢頭でインターチェンジの歩道橋を越すが、ここがバリヤフリーの感覚がみじんもなく、身障者はどう渡ればいいのか聞きたいくらいのもの。東野交差点を左に取る。左は自動車教習所。吉沢交差点を右斜めに入る
■一里塚
 一里塚下西バス停のすぐ先に一里塚がある。ここは定石通りエノキが立っている。左は六地蔵の祠。吉田小学校を過ぎ、バス通りは右方向へ曲がっていく所を真っ直ぐ細めの道へ行き。2度カギ型に曲がると左側が薬王院

■薬王院
 すぐ先、左に茅葺き、朱塗りの門が見え、薬王院への参道がある。茅葺きの門は、仁王門と呼ばれる江戸時代建立の門で、県指定文化財。入って右手に市指定文化財の五輪塔がある。水戸初代藩主徳川頼房公二男松平亀千代丸が四歳で早逝したのを供養するもの。但し斉昭によって天保十四年遺骨は太田瑞龍山に改葬されている。本堂は全体的に唐様で享禄2年(1529)の建立。入母屋造りの堂々たる造りで国指定重要文化財

■吉田神社
 旧道に戻り、突き当たりの丘が、朝日山といって、山の上に立つ神社が吉田神社。それほど高くはないが、石段を登っていた境内からの見晴らしは良い。石段を登った左側に日本武尊御遺蹟の碑が建っている。祭神は、日本武尊。景行天皇40年、日本武尊は、東夷鎮定のおり、当地・朝日山(三角山)で休息をされた。その地に社殿を造営したのが、当社の起り。当社は、鹿島神宮に次いで、式年遷宮が行われていた大社で、常陸国三宮にあたる。

■銷魂(たまげ)橋
 吉田神社を左にみて右折していくといよいよ備前堀に掛かる銷魂橋に突き当たる。渡った左手に「江戸街道起点」、右手に「高札場跡」の碑がある。「江戸街道起点」の碑には、「水戸~江戸間二十九里十九町(約116キロ)」「江戸街道または水戸街道と呼ばれた。その起点は江戸は日本橋、水戸はこの地点で、宿駅は十九箇所、行程は通常二泊三日であった。」「ここで共に別れを惜しんだので銷魂橋と呼ばれた。」と書かれている。この文面からは水戸街道としての終点はここと思われるが、多くの資料ではここではなくこの先と書いてあるので先へ進む。
■備前堀
 伊奈備前守忠次が慶長15年(1610)千波湖の水を引いて用水とし、あわせて千波湖の溢水を防いだもの。全長約三里。伊奈忠次は関八州の行政、司法を司り、関東各地にその業績と名前を残す。伊奈忠治・忠治父子の墓は中山道鴻巣宿勝願寺にあり、鴻巣宿の頁に載せてある。

 橋から少し戻り常陽銀行の角を右折し、ハミングロードに入る。「ハミングロード513」は、歩道の舗装、彫刻や石標、アーチなどが工夫されている近代的なショッピング街になっている。この辺りが本町で、水戸宿があった所で本陣、脇本陣、問屋場、旅籠などがあって大いに賑わった。が案内石碑が整備されているだけで宿らしい趣はほとんどない。
■井幸茶輔
 黒い建物がかろうじて昔の面影を残す。
■浜街道起点碑
 イオンの裏を通過、茨城県信用組合(けんしん)のある交差点に到着する。交差点の右手角に「旧本四町目 陸前浜街道起点」と書かれた碑が立っている。ここを終点として水戸街道歩き旅の終了とする
 2007年7月1日、午後2時30分。1回目は2006年5月4日であり、全6回で終了。

 18小幡宿