日光街道
 
   日光道中が正式名です。古代の東山道は陸奥国の多賀城が終点であった。(仙台市東方)しかし秋田までの連絡道が通っており、秋田までの道路は開発されていた。奥州街道としては中世には江戸城をから三ノ輪、隅田川を越して千住へ出ていた道があった。江戸時代には千住大橋ができたが、千住から現在より東方の八潮市、八条から柿の木、大相模から越谷宿へ入っていたとのことである。日光東照宮ができた頃ほぼ日光道中の道筋が確立した。元和3年(1617)東照宮完成により宇都宮から日光に至る道を日光道中と呼び宇都宮から白河に至る道が奥州道中と呼ばれるようになった。白河から先は幕府の管轄でなく各大名の管轄の道とした。日光街道には例幣使街道、御成街道、壬生道など脇街道がある。
  総延長 日本橋から鉢石まで36里3町2間
                     (141.6km) 3泊4日程度の行程
        *歩くに当たっては横山吉男著「日光街道れきしウオーク」中の地図を参考にしています