17宇都宮宿から徳次郎宿へ 歩行地 図
 不動前-新町-一向寺-裁判所-伝馬町-松原-上戸祭-大杉屋-下徳次郎  11.1km   
17宇都宮宿
 宇都宮城の城下町であり、「当町は日光街道第一の繁昌の地にして、町48丁ヨ、通り抜け40丁ヨ」とかいわれた。奥州街道及び諸街道の要路にあたり、今も県庁所在地として賑わっている。地名の由来は諸説あり、崇神天皇の第一皇子豊城入彦命が総督となった時、宇津くしき宮と呼ばれたことからとか、二荒山神社の別名「宇津宮大明神」からくる名とかの諸説がある。
 本陣2 脇本陣2 旅籠42

2007年10月7日雀宮宿からの続き 13:00
 ■不動堂~富士見通角
 不動堂からすぐ先に、●東武鉄道宇都宮線のガードがある。ここに宇都宮宿の木戸があったらしいのでで、宿はここから始まるといえる。
●蒲生君平勅旌碑
 明治2年天皇は蒲生君平の功績をたたえる勅命を出した。そのため宿の入口に、蒲生君平の里という碑が建てられた。旌という字はあまり見ないが、辞書を引くと、人の善行を賞して、広く世上にあらわし示すことという意味がある。

■富士見通角~もみじ通
●「天然記念物 新町のけやき」

 樹高43m 目通周囲7.9m、枝張り 東西34m、南北31m、推定樹齢800年という大ケヤキ。
江戸から宇都宮城下への入口にあたるところに立っていて、旅人の目印になっていたという。鎌倉時代から歴史を見てきたケヤキである。
●熱木不動尊 13:15
 道は不動前通から蓬莱大黒通という名前に変わる。左手に宇都宮朝綱の建立になるに熱木不動(今井本には贄木の字が使われている)。本堂には公民館の看板が下がっているし、老人クラブの看板もあるし、それでいて鰐口が下がっていてお堂にはちがいないしで、よくわからん。なぜか鳥居もあり、不動尊と大きく書かれている。神仏習合だろうけど、寺か神社かどっちだ?。

■もみじ通~裁判所前
●報恩寺  
13:25
 1639年奥平家昌の正室が開山。本堂は戊辰戦争で焼失してしまったものの、山門は消失を免れ、珍しい茅葺きで、創建当時のままといわれる。境内に戊辰戦争の●官軍戦死者を弔った石碑が建っているけど、これ又堂々とお寺の中に鳥居が立っているのもおもしろい。

●一向寺
 1276年宇都宮景綱が開基。重要文化財の本尊汗かき阿弥陀は、西隣の長楽寺(明治二年廃寺)にあったもの。宇都宮家に凶変がある時は仏体に汗が流れるという伝えがあったという。日曜日には拝観できるというが、時間の関係で拝観せず
■裁判所前~追分
●奥州街道との追分
  14:10
 その先裁判所前を右折。伝馬町交差点が奥州街道との追分地点となる。直進するのが奥州街道、ここで左折して清住町通りを行くのが旧日光街道で、この地点で奥羽州街道と別れる。次回奥州街道を歩くときはこの地点からスタートとなる。二荒神社などは奥州街道編で紹介する。

■追分~上戸祭
 追分を左折して日光街道を行く。一つ目の信号の所の右奥に
●桂林寺 14:20
 宇都宮満綱の開基で蒲生君平の墓がある。ここで宇都宮宿が終わり、木戸があったといわれる。
●蒲生君平の墓
 蒲生君平は明和5年の生まれで尊王論者。忠誠義烈の精神を貫き、「山陵志」を著し、天皇陵を比定したことで有名。 

●延命院
 桂林寺の少し南側にある。境内には享保年間(1716~35)建立で、宇都宮市最古の木造建築物の一つである●地蔵堂がある。またこの寺で蒲生君平が学問を学んだということで、山門の前に、蒲生君平修学の碑が立っている。
 街道に戻り、清住、星が丘と過ぎて行く。歩道に付いた比較的広めの真っ直ぐな道を日光目指して進んでいく。

 119号線は途中に●総大谷石作りの土蔵を備えた家が結構建っている。上戸祭りを過ぎると、●桜並木の通りとなる。通りは車線と分離していて、歩道も広いので歩きやすいし、排気ガスを吸わなくてもよいのでうれしい。但し本来の街道は並木の中の車道だろうと思うので、歩道はその両側、拡張した場所になるので、中を歩きたいところではある。  15:20

■上戸祭~野沢寺前
●上戸祭一里塚跡碑  
15:30
 江戸日本橋より二十八里目です。両塚とも並木の外側に位置しています。昭和58年度一部も修復されている。桜並木は段々と●杉並木となり、日光街道の雰囲気が味わえるようになってきた。東照宮に近づくともっと壮大になってくるのが楽しみ。  

 並木の右手にとんがり帽子でレンガ造りの面白そうな建物があった。普通の民家らしい。途中左手に光明寺があった。山門は竜宮城風でカメラを向けたが強烈な逆光でどうにも撮れず、次回来たときに寄っていこうと思う。今回は大杉屋というバス停で帰ることにしたので、徳次郎まで行き着かなかった。
 15時54分発バスで宇都宮駅に戻り、東北線で帰宅した。

2008年1月3日JR宇都宮からバスで野沢寺までやってきて、日光街道再開しました。徳次郎まで付け足します。
 ■野沢寺前~徳治郎
●光明寺
 前回終わった大杉屋の一つ手前で、バス停名は野沢寺となっている。ここの山門が珍しく、竜宮城風であり、2階に梵鐘が乗っている。ここは、将軍日光社参の時に休息所となった寺であった。寺の前方奥の方には「静御前」に関係ある「静桜」があるということなのだけど、民家の庭先ということなので止めにした。前回帰ることにした大杉屋を過ぎ、日光宇都宮道路を潜る。

 東北高速道をくぐった右側に一里塚風な塚に不思議な建物が建っている。説明版が付いていた。
●第6号接合井(土木遺産)(今市浄水場から上戸祭に水を送るのに送水管に掛かる水圧を調整した装置)が昔のままに残っている。全部で六箇所作られたが、地震で倒れ、ここのだけは創設当時のままのもの。この設備はこの先もあったが、形は同じもので建物は新しいものであった。
 バス停は下徳次郎になり、ここら辺から徳次郎宿が始まります。

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