2 草加宿から越谷宿へ 歩行地 図
 草加入口−神明町− 松原団地−新田−蒲生−新越谷−越谷宿入口 7.4km
草加宿
日光街道第2宿。慶長11年(1606)年、宿篠葉村の大川図書が中心となり、茅野を開き沼を埋め立て、それまで大きく東に迂回していた奥州街道をまっすぐにする新道を開いたといわれている。千住・越谷間に宿駅を設けることが幕府によって命じられ、寛永7(1630)年に付近の村々によって草加宿が設置された。その後綾瀬川の船運による河岸が設けられ発展していった。天明、明治の大火によりほとんど焼け古い建物は残っていないと言われる。
  本陣1 脇本陣1 旅籠67  

■高砂〜駅前通
●草加宿入口

  東武伊勢崎線と国道4号線の間、高砂1丁目から神明1丁目まで1.4kmh、ほぼ南北に走る。
●道路元標
  明治44年建設のもの、正面千住町へ弐里拾七町五拾三間三尺などと書かれている。その先の草加小学校は大川図書の屋敷跡だそうだ。

■駅前通〜神明町
●おせん茶屋

  少しし歩いた右手に、おせん茶屋。 (草加せんべいの元祖「おせんさん」にちなんで名付けられた小公園) おせんさんというばあさんが売れ残りのだんごを平らにし焼いてしょうゆをつけて売ったら評判になったというのが草加煎餅の起こりというがお話だけみたい。

●東福寺
   草加宿を作ったといわれる大川図書の墓がある。江戸落語中興の祖石井宋淑の供養塔もある。東福寺山門は豪華な四脚門。その先は宿の終わりの所だがお定まりのようにカ−ブしている。その角に
●神明神社
神明神社もある。国底立神碑があったが珍しい神を祀っていると思った。

■神明町〜草加松原
●草加煎餅発祥の碑

   国道4号と合流し伝右川を渡る。この川は以前よく氾濫し松原団地あたり床上浸水くらい起こしたものだが改修されて落ち着いた。角はおせん公園といって草加煎餅発祥の碑がある。国道右側は日本の道100選の見事な松並木が続く。右側綾瀬川は江戸時代掘られた水路である。水質ワーストワンの川だったが今は随分良くなった。角は札場河岸公園で芭蕉にちなむ句碑などが建っている。公園の名前は札場河岸があったことによる。

●草加松原
   国道に沿い松並木の遊歩道が続く。この並木は天和3年(1683)関東郡代伊奈半右衛門が綾瀬川を改修したとき植えたもので(1792年が最初という説も)1.5kmほどある。矢立橋とか百代橋とかの太鼓橋が跨道橋として掛かっている。歩道の終わりの●馬頭観音きちんと祀られて好ましい。

草加松原〜蒲生本町
●藤助河岸
  外環道路の下を潜り槐戸橋を渡る。芭蕉奥の細道、草加あたりの旅の絵などもある。このあたりは綾瀬川改修で雰囲気が大変変わった所、毎日通勤で通る所である。対岸の小屋は藤助河岸という。
●蒲生一里塚
  その脇に蒲生の一里塚がある。埼玉県できちんと残っている一里塚はここだけ。

■蒲生本町〜瓦曽根
●大聖寺への道標

   旧道は4号線と合流していくがその前に馬頭観音と不動尊が道標を兼ねて建っている。
左側の文字が読みにくいがふどう様へではないかと思う。相模町の大聖寺「大さがみふどう」という大きな鰐口があるので有名。
●清蔵院
   山門の上に金網で囲いされている彫刻は左甚五郎の作と伝えられる。竹の塚の氷川神社にも見事な彫刻があるが、日光街道の寺社にはこういうものが多いらしい。この寺はお参りの人以外は立ち入り禁止で入りにくい。
道は4号線と合流し進む。瓦曽根で左方向へ入っていき越谷宿となる。

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