20 今市宿から鉢石宿へ 歩行地 図
 下今市駅-追分-春日町-上今市-石橋-七里-鉢石宿  6.8km
20 今市宿
 今市宿は、例幣使街道と会津西街道の合流点である。交通の要地として発展し、現在でも日光や鬼怒川への玄関口として賑わっている。昔は「今村」と言っていたのが、宿駅となってから近所の人々が移り住み、市場となり賑わうようになったので「今市」となったといわれている。戊辰戦争で宿の全てが焼けてしまい、江戸時代の街並みは残っていない。
本陣1 脇本陣1 旅籠21

2008年1月6日。3日に引き続き下今市駅から始めました。本日で日光街道ゴールとなります。いつものデジカメ忘れてしまって、急遽携帯のカメラでしのぐことにしました。画質的に不安が残ります
■下今市駅~瀧尾神社
●報徳二宮神社
  11:15
 日光に向かって歩き始め。すぐ先右手に二宮神社がある。祭神は二宮尊徳命。二宮尊徳は、安政3年(1856)、70歳で今市報徳役所で没した。墓石を建てるなと遺言したが、裏手に家族の意志で墓石が建てられた。

●如来寺  11:23
 浄土宗では県内屈指の寺で、寛永9年(1632)、三代将軍家光が東照宮造営のために御殿を建設しここに逗留した。二宮尊徳の葬儀を営んでいる。 門前右手にお化け桜と呼ばれる古木がある しばらく行くと左手に「今市のおいしい水」というのがある。今市にはあちこち同じ施設があったが、水で有名なのかな。

●浄泉寺 11:50
 1651年、家光の御宝棺が日光山に向かう途中ここで小休止したといわれている。本堂は焼失して無く、薬師堂が建っている。
 左脇にそば喰い稲荷と呼ばれる二宮尊徳の子弥太郎が寄進した稲荷神社がある。案内板によれば、沢蔵司(たくぞうす)稲荷仕法と呼ばれる利子を活用した稲荷維持のための永久計画があったという。現在の維持基金のようなもの。今市はそばが有名なのだそうで、そのル-ツはここにある

 寺の手前に「市縁ひろば」という施設があり、奥に観光案内所があったので、今市の観光マップをもらう。
●瀧尾神社  12:00
 国道と杉並木が分かれる所にある。今市の総鎮守。勝道上人が日光二荒山神社開山のとき神体を移した、767年が創建という古い由来を持つ。明神鳥居は今市市指定文化財というが、そう古くは感じなかったが。本殿は小さいながら心柱を持つ神明造り

●報徳役所跡  
 市立今市小学校先に報徳役所跡がある。二宮尊徳は、日光神領の荒地開発を命じられ、嘉永6年(1853)日光御神領仕法を開始した。その為の役所がここに建設された。当時の建物はなく、奥の建物は、報徳今市振興会館。その横に大谷石でできた書庫が復元されている。当時の書類が保管されているわけではなく、建物が復元されているだけ。

 ■瀧尾神社~瀬川
瀧尾神社横から国道と杉並木が分かれる。。並木の横には杉並木公園が続く。●古民家や水車がいろいろ復元されている。左手に●唐人小屋跡がある。朝鮮通信使の日光参拝のための宿舎があった。小規模に地面が盛り上がっているだけであるが、実際は御殿のようであったに違いない。

 並木に入ると、砂利で固められた、きれいで、静かな道でありました。車も進入禁止となっていて、好ましい。
●髙お神社  12:20
 右手に今市鎮守の「高(たか)お神社」がある。
「お」の字は(ユニコード 9F97)を用いる。
 景雲元年(767)の創建されたといわれ、祭神は高龗神で農耕に感謝して祀られという。今市市には同名の社が15社もあり、その中で最古の社とのこと。

■瀬川~国道合流点
●瀬川の一里塚

 その先、瀬川の一里塚がある。日本橋から34里。左右とも塚が残るというのだが、はっきりとはわからなかった。
 この先の瀬川のバス停で並木道も終わる。並木公園の縁でもあり、「報徳庵」という、報徳仕法農家を復元した家を利用したそば屋がある。混んでいて食べるには至らなかった。隣には●茅葺の名主の家の復元もある。土産店として利用している。

 右手に●瀬川の七本杉伐痕がある。本の杉の根幹が密着し一株となったもので、昔はすばらしい樹相をしていたと伝えられる。明治35年の大暴風雨と大正3年頃に風損し、さらに残る5本も老朽化して、昭和43年ついに危険木として伐り倒されたとのこと。また●車の通らない静かな杉並木を行く。枯れ枝がかなり落ちている  12:40

●「砲弾打込杉」
右手に「砲弾打込杉」の案内板がある。戊辰戦争で官軍の放った砲弾跡が杉に残っている。
●竜蔵寺跡の薬師堂  13:05
 大きな石の釣鐘が地面に置いてある。その昔ここには青雲山竜蔵寺という寺があったが、資力の乏しい寺のため金属製の釣り鐘を造ることが出来ず、日光廟造営にたずさわった石工に頼んで造らせたものであるという説と奉納されたとき龍頭が壊れたため放置されたままになっているという説とがある。

 ■国道~日光駅前
やがて国道119号と合流し、歩道の無い危険な道を歩くことになった。●左に生岡神社への参道が見える。生岡神社は、輪王寺の強飯式に似た少年強飯式が有名だが、参道はJR日光線や高速道路で分断されてしまった。その先右手、●並木太郎と呼ばれる杉がある。目通り5.3m、高さ38mの巨杉で、この木一本で20坪の家が3軒も建つとか。とびぬけて大きいという感じはしないけど。姿が美しく端正なことからこの名がついたという。すぐ先左手に●明治天皇七里御小休所跡の碑がある。明治9年東北巡幸の帰途の小休所となった。   

 七里に入り●筋違橋を渡る。昔橋の下をくぐれば麻疹が軽くてすむといわれた所。その先左手に●異人石がある。明治の頃杉並木を愛した一人の外国人がこの石を石屋に座りやすくしてもらい、毎日ここで並木を鑑賞したとか。なるほど椅子の形に削ってある。 JRのガードをくぐり、右手に●JR日光駅が見える交差点へ来た。
ここが最後の宿、鉢石(はついし)宿の入口である木戸跡であったそうだ。13:55

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