日 光 街 道








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  日   光
 
 日本橋から千住宿へ   歩行地 図
     日本橋-小伝馬町-浅草橋-蔵前-浅草-南千住-千住大橋 7.3km

2006年7月16日
■日本橋~本町2丁目
●三浦按針碑
 日光街道はおなじみ日本橋から始まる。北側三越方面へ向かう。三越新館の前を江戸橋方向に走っている細い通りが按針通りといって、三浦按針の屋敷跡である。●千疋屋角より右折し、小伝馬町方面へ進む。すると●高速道路にぶつかり進めない。右手を見ると地下道がある。しかしこの地下道にはホームレスがいたりするのでおすすめではない。左手の江戸通り交差点を通過する方が良いと思う。     9:45

■本町2丁目~小伝馬町
●日光街道道標

 「ホテルギンモンド東京」植え込みの中にある●日光街道道標を確認し、日光街道であること確認しておく。人形町通りを左折した先、「十思公園」が伝馬町牢屋敷跡である。隣は十思小学校で廃校となり、十思スクエアという。江戸幕府最大の牢屋があった場所である。刑務所でなく現在の小菅拘置所と同じ性格のものであるが。処刑場があるのが最大の相違点。隣接する●大安楽寺が処刑場跡地である。公園内には江戸中の時を知らせた●時の鐘も残されている。時の鐘というのは時計を持たない江戸の人に鐘をついて時を知らせたもので、鐘の聞こえる範囲の家から月1文徴収した(但し大家のみ)。江戸市中に数カ所あった。  9:55

■小伝馬町~横山町
●大伝馬、小伝馬町と椙森神社

 このあたりは大伝馬町、小伝馬町というが、この違いは各街道宿場には荷物を駅伝的に運搬する伝馬という馬が置かれる。しかし江戸市中には宿場がなく(品川などは市中ではない)伝馬がいないわけであるが、不便なためこの付近に伝馬を扱う役所が置かれ、伝馬町といった。小伝馬は市中の用事を大伝馬は市中から市外への伝馬をあつかった。他にも南伝馬町というのもあった。さて今回の歩きには入っていないが、近くに●椙森神社というのがあり行ったことがあるので取り扱う。この神社は江戸三富として有名で、今の宝くじのことだが人々の多く集まる寺社で売られていた境内に冨くじ碑というのがある。

■横山町~浅草橋
●横山町界隈と浅草橋

 街道に戻り浅草橋方面へ向うと、横山町繊維街に入る。ここは伝馬役「馬込勘解由」という人が伝馬所の経営安定の為もあり出身地三河から人を呼び、繊維問屋を作らせたというのが起源である。問屋街を出ると浅草橋。浅草見付を見ながら右手方向へ立寄る。●神田川が隅田川に注いでいる。そこに架かるのが●柳橋。花柳界で有名なところ。ここから吉原へ猪牙という船が出ていた。橋を渡った向うには料亭が沢山あったらしいが、今はほとんどなくなった。   10:25

■浅草橋~蔵前
●首尾の松

 浅草橋に戻り蔵前方面へ向う。蔵前橋附近には幕府の米蔵が並んでおり、御家人は俸禄米などをここから受取り米問屋へ運んで現金化していたのであるが、煩雑でもあるので代って行う業者が札差という。これが後に高利貸へと拡大していく。蔵前橋のNTTの前にあるのが首尾の松の碑、広重江戸名所百景にも出てくる。吉原の帰りの客がここら辺で今夜の’首尾’について語り合ったとかいうもの。 

■蔵前~浅草
 浅草へ向って進む。左手に●駒形どせうが見えてくる。がその隣のビルの前におかしなものが並んでいる。●バンダイの本社であった。どぜうの前にあるのが●久保田万太郎の碑 
 10:55

■浅草~待乳山
 駒形橋たもとには●駒形堂。願い事が叶ったら駒の形を作り物にして堂内に奉納する)、境内に「浅草観音戒殺碑」(浅草寺の霊地だから殺生をするなということ。)。次はおなじみ●雷門。門そのものは浅草寺の総門である。正式名称は「風雷神門」という。門の両側に風神像と雷神像がそれぞれ安置されている。大提灯にも、表側には「雷門」とあるが仲店側には「風雷神門」と書かれている。現在の門は昭和35年に再建された物である。寺に寄っていくと長いので通過する。 11:00

■待乳山~泪橋
●待乳山聖天宮・山谷堀

 松屋の脇を通り言問橋西を左寄り吉野通を行く。待乳山聖天がある。聖天さま(大聖歓喜天)は、仏法を守護し、仏道を行ずる人々を 守護する天部の神様でありますが、私たち衆生の迷いを救い、願いをかなえさせてくださる大き なお力を持っておられます・・・案内板より
道の先通を横切っていくのが●旧山谷堀で現在は埋立てられて公園となっている。江戸時代は日本堤というのがあり浅草地方をを水害から守るため高さ3m幅8m位の堤防が作られた。この土を得るために待乳山を削ったと言われる。この左手先が有名な吉原である。吉原大門の地名と昔の区画が残っている。

■泪橋~千住大橋
●小塚原刑場跡、回向院

 さらに歩を進めると山谷地区である。昔からあんまりイメージがいい所ではない。泪橋と通過していくが南千住駅手前で、分断されてしまう。車は地下道だが人は複雑そうな歩道橋を渡らねばならない。そこを越えると小塚原刑場跡である。隣の延命寺には大きな●首切り地蔵が鎮座している。刑死者の菩提を弔うため1741年(寛保1)に建立。また隣は千住回向院で、刑場で処刑された人々や牢死者が埋葬されている(橋本左内、吉田松陰、小僧次郎吉、腕の喜三郎、高橋お伝、片岡直次郎など。また解体新書ができるきっかけとなった「腑分け」が行われ記念銅板が掛っている。  12:50

●素盞雄神社
 商店街を行くが、「骨通」というすごい名前である。国道4号線にぶつかるところにあるのが素盞雄神社。結構格式のありそうな神社で、創建は795(延暦15)年と伝えられる石神信仰の神社。境内には瑞光石なるものがある。この先はいよいよ千住大橋であり千住宿の始りである。   12:35

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