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  日   光
 
 15 石橋宿から雀宮宿へ 歩行地 図
  石橋駅-開雲寺-児山城跡-鞘堂-上古山-茂原-雀宮5丁目    8.6km

15石橋宿
 昔は上・中・下大領、上・下石橋、前原村の六ヶ村を合わせる大きな村で繁盛した宿らしかった。宿役人の伊沢氏は多功城没落後土着の百姓が出身の旧家であった。石橋の地名は一説によると、池上明神(現在はない)の前の水が流れるところに、当時では珍しい石の橋があったところから、つけられたとも伝えられている。
本陣1、脇本陣1、旅籠30

2007年10月7日(日)8時20分石橋駅到着
快晴で気温も適当。歩きやすい日でありました。
 下の開雲寺までが前回の写真です。
■石橋駅~駅東通
●愛宕神社

 宿の入口左側、創建が天平宝宇3年(759)という愛宕神社があり、境内は愛宕山古墳と言われている。
●脇本陣跡
 現在は伊沢写真館。伊沢という名前なので伊沢氏の子孫か何かでしょう。建物は全く変化している

●開雲寺
 駅から来る道の交差点からちょっと先の右手にある寺。珍しいことに、●塀という塀に丸や四角の穴が開けてある。これは銃眼や矢狭間といって、城の設備である。これは将軍の日光社参の時に境内に休憩用の御殿が設けられ、その警備のためのものである。風格を感じさせる本堂、山門があり愛嬌のある石像などがある。安政年間の再建になるもの。

●児山城跡  9:00
 寺を出てしばらく行くと、宿は終わる。先の交差点を左折して、駅東通り行って、ちょっとした寄り道になるけど、児山城跡に行くことにした。華蔵寺の裏手でわかりにくい。ここは鎌倉時代後期、宇都宮頼綱の四男、多功宗朝が二男朝定に分封し築城した。谷や丘陵をたくみに利用し、本丸の堀と土塁がほぼ完全に残っている。現在ここの地は民有地らしく地主名の掲示がされている。

 ■駅東通~下古山
街道に戻り、雀宮へ向かって、真っ直ぐ歩いた。●国道4号線だけど、日曜日なので車も少なめ。歩道も完備しているしまあ快適。両側は農家が多く、●旧家風の大きな家が多い。大谷が近いので大谷石の蔵や塀が目に付く。本当は旧道は下古山の交差点手前から斜め右方向へ入っているらしいのだが、それらしい道はなく。消滅している。交差点の右側はクラッカーでおなじみの「前田製菓」の工場。旧道は工場下を通っているらしかった。

 ■下古山~自衛隊前
 石橋警察の斜め左手前方に、●巨大な兜が見えてきた。どこのホームページにでも載っているこの建物は、家康本陣というらしい。蕎麦屋さんとかラーメン屋とか、韓国料理店とか色々見方がちがう。今回通った時はクレーン付トラックが止まっており、壊すのではないだろうか。
●蛸堂地蔵  9:50
 その先右手に鞘堂(さやどう)地蔵がある。1380年、小山・宇都宮合戦の折、戦死した者の鞘を集めて埋め、そこにお堂を建てて地蔵を安置したのでこの名がついた。が、案内らしきものはなんにもない。又なぜか安産の霊験あらたかなりと。・・

●星宮神社 10:00
 鞘堂の少し先の左手にあるちいさなお宮。鞘堂新田の鎮守なりと。・・・・・
 そして、その先200m先に結城道へ行く追分があるというので、あたり見回してもそれらしき道はなかったけど。未完成の●北関東自動車道をくぐる。400mほどで一里塚があるというが、これ又それらしきものはない。

■自衛隊前~雀宮
●茂原観音堂入り口
  10:30
 自衛隊正門の前に茂原観音堂の石標が立っている。お堂は東へ2kmくらい先にあるので寄ることはしなかったが、下野三十三観音の二十番札所であり昔から子育て、安産にご利益のある観音様として地元の信仰は篤くということです。石標の反対側は●自衛隊宇都宮駐屯地で、ちょうど体育祭の看板が出ていて、見物はできるようでした。おばさんが出てきた。防衛資料館というのがある。

●宇都宮社会保険病院の松並木? 
 社会保険病院の庭に松がずらっと植えられており、さながら並木のようになっていて、印象的だったので一枚写しておいた。日光街道はなんといっても杉並木でがふさわしく、今日宇都宮を過ぎると出会うことになる。通常、街道には松が植えられた。そして自衛隊を過ぎると雀宮宿へ入ります。  10:45

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