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| 10野木宿 野木宿は古河宿から3km程度という近い位置にある人口527人の小さな宿で、野木神社の周りに居住し始めたのが始まり。その後馬継が始まり新野木が成立した。その後本野木とあわせ慶長年間に宿として成立した。旅人が多くなると自力で宿の業務遂行ができないため、近郷23の村が助郷として割り当てられていた。 本陣1 脇本陣1 旅籠25 |
![]() 2007.4.29の続き●野木神社 街道を進むと左側に大きな石の鳥居があり、長い参道が続いている。くたびれてきていたが行ってみる。仁徳天皇の時代、下野国造奈良別命が当国赴任した折、莵道稚郎子命の遺骸を奉じて当地に祀ったのに始まる。その後、延暦年間に坂上田村麻呂が蝦夷征伐からの帰途、報賽として現在地に社殿を造営し遷座した。文化3年火災により社殿を焼失したが、古河城主土井利厚公により再建された。明治時代に乃木大将も度々参拝し神宝を奉納している。また谷文晁の描いた絵馬と算額が奉納されているが、絵馬の方は堂内に見えた。算額の方はわからなかった。参道の途中に芭蕉の句碑があるというので探してみたがわからなかった。 |
![]() ●本陣跡野木神社から数百m左手に野木宿の解説板が立っており、その後ろの家が表札名から本陣跡と思われる。 ●脇本陣跡 特に案内板はないが街道の右手先が脇本陣であったので門が様子からここではないかと思う。両方とも建物は新しい。その先左には満願寺があり門前に十九夜の石塔がある。この寺は野木神社の別当寺という。 |
![]() ●道標歩いていくと道標がぽつんと立っている。脇に案内板があり 是より大平に至る という。かっては日光への裏街道だそうだ。大平山は北西方向になる。 ●観音堂 左手に小さなお堂があり、観音堂という。正観音を安置するという。馬頭観音の石像もある。 |
![]() ●法音寺前芭蕉句碑街道は右方向へカーブしていく。野木駅が近い。右向こうにちらちら見える山は筑波山だろうか。友沼に入りその先に法音寺という寺があり、門前に芭蕉句碑が立っている。 「芭蕉翁 道ばたのむくげは馬に喰れけり」・・・安永9年(1780)に門人により建てられたもの。芭蕉が41才の時「野ざらし紀行」に出る際に小夜の中山超えるときに馬上で詠まれたというから、この場所に縁があってということではない。 ●友沼八幡神社(将軍御休所跡) 徳川将軍の日光参詣の行程は岩槻、古河、宇都宮に各1泊する3泊4日が恒例となっていて、それとともに昼食・休憩の宿や寺社なども決まっていた。八幡神社は古河城を出発して最初に休憩した場所であった。昔は眺めのよかった場所らしい。道は小山市に入り乙女というやさしい地名になる。 |
![]() ●若宮八幡宮由来等は案内がないのでよくわからなかった。となりの大日如来で有名らしい。 ●大日如来座像 神社の左脇にある座像、裏手の満福寺の所有になる。宝永6年(1709)年鋳造、武州江戸湯島渡部九兵衛が施主となり父母の供養のため生国の下野国都賀郡に安置したと伝えられる。戸外に安置されていたため「濡れ仏」と呼ばれ親しまれていた。現在は屋根が作られている。 |
| 11間々田宿 元和4年(1618)に宿となる。日光街道の中間に位置し、日光参詣する大名や旗本にも利用される、位置的に重要な宿場であった。思川の乙女河岸は東照宮造営の資材が陸揚げされ、米や物資の輸送の要衡となった本陣1、脇本陣1、旅籠50 |
![]() 仏光寺を過ぎ、間々田駅が右にあるが、ここには重要な史跡があるので寄っていく。間々田交差点を左折する。●乙女不動原瓦窯跡 奈良時代、三大戒壇の一つであった、下野薬師寺の建立に当たり瓦を供給した窯跡である。窯跡、灰を捨てた場所、粘土採掘場所、などが発掘されている。瓦をどのようにして焼いたか展示されてている。南側に市立博物館もある。 |
![]() ![]() ●泉龍寺乙女不動堂窯跡のすぐ北側にあるなんとも派手な赤色の山門が見える。本尊の不動明王は中禅寺湖から発見されたものといわれる。 ●間々田旧商屋 街道に戻り、右手にある大きな土蔵造り倉庫のある商屋。 ●逢の榎碑 消防署の少し先。日光街道の中間地点を示すために榎を植えた。ここで街道の中間まできたことになるわけ。 最初は間の榎だったがいつの間にか「逢」になり縁結びの榎になってしまった。 |
![]() ●土蔵造り商家これも古い歴史的建造物の酒屋さん。街道左手 ●問屋場跡 看板が立っており、問屋場の解説がある。裏手の家がそうなのだろうと思う。門を備えた広そうなお家。 |
![]() ●本陣・脇本陣跡これも看板が立っている家で、表側は駐車場になっているだけ。 ●造り酒家 大吟醸、「若盛」を製造している西堀酒造。煉瓦造りの煙突もある。右隣は古めかしい門、工場で杉玉も下がっている。人気があるらしく、客が結構出入りしている。そろそろ小山宿が近い。 |
![]() ●安房神社粟宮交差点脇から参道が延びている。延喜式内社。由緒書きによると・・・当社は崇神天皇の御代に創建され、仁徳天皇の御代に再建された。平将門が氾濫するや俵藤太が戦勝祈願を行い。明治10年郷社に列せられる。境内に神楽殿なども備える。 ●小山宿分岐 粟宮交差点。国道は左折して行き、旧道はまっすぐ小山市内に入っていく。小山宿はこの先天神町あたりから始まる。次回はその辺から始めようと思うが、小山駅は3kmほどもあり結構疲れた。今回は古河市内であちこち歩き36kmほどになりました。 |
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