16雀宮宿から宇都宮宿へ 歩行地 図
 雀宮宿-雀宮神社-横田新町-一里-西原-不動前  6.4km
16雀宮宿
 宿の名前は宿内にある、雀宮神社の名前に由来している。奥州街道が整備された時に置かれた宿場で、この地は中世室町時代、下野の国の両雄と言われた宇都宮氏と小山氏の壮絶な戦いを繰り返した場所であった。又比較的小規模な宿場でもあった。
本陣1 脇本陣1 旅籠38

 2007年10月7日石橋宿からの続き
■雀宮駅前~雀宮神社
●雀宮3丁目
  11:00
 自衛隊を過ぎたらいつのまにか、雀宮3丁目に来ていて、宿に入っていた。対面の4丁目には本陣跡があるというので、国道を横断して行く。4丁目はモデルルームが色々建設中であり、旧道の雰囲気などまるでなく、うろうろする。奥に寺があり、正光寺と思った。
●正光寺
昔は地福院といったところ。門の回りはお墓ばかり。

 4丁目の辺りをうろつく。奥にはドーム型の家があったりした。門構えが往時を偲ばせると本に書いてあり、よく見ると大和田胃腸科となっていて、本陣の現在の持ち主ではないかと気がつき、駐車場前に●雀宮本陣跡碑が立っていた。奥は現在の地主の●大和田医院。古い門構えの家は無くなったようだ。昔は本陣小倉半右衛門とある家で、宿の名主も勤めていた。この家も先祖は宇都宮家に仕えていた武士で、没後ここに土着した名家であったとのこと。

●脇本陣跡  11:15
 向こうの3丁目のの角にあるのが脇本陣であった芦谷家。ここは白壁の塀と黒門などが昔の面影を十分残している。
●馬頭観音
 道は1.2丁目に入る。右手にちょんと馬頭観音像の収まる祠が立つ。右側を読むと安政5年(多分、戊年と書いてあるので)に建ったもの。

■雀宮神社~自衛隊前
●雀宮神社
  11:30
 宿の名前の由来になった神社である。延喜式にある式内社であり、大きい神社かと思ったが規模は大したことはない。面白い伝説が残っているのに、案内板などはなかった。●本殿は朱塗りの流れ造りのもの。いつ頃の物かはわからない。由来としては、藤原実方の妻がこの地で病没。実方も遠くの地で死亡、霊魂が雀となって飛来し妻の祠に入ったため合祀したという説と不貞を働いた妻に殺されかけた夫が雀に助けられたという説などがある。

■自衛隊前~一里塚
●陸上自衛隊宇都宮駐屯地

  飛行場を持っていて、航空学校が併置してある。門から管制塔が見えている。航空機が飛ぶところみたいと思って、しばらく様子を見ていたけど、日曜日だからか、飛ぶ気配なしでした。
 ●菅原神社  12:10
 台新田公民館奥に建つ神社。何の案内があるわけでなし、拝殿はどんとしているが、本殿はたいしたこと無かった。公民館の方が立派に見える。

 先の交差点を渡り、横川西小の脇の表示板はなぜか日光街道ではなく、●東京街道であった。又その先の東北線の線路に一番近づいた地点が
●一里塚跡
  江戸から26番目。東北線の為に壊された。バス停とか、交差点に「一里」という地名が残る。さらに、ラーメン一里店」、「一里踏切」、リカーショップ「一里」、スーパーの名前にも残っていた。

 ■一里塚~不動前
さらに川田入口、西原と過ぎていく。拡幅工事の真っ最中で、道の両側は、カーディーラーが建ち並び、販売競争も大変だろうに。カー用品、修理屋、ガソリンスタンドなど見事に自動車関係の店ばっかりが集まっている。右手には●大谷石造りの倉を持った豪邸も建っていた。国道4号線は西原で右方向へ分かれていき、日光街道は直進の119号に変わっていく。  12:40

●風力発電機?
  国道左手は広大な「富士重工宇都宮工場」になっている。道からプロペラが付いている塔が見える。富士重工の前身があの「隼」を作った中島飛行機であり、現在も航空機部門を持っている。その象徴かと思ったが、風力発電機ではないかとも思った。街道は●JR日光線の上を渡る。日光線は単線。

 ●不動前交差点 13:00
 橋を渡り約300m行くと、不動前信号で道は2つに分かれ旧日光街道は左側の道と変わる。ここから不動前通という。ここらあたりから宇都宮宿が始まる。
●不動堂
 江戸の始め、宇都宮城主本多正純日光街道と奥州街道を付け替えた。そのとき旧奥州街道と奥州街道との分かれ目にあったのがこの不動堂で、江戸時代には江戸方面から来る旅人にとって宇都宮に入る目印となっていた。

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