18 徳次郎宿から大沢宿へ 歩行地 図
 下徳次郎−上徳次郎-石那田-松本-山口-大沢  10.9km
18 徳次郎宿
 人名のような宿名である。由来は日光に大きな勢力をもっていた久次郎(くじら)一族が、 奈良時代末期に日光二荒山神社からご神体を智賀都(ちかつ)神社に勧請したとき、日光の宗家久次郎に対し外久次郎(そとくじら)と称したのが始まりといわれている。行政的には(とくじろ)、宿名としては(とくじら)と読む。日光側から上、中、下徳次郎の三宿からなり、交代で継立をやっていた。
本陣3、脇本陣4、旅籠72

  2008年1月3日、今年初めの街道歩きです。JR宇都宮からバスで野沢寺までやってきて、歩き始めました。徳次郎までの分は前の頁の(宇都宮編)に足しておきました。東北自動車道を潜ると、下徳次郎バス停になり、宿に入ります。バス停の先団地入口の所の植え込みの中に
■下徳治郎〜徳治郎交差点
●大谷道の道標
 10:40
 大谷道への道標があり、「大谷道」「下徳次郎宿」と刻まれているらしいが、不鮮明で読みにくい。昔ここから左折して大谷観音へ行く道があったが、今は無くなっている。

 道標の先左手に●寺の山門の様な門が立っていて、その奥に入っていくと、薬師堂の墓地がある。お堂の横に●石仏が3体あり、右側の馬頭観音の側面には「右山道 左氏家・白沢道」と刻まれ、道標を兼ねていた。なんでここに道標を兼ねた石仏が立っているのかよくわからないが、どっかに立っていたものを移設したものと思う。左氏家というと奥州街道の方角だけど、違う方角を向いている。 11:00

徳治郎交差点〜徳治郎IC
●徳次郎交差点

 この交差点が徳次郎宿の中心と思われる。この付近には大谷石造りの土蔵が残っている。また本陣と問屋場があったという。交差点の手前に●道標がある。摩滅して読みにくいが、正面に神社入口道、側面に田中道とある。道標の奥はコンビニになっている。神社とはこれから行く、神明神社のこと。交差点を左折して神社へ向かう。 

●痣地蔵堂
 徳次郎の交差点を左折して右斜めに旧道らしき道を行くと、新しいお堂が建っている。痣(あざ)地蔵堂というがある。。説明版の下半分が消えて読めないが、中徳次郎本陣の某氏がどうのこうのとあり、要は願をかければあざやいぼが治るという霊験があるお地蔵さんらしい。その先消防署の裏を回った所に神明神社入口の石標が立っている。

 ■徳治郎IC〜徳治郎交差点
●神明神社
  畑の道に入り込んで行くと、大きな民家の裏に奈良時代に建立されたという、小さいけれど古い由緒を持つ神明神社が建っていた。最近改修されたようで新しくできている。お堂の前に小さな2頭の狛犬がちょこんと鎮座している。お願いして軽く持ち上がれば願い事がかなうという話である。持ち上げてみるということはしなかった。  11:20

■徳治郎交差点〜六本杉
●智賀都(ちかつ)神社
  11:40
 街道に戻り北上する。右手に大きな鳥居が見える。智賀都神社といい、徳次郎三宿の総鎮守である。宝亀9年(778)日光山大明神を勧請して千勝森(ちかつのもり)に祀ったという。鳥居の後ろの2本のケヤキは、樹齢700年という大木で県の天然記念物に指定されている。本殿のほうは、明治21年に改築されたもので流造りのもの。

■六本杉〜一里塚
●六本杉

 神社の先は「六本杉」というのバス停で、道路の真ん中に「徳次郎六本杉」の標札があり、六本の杉が植わっている。バス停の名前にもなっているくらいなので有名だったのだろうが、道路の真ん中にあるはずもないので移植したものか。
  その先の国道は桜並木が続いている。
 11:50

 次の目標は二宮堰という場所。宇都宮市大網町と書かれた石碑の右手を入っていった所に二宮堰があり、親水公園となっている。二宮尊徳が手がけた用水事業の一つで、田川の水位が低いので堰により水を溜めて取水し、灌漑用水としたもの。安政6年(1859)に宝木用水が完成した。用水は徳次郎、宝木を経て宇都宮市の中心部に達している。現在では田川の水位を上げる工事により堰の役目は終わっている。同じような堰はこの先石那田にもある。 12:10

■一里塚〜石灘大橋 
●石那田の一里塚
 日光道中に戻り、上徳次郎宿の町並みを抜けて行くと、並木道になり、右手に石那田の一里塚がある。日本橋より30里。右手の塚だけが残る。一里塚の西側歩道上に天保11年(1840)と刻まれた十九夜塔の如意輪観音と横に3基の石仏がある。
  12:20

 ●石那田堰
 街道は石那田という地名になってくる。右手に石那田堰への案内標識が立っており、川の方へ入って行くと、二宮堰と同じように堰がある。土手上にお馴染みの、薪を背負って読書しながら歩く二宮金次郎の像と、記念碑がある。二宮堰より早く、嘉永5年(1852)に完成した。上・中・下徳次郎及び西根・田中・門前の計六カ所の灌漑用水で、六郷用水とも呼ばれる。12:30

■石灘大橋〜松本
●石灘大橋

 堰の先、田川に架かる橋を渡る。昔は、「石灘の大橋−余り大きなる橋にあらず」といわれ、幅二間半の橋だった。今の橋は当時よりはるかに大きく、歩道も作られている。石那田は、昔は石灘と書くことが多かったという。「当村は山、畑ともに石が多くて耕作に困苦するゆへ石灘の義なり」とある。その先から歩道部分が段々高くなってこの辺りが最高であると思われる。バスよりも高い所を歩くようになる。この道中、並木に入ってからなぜか歩道部分が高く、アップダウンするので歩きにくく、車道を歩くことが多かった。一説によると暴漢に狙われるのを防ぐために、昔の方が高低差が大きかったといわれる。あんまり高くても、いざという時に逃げ場がないと困ると思うけど。11:40

松本〜山口交差点
 気持ちのいい並木道が続く。しばらく歩くと、松本という地名があり、そこからは杉並木になってくる。これまでの並木は桜が多かったが。・・
●うらない地蔵
 左手にうらない地蔵がある。3個の丸い石があって、そのいずれかを持ち上げて軽く感じれば願いが叶うといわれている。行ってみたら女性がお祈りをしており、しばらく待っていたが終わりそうにないので、後ろから撮らせてもらった。このような小さな神社でも熱心にお祈りする人がいるとは感心した。

■山口交差点〜大沢
●杉並木寄進碑

 街道は日光市に入り、山口交差点の先で旧道は、国道と分かれて右側を行く。鬱蒼な並木が続いている。左手に杉並木寄進碑がある。杉並木は武州川越城主だった、松平正綱・信綱父子が寛永2年(1625)から二十数年をかけて紀州熊野から取り寄せた20万本余りの杉苗を、日光道中・壬生道・会津西街道の三街道の両側に延長37kmにわたって植えたものだ。この寄進碑は、日光神領との境界にあったので境石(さかいいし)とも呼ばれており、ほかに日光神橋の前、今市市の大桑、文挟にも建てられている。。明治時代に通ったイザベラバードは「貧乏なために将軍家の霊廟に青銅の灯篭を奉納できない男がその代わりに植えたのだといわれている」などと失礼な事を言っている。こちらの方が大変な事業であるのはいうまでもない。14:00

●本格的な杉並木
 ここから本格的な杉並木が始まるようだ。夏でも涼しいほどの杉並木といわれる。しかし車が時々通る。通行禁止ではないようだけど、ここは禁止すべきであろう。隣は国道だし、木の保存にも良い。杉は見事だが、枯れて切られた杉も目立つ。 この先大沢の交差点で、国道119号線と合流する。南東に分かれて進む道は鹿沼道。この地点が大沢宿入口になります。14:10

17宇都宮宿へ  19 大沢宿へ