東 海 道
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16 由比宿から興津宿へ 歩行地図 |
由比宿入口-本陣跡-桜えび通-寺尾-薩埵峠-興津宿 8 ㎞ |
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16由比宿
由比宿は「由井、油尹、湯居」などとも書かれたので、表記の名称の統一がなされた。越後の「親知らず」と同様な狭隘な土地に東海道本線や国道1号も通っている。「桜えび」と富士山絶景の場所「薩埵峠」で知られる地で、漁業と観光の町である。
本陣1 脇本陣1 旅籠32
●埵の文字は土偏に垂の字でユニコードを使用しています。お使いの機種によっては正常に表示できないことがあります。 |
■由比宿~本陣公園
●由比の一里塚
日本橋より数えて三九番目の一里塚。 説明によると当時ここには榎木ではなく「松の木」が植えられていたという。
●由比宿入口
一里塚跡の先はおなじみの桝形に曲げられていて、江戸方見付とか、東見付とか呼ぶ施設が設けられるが今はもうなくなっている。13:05 |
●昔の商屋(志田家)
説明では昔の東木戸跡で屋号「こめや」を名乗り昔の商屋の面影を残している。入口を入ると帳場、階段などが残っているとか。その先の右側のコンクリート塀にはめ込まれた碑文がある。「御七里役所の趾」の碑という。紀州徳川家の七里飛脚の役所だった場所。
●「正雪紺屋
由井正雪」の生家と伝わるという染物屋。 由井正雪は「慶安事件」の首謀者として知られ、その企ては事前に発覚したため、自刃している。生家といっても幕府に対する大逆事件だから、関係者はすべて処罰されているのではないかと思うので真偽については研究の余地がある。13:10 |
■本陣公園~由比川
●由比本陣跡
由比城主由比助四郎光教が桶狭間の合戦で、主君今川義元に殉じて討死してから、江戸時代その子権蔵光広が帰農しこの屋敷に住し、代々岩辺郷衛門を襲名し本陣職・問屋職をつとめ、近郷、きっての名家として大名的な存在であった。現在きれいに整備され、平成六年に広重美術館」として生まれ変わり、「広重専門美術館」として賑わっている。
●馬の水飲み場
珍しいので記録しておいた。大名行列の馬に水を飲ませたり、身体を洗ったりしたところだそうで、他の本陣では例を見ないものだそうです。 13:30 |
●脇本陣(饂飩屋)
脇本陣は3軒が交代で勤めていて、その内の1軒。ここは江戸後期から幕末まで勤めた。(*饂の字はさんずいがつく字)
●由比桜えび通
この先で「由比川」を渡るが、橋の手前左側に大正年間に建てられた「清水銀行」の洋館が目を引く。昔の由比宿「西木戸」は川の手前にあったので、由比宿はここまで。橋を渡ると桜えび通といって、えびを食べさせてくれる店や新鮮な魚介類を売っているお店がたくさんある。13:45 |
■由比川~寺尾
●豊積神社
ここはかなり古い神社と伝わっていて、白鳳時代に創建され、現地に移されたのは延暦10年(791)という。 ここには「お太鼓祭り」と呼ばれる行事が残っていて、「坂上田村麻呂」が蝦夷平定の帰りにここに立ち寄ってお祝いをしたのが始まりという。太鼓形の石像
■寺尾~西倉沢
●旧道・寺尾地区
由比駅手前の歩道橋を渡って右手の旧道に入ると、国道の一段高台に旧道が続く。入った所は「寺尾」と呼ばれる集落で、一歩中に入ると狭い道の両側に古い家が見られる。 14:10 |
●脇本陣(小池家)
古い集落の残る旧道を歩いて行くと、右手に「間宿」の脇本陣だった「小池家」がある。 建物明治になってから建て替えられているが、大戸、くぐり戸、格子造り、なまこ壁などに江戸時代の面影が残る
●脇本陣(柏屋)
この先、西倉沢地区に入り、ここにも明治天皇が休憩したという間の宿「柏屋」がある。、 |
■西倉沢~薩埵峠
●「藤屋」
望嶽亭」と呼ばれた有名な茶屋で、多くの文人墨客で賑わった。明治元年3月7日山岡鉄舟が官軍に追われ、望嶽亭の蔵屋敷で漁師に変装、隠し、階段より脱出し、当時最新式フランス製十連発のピストルを残して行ったとエピソードが残る。店の前に一里塚跡もある。
●薩埵峠登口
峠を越える道は上道・中道・下道の3通りあった。下道は、この一里塚を左折し海岸に出て、波の合間を利用して、波打ち際の岩の間や浅瀬を通る道である。まさに親知らず子知らずの難所であった。それで作られたのが中道で、一番ポピュラーな、これから登る道。上道は、一番最後に作られたが、現在では消失している。難所と聞いていたので覚悟して登ったが、案外楽ちんで登れた。軽トラも登ってきた。 薩埵峠切り絵図 14:40 |
●薩埵峠山之神遺跡
駐車場がある場所で、ここまで車で来ることができる。トイレもある。昔山の神が祀られていた所。眺めのいい所で海の向こうは伊豆半島。
●薩埵峠碑
道標の脇を階段で下り、又登りして先に進むと、峠の碑が立っている。アベックが一組いたので、じゃましないように写真を撮ったらすぐ通り過ぎるようにした。15:15 |
■薩埵峠~興津
●薩埵峠の展望
ここが安藤広重が浮世絵に描いたと思われる。東海道五十三次・由井宿の場面。東名高速道路とJR東海道線は、ここから薩埵峠のトンネルに入るところである。天気がいいと一番奥には富士山が見えるが今日は見えず。
●現在の峠登口(興津側)
下り終えると墓地にでてしまう。ここが興津側の登り口となっている。このあたりは整備が終わったらしく事前の知識とはだいぶ違っている。中道はぐるっと弧を描いているはずが真っ直ぐの坂道になっている。このまま坂道を下り、左折してJRの踏切を渡り、興津川を渡る。川の手前で旧道はかなりとぎれている。ここで本日の宿、駿河健康ランドに到着した。16:30 |
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