東  海  道







 TOP
日 本 橋    
品川宿
川崎宿
3 神奈川宿
保土ヶ谷宿
戸塚宿
藤沢宿
平塚宿
大磯宿
小田原宿
10 箱根宿
11三島宿
12沼津宿
13原 宿
14吉原宿
15蒲原宿
16由比l宿
17興津宿
18江尻宿
19府中宿
20丸子宿
21岡部宿
22藤枝宿
23島田宿
24金谷宿
25日坂宿
26掛川宿
27袋井宿
28見付宿
29浜松宿
30舞阪宿
31新居宿
32白須賀宿
33二川宿
34吉田宿
35御油宿
36赤坂宿
37藤川宿
38岡崎宿
39知立宿
40鳴海宿
41宮 宿
42桑名宿
43四日市宿
44石薬師宿
45庄野宿
46亀山宿
47関 宿
48坂下宿
49土山宿
50水口宿
51石部宿
52草津宿
53大津宿
  京都三条
(京街道) 
  山科追分
54伏見宿
55淀  宿
56枚方宿
57守口宿
  大  阪
 
 22 藤枝宿から島田宿へ  歩行地図
 藤枝宿-本町-蓮華寺-勝草橋-瀬戸新屋-一里山-御仮屋-島田  10.6km

22 藤枝宿
宿場であると同時に。歴代の城主が江戸幕府の要職を勤めた田中城の城下町として、徳川家康は田中城で鯛の天ぷらを食べ、それが原因で死んだと伝えられています。また塩の産地であった 相良に至る田沼(塩街道)街道への分岐点として、最盛期には旅籠が37軒あり、商業地としても栄えた。
本陣2 脇本陣0 旅籠37

 2007年11月30日の続き  14:25
■成田山~本町
 藤枝宿は水守交差点から旧道に入ってしばらく歩いた所から始まる。木戸跡には「史跡木戸跡」の碑もあると聞いていたが見逃したようだ。右手に●藤枝成田山がある。千葉の成田山の分身を勧請して建立された寺だという。
●藤枝の町並み
 宿は九町に渡り続いていた。このあたりはまだ商店も少なく、人通りもあまりない。ここで雨が少し落ちてきた。宿絵図を見る

 ■本町~勝草橋
宿場に戻って先に進むと●「本町」と呼ばれるアーケード付の賑やかな商店街に変わり、その先は「蓮華寺商店街」と名を変える。、ここが宿の中心と思う。平日なのにシャッターが降りている。
●蓮華寺 14:50
  熊谷次郎直実ゆかりのお寺。直実が出家をして蓮生法師となり、藤枝の長者の帰依を受けて開いたお寺である。また親鸞上人が東国への修行の途中でしばらく逗留したとも言われる この寺の近くには「蓮華寺池」と呼ばれる池がある。

 ●大慶寺 15:00
 藤枝中央の商店街に入るとすぐ左手に「大慶寺」という寺がある。●日蓮上人久遠の松で有名。・・・・今を去る七百余年前、鎌倉時代建長五年初春、(1253年) 日蓮聖人が京都比叡山へ遊学の折、往復お立寄りになって、道圓・妙圓の夫婦を説法教化され、題目のご本尊と毘沙門天王を授與され、記念に一本の松をお手植えされました。この松は「久遠の松」と命名されました。道圓・妙圓の名は、聖人より授けられた法号で、後年、夫婦は自宅に法華堂を建立して、当山の基を開きました。・・・・案内看板より

●正定寺  15:10
 瀬戸谷川を渡る手前の右側に入ったところに正定寺がある。ここは藤枝宿の西木戸の近くに当たる。境内の右手に笠状に枝を張った●「本願の松」がある。江戸時代の享保15年(1730年)に田中城主土岐丹後守頼稔が植えたものと伝えられている。丹後守は境内の弁天堂に祭られている弁財天の信仰が篤く、大阪城代に登用されるにあたり報恩謝徳のために植えたもの。

■勝草橋~瀬戸新屋
 雨がかなり降ってきた。今日は島田まで行かないといけないので少し早足にしないと。
●勝草橋  15:15
 宿を出ると「瀬戸川」を渡る。当時の瀬戸川は徒歩渡しが行われていて川会所もあったという。 今は上流にダムでもできているのか、●見事に水が流れておらず一面砂利ばっかし。広重は「行書版」で旅人を背負って徒歩渡している絵を残している。

 橋の向こうに一里塚碑があった。 ここにあった一里塚は「●志田の一里塚」と呼ばれていた。脇に秋葉神社の常夜燈も立っている。
 ●「青木交差点」に出るが、この青木交差点を左真横に入って行くとJR藤枝駅で、旧東海道のほうはこの交差点からまっすぐ進み、人通りの少ない裏道を行くが、県道を横切った辺りからは松並木跡も残っていて、旧道らしさが感じられる

 ■瀬戸新屋~一里山
地名は瀬戸新屋と変わる。ここは田中藩領と掛川藩領が入り組む特異な村で、藩境に境界を示す榜示石を立てた。●「従是東田中領」と書かれていた記念碑が立っている。藤枝には傍示石があちこち立てられている。鬼島にも上青島にも傍示石があった。
●鏡池堂の六地蔵尊  15:45
 その先の六地蔵。案内板がずらずらと長く、要約が難しい。・・・・・・六地蔵は近在の名所として東海道筋の由緒ある歴史の地として広く知られている所である。神龍が棲む鏡ヶ池から出現したので、鏡池堂六地蔵尊と称する。また六地蔵の本像は知証大師の自作とされ、三十糎ばかりの金色に彩色した木仏である。さらに鏡池堂の額は儒学の人渡辺崋山の揮毫であると伝えられている・・・・・というので外の像はレプリカのようなもの

●東海道追分
 大井川」の氾濫で、この辺まで水害が及んでいたので、少しでも高い場所を通るように、古東海道は右側に曲がり、北側に続く山の尾根づたいを歩いていた。今歩いている東海道が真っ直ぐ進むようになったのは後のこと。
 旧東海道を先へ進むと右手にゴルフ練習場が見え、●「瀬戸の石塔群」があって庚申塔や古墳群、道祖神、石碑群などがまとめられて見られる。

●染飯の茶屋跡  16:00
 道右手に「染飯茶屋蹟」の石柱が立っている。。染飯とはくちなしで強飯を染め、すりつぶして小判形にし、乾燥させた携帯食のようなもの。 向かいには「瀬戸の染飯版木」の標柱も立っている。版木とは染飯の包装に使われていた包装紙を印刷していた版木のこと。
●一里山交差点
 上青島に入って旧東海道は松並木の名残の中を進む。手前に「上青島一里塚趾」の石碑が立つ。暗くなってきたし、雨が強いので先を急ぐ。

 ■一里山~島田
国道を進み、●JR六合駅前で旧東海道は右折している。すぐまた国道と合流して、御仮屋交差点で国道と別れ、旧道は真っ直ぐ行くと島田の宿へ入る。途中おっちゃんに「どこいく~」と聞かれ、「島田駅まで~」、「あと3キロ~」、「ありがと--」などと会話などして、暗いので写真も撮れず、吹っ飛ぶように3キロを30分ほどでこなす。島田の町は街灯が少なく真っ暗である。
 本日静岡から30キロを越えたけど、少々欲張りすぎた。4時半くらいには暗くなり、写真が撮れない。明日は少し戻ってから先へ進まないといけない。明日は袋井までで30キロを越えるかも。ホテルは駅近くの「島田ホテル」でした。 17:30  本日の行程 34キロ

21岡部宿へ 23島田宿へ