東 海 道
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30 舞阪宿から新居宿へ 歩行地図 |
舞阪松並木-新町-仲町-西町-弁天島-向島-新居 6.6km |
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30舞阪宿
舞阪は江戸から数えて30番目の宿である。東海道の陸路は一度ここで切れて、新居宿まで海上1里半を船で渡ることになる。浜名湖は明応7年(1498)の大地震でやその後の洪水などで、浜名湖と遠州灘が繋がってしまい(今切という)。以後旅人はすべて舞坂から船でここを渡った。舞阪宿は宿場としては小規模なものだったが、浜名湖今切の東側に位置していたため、交通政策上は重要視された宿場であった。
本陣 2 脇本陣 1 旅籠 28 |
■舞阪~宿入口
●舞阪の松並木
江戸時代から続く松並木は全長700mにわたり大小400本程の松が保存されています・・・というのだけど、明治時代の写真を見ると、箱根などはもっと鬱蒼として、巨木であったりするので、現代の再現されたものであろうと思います。それにここまで整備するのなら、当然真ん中は車道ではなく歩行者用とすべきではないかなと感じます。 |
左側(南側)の並木は●東海道53次の各宿場の銅板が 設置されている。しかしこの銅板は緑青が吹いて、絵も文字も見づらくなっている。ここはタイル絵などの方が良かったかなと思う。
右側の松の木に間には、●十二支の石像が ね、うし、とら・・・の順に並んでいる。写真は「申の刻」の像で午後3時から5時を示す。14:50 |
●浪小僧伝説
松並木が終わる先に、子供の像が立っている。舞阪には面白い伝説がある。ある日、網にかかった小僧を殺そうとすると、命を助けてくれたら海が荒れたり太鼓をたたいてお知らせします」と言うので、海にもどしてやりました。その後海が荒れたりすると、波間から太鼓の音が聞こえるとか・・・・・
●見付石垣
宿の東外れに位置している。宿の見張り台で大名行列が通る際には六尺棒を持った番人が立ち人馬の通行を見張った場所。15:10 |
■宿入口~浜名湖岸
●新町常夜燈
手前に秋葉常夜灯と奥に江戸日本橋より67里の●舞阪一里塚跡碑がある。常夜灯の正面には秋葉大権現、西面に津嶋牛頭天王、南面が両皇大神宮が彫られている。江戸時代、舞阪宿はよく火災に見舞われ、特に1809(文化6)年には宿の大半を焼く大火で、復興に難儀をしている。それで人々の火防の願いをこめて建立された。
宿内には浜名湖らしく●魚屋さんが多い。言うまでもなくウナギが名物。 15:30 |
宿の中程、左手に入った所に建つ●岐佐神社は延喜式に記載のある千年以上の歴史を持つ。祭神は「蚶貝比売(きさがいひめ)命」「蛤貝(うむがい)比売命で、貝の神様です。ここには●赤石伝説というのがある。・・・古事記で大国主命と恋争いに敗れた兄たちが真っ赤に焼けた大石を落として命に大やけどをおわせ、殺してしまう。そのときの大石にちなむというから面白い。結局。この時命を救ったのが、この二神で貝殻を割って作った液体を命に塗ると、やけどがすっかり直り、大国主命が蘇生したという。古事記の物語がこんな場所に出てくるとは思わなかった。案内板を読む |
●本陣跡
宿に戻って右手に標柱が残るだけであった。伝左衛門本陣と徳右衛門本陣の2軒があった。舞阪宿は対面の脇本陣の方が有名.
●脇本陣・「茗荷屋」
天保9年(1838)建築の旧脇本陣「茗荷屋」の上段の間があった書院棟が残されていて、この貴重な脇本陣を後世に伝えようと、建物を復元したもの。旧東海道では唯一の脇本陣の遺構です。明治時代は町役場に使われたりしたこともある。現在無料公開されている。 15:40 |
●西町の常夜燈
文化6年(1809年)に舞阪宿の大半を焼く火災があり、復興に大変難儀をし、秋葉信仰の高まりとともに、復興を願って建てられたもの。常夜燈を過ぎると、浜名湖にぶつかる。今切の渡しである。
●北雁木
浜名湖渡船の舞坂側の渡船場跡です。雁木とは階段状になっている船着場のことをいうが、地元では「がんげ」といっています。この北雁木は主に大名や幕府公用役人が利用したところで、往還から幅10間の石畳が水際まで敷きつめられています。15:45 |
■浜名湖~新居
●弁天橋を通って弁天島へ向かいます。元来渡船によるので、橋を渡っても意味がないが、しかたがない。途中左手に●「弁天神社」がある。この神社には天女が舞い降りたという伝説がある。昔弁天島は砂洲が新居の橋本まで続き、白州青松「天の橋立」のような風景が広がっていた。しかし明応の大地震の際大石ケ崎の先端が切れて島になってしまった。神社は宝永6年(1709)に今切の渡し船の安全を祈って建てられた。 |
新居へ行って、電車で弁天島へ戻り、ホテル「白砂亭」の部屋から見た風景です。手前の鳥居は弁天神社の鳥居だと、当然思ったけど、鳥居型の●「浜名湖観光タワー」というのだそうで、町の補助金の関係で鳥居とは言えなかったらしい。まさか--という感じ。 向こう側には今切口が見えている。その上に掛かるのが浜名大橋。相当高さがある。新居側へは、JRと西浜名橋の間に●歩道橋が付いており歩いて渡れる。例によってあんまり下の海上は覗けなかった。(高所恐怖症なので) |
●弁天島
右側はJR東海道線、新幹線、左側はホテルやリゾートマンション、レストランなどが並んでいて、そこを中浜名橋、西浜名橋と渡って、新居の町に入った。途中は倒産した店などもあり、いささか寂しげである。道は結構広く、湖面も見えないので、湖の上を歩いている感じは全くしない。結構長く歩いて、くたびれて、●新居本町駅に着いた。宿泊は1駅戻った弁天島駅前の「白砂亭」。このホテルは1人で泊まると夕食がつかず、レストランでも食べられず、あたりに食堂がない。新弁天まで行って、うなぎを食べたけど高くついた。 16:30 |
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