東 海 道
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37 藤川宿から岡崎宿へ 歩行地図 |
市場町-藤川本陣後-藤川町西-美合新町-大平町-岡崎インター西-岡崎若宮町 約7.3㎞) |
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37藤川宿
慶長6年(1601)に東海道37番目の宿場として定められた。隣の城下町岡崎と手前の遊興宿として有名だった御油、赤坂と、挟まれてかなり地味な存在の宿場だではあった。
しかし塩の道「吉良街道」に通じる交通の要衝でもあり、大名の通行も多く賑わっていた。ここも東海道線の通過地とならず、寂れて行く。
本陣1、脇本陣1、旅籠屋36 |
2008年8月2日赤坂宿からの続き。 11:00
■市場町~藤川小
●藤川宿棒鼻
棒鼻とは、新居宿でも見たが、大名行列が宿場へ入るとき先頭を棒先で整えた場所ということで、宿の入口を指す。広重の「藤川宿」はこの棒鼻風景を描き、現在は多少それらの雰囲気が復元されている。藤川宿は東の棒鼻跡の先で曲尺手に曲がって宿内へ入る。説明板
●町並み
宿内の家並みは,旧家も散見され、少し旧東海道の面影が残っている。ここもあまり人通もほとんどなくて、活気は感じられななかった。 |
●旧家
二階建ての格子窓がある家などが 街道の両側に散見される。「つる屋」「米屋」「銭屋」などの昔の屋号を掲げた店もある。●「銭屋」(右側)は格子戸で大屋根が前に出て雨水が下の溝へ落ちるようになっていたといわれていて、庇の両側に「軒うだつ」がある。「つるや」は藤川宿にあった7軒の大宿のうちで、原型をとどめていた唯一の建物といわれていたが、壊されてしまった。昔の写真 |
●本陣跡
本陣の建物などは残っていないが、当時本陣で使われていた石垣跡がわずかに残っている。 江戸時代後期は「森川家」が務めた。現在は「藤川宿代2資料館」として利用されているとあったが、鍵が閉まっていた。
●脇本陣(藤川宿資料館)
また、この本陣跡の隣は元脇本陣だった「橘屋」のあった所で、現在は小さな「資料館」として利用されている。門は残念ながら、工事車両が止まっていて撮れなかった。建物は当時の建物ではないそうです。館内に宿の模型、資料が展示されている。庭に宿マップも掛けてある。 11:20 |
■藤川小~藤川松並木
宿も終わりごろになり、少し歩いた先の藤川小学校前に●「西棒鼻跡」の小公園がある。「従是東藤川宿 東海道五十三次之内」と書かれた木柱が立っている。片側だけだが棒鼻の石垣も再現されていた。左隣に●歌川豊広の歌碑が建っている。
藤川の 宿の棒鼻 みわたせば 杉のしるしと うで蛸のあし
このような山地でゆでた「たこの足」とは面白いがこれはこの先の「吉良道」から持ってきたもので藤川の名物だったそうだ。 11:30 |
西棒鼻跡で宿を出ると、すぐ左手は●「十王堂」になっている。十王とは瞑府で死者を裁くとされる10人の王様たちのことで、 死んだ人はこの王によって「黄泉の国」で次々に裁かれてゆくと言われ元々初七日、四七日などの行事は十王の裁く日を表わしている。中の様子を撮ってみた。隣には●「芭蕉句碑」もある。 これは名物「むらさき麦」を詠んだもの。この先に看板が立ち、一里塚跡を示す標識で、ここには「藤川の一里塚」と呼ばれていた |
●旧道をしばらく歩いて行くと、やがて名鉄の踏切が見えて来るが、踏切手前で旧道と分かれる道路の分岐点には●「吉良の道標」がある。 この道標は「吉良道」を示しているもので、 吉良とはあの忠臣蔵で有名な「吉良上野介」の領地だった場所のこと。江戸時代この道を通って大名行列や、茶壺道中、海産物や塩が運び込まれてきた重要な街道であった。 11:45 |
■松並木~大平
●藤川の「松並木
踏切を越えると、先には見事な「松並木」が見られるようになる。ここの松並木は「藤川の松並木」と呼ばれていて、およそ一キロほども残り、保存状態もなかなか良い。岡崎市の指定文化財になっている。
旧道はやがて国道に合流する。 国道を約10分くらい歩くと再び国道から左手へ残っているので入っていく。坂下橋を渡ると交差点角に「東海道モニュメント」が造られている。交差点の先は●「美合新町」というが、こにも松並木があるのけど、ここの松はまばらに立っているだけ。 12:05 |
旧道をずーっと行って、乙川を渡る。ここ旧道の橋は無くなっていて、右手にある国道の橋を渡って対岸に出るしかない。 対岸に渡り、旧道へ回り「水神社」を見る。、国道を横断して、大平地区に入ると、大岡越前の●陣屋跡が残っている。大岡越前は奉行をやめた後、1万石の大名に出世している。 説明板 旧道を先に進むとやがて左手に一里塚跡が見えてくるが、ここの一里塚跡は●「大平の一里塚」と呼ばれていた。日本橋から80番目のもの。 13:25 |
■大平~岡崎
大平を出ると●国道1号に合流する。 右折していく先はインターチェンジが作られ旧東海道は一変してしまい、ごちゃごちゃになってしまった。昔の道筋をたどることは不可能なので、まず右手に見えるホテル五万石の前を通り地下道をくぐる。 地下道を出て歩道を歩くと、また国道に出て、●公園脇を通過して、「岡崎西」交差点で高架橋を潜り、その先には国道の裏道として残っている旧道部分がわずかに残っている。 |
裏道に入っていくと、右手に●法光寺がある。そのまま進むと、突き当たって左手の三角地帯に、真新しい●冠木門と岡崎二十七曲の碑があった。
ここから岡崎城下に入っていくこととなる。14:05
次の岡崎宿に続く。
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