中 山 道
|
|
18軽井沢宿から沓掛宿へ 歩行地図 |
旧軽井沢-六本辻-離山交差点-中軽井沢 4.5 km |
|
18軽井沢宿
中山道第18番目の宿で、二手橋から旧軽井沢と呼ばれるまであたりが該当する。中山道有数の難所であった碓氷峠の西の入口にあたり、六十九次で最も栄えた宿場であった。しかし国道の開通、信越線の開通などで宿は寂れだしてたが、その後明治19年以降、ショー氏が避暑に使い出してから、多くの外国人が滞在する街として、変貌を遂げた。現在宿場町の面影を残すものはほとんど残っていない。
本陣1 脇本陣4 旅籠21 |
2008年7月5日、
新幹線で軽井沢駅、朝8時11分到着した。昨年11月に碓氷峠を越えてから半年ぶり。しかしその間、日光街道と、甲州街道を歩いておいた。今日からは2泊3日の予定で、交通の便が悪いのでなんとしても、下諏訪まで行く必要がある。和田宿から中山道最大の難所、標高1600mもある「和田峠」を越える。望月宿と和田宿に泊まる予定だ。軽井沢から下諏訪まで宿間が短く、宿の数も多いので、大きな写真を使っておこうと思う。 |
早速前回の分岐点、旧軽井沢交差点へ、ここは時間節約のため、タクシーで行くことにした。旧宿場は二手橋からこの交差点ぐらいが該当する。まだシーズン前で人出もなかったので、軽井沢の恩人、ショー氏に敬意を表し、前回の写真を使っておく。旧軽の写真も前回の物。本陣も、一里塚も残っていない。昔の茶店、「つるや旅館」も夕方の写真しかないのでHPだけ紹介しておく。http://www.tsuruyaryokan.jp/ |
■旧軽井沢~国道18号
旧軽井沢のロータリーを中軽井沢方面に向かって歩く。ここまでが旧宿場であった。これから西南方向へ歩くが、離山通りといって、これが旧中山道です。車の流れもあまり多くなく、林も続いているので気持ちよく歩きやすい。左右はほとんどが別荘地で、シーズン前でさすがに人のいる気配はあまりない。ただ雑草が生えていて、手入れが大変かなと思う。
8:40 |
3本の道が交差する「六本辻」を過ぎ、この交差点は,6本も道路が交差するのにもかかわらず信号機が無い。ま、今の季節車はあまり通らないけど。ここから左折するとJR軽井沢駅へつながる。早稲田のグランドに来ると学生のランニングのかけ声が聞こえた。軽井a沢東部小学校の前に●「離山登山道東口」の標識があり、登山道が開いている。 |
離山をバックに●「ホテルロンギングハウス」は、いかにも軽井沢らしい風景。奥に見える離山はお椀を伏せたような山で、標高は1256mある。浅間山の寄生火山の一つという。和宮の通行の際は「離」の字をきらって、「子持山」に改名させられた。その先の右手には、街道にあったと思われる庚申塔や野仏がまとめられている。
9:00 |
a ■国道18号から中軽井沢
離山交差点で国道に合流して、本来は国道を横切って直進していたが、現在は道が消滅しているので、右折してその先の軽井沢中学校前交差点で国道を渡り,線路を越える。その前に、国道右手に●「市村資料館」がある。ここは近衛文麿の別荘だった所。越えると「おらが」という和菓子屋さんがあり、すぐ右に入る道があるので曲がって行く。9:22 |
右折した道が旧道です。車も通らないような、国道の脇道になっている。静かな住宅街で,浅間山の噴火石で積んだと思われるような、石垣になっている住宅が結構多い。歩いていくと突き当たりに浅間山が見えてくる。あまりくっきりとは見えなかったけれど、昔もこのように見えたのではないか。
9:30 |
小さな川を渡ると,しなの鉄道、「中軽井沢駅」の裏手に出ることになる。ここから再び今の国道に戻るのが旧道ルートだが、江戸時代初期の中山道はちょうど今の駅裏辺りを通っていたといわれ、その証拠が駅裏に見られる●「宮之前一里塚」だという。現在は石碑が残るのみ。国道に出ると、国道右手奥に「長倉神社」が見えてくるが、次の「沓掛宿」の入り口になる。沓掛宿に続く |
|