日本橋~内藤新宿  歩行地 図はこちら
 日本橋-呉服橋-和田倉-日比谷-半蔵門-麹町-四谷-四谷4丁目-新宿1丁目   7.5km

2017年6月4日 五街道を再訪して改訂版を作ろうとしていて、今回は甲州街道。
■日本橋~日本橋交差点
 毎度おなじみの●日本橋。甲州街道は東海道と同じく銀座方面へ向い、●日本橋交差点を右折して皇居から四谷を経由し新宿通りへ向かいます。 8:50出発
 交差点を左へ行くと「コレド日本橋」がある。昔は白木屋があった所。            8:55

■日本橋交差点~呉服橋
 二つめ信号は呉服橋交差点。左右に交差するのが外堀通りです。昔は江戸城の外堀があり、呉服橋、一石橋、常盤橋とか、鍛冶橋とか多くの橋が架かっていた。この辺を歩くには「江戸東京重ね地図」(株APP)が役に立って面白い。呉服橋を右に行くと、●一石橋があります。名前の由来は橋の南北両側に後藤氏両家の(金座)後藤庄三郎、(呉服所)後藤縫殿助の屋敷があり、後藤(五斗)のシャレ)と五斗で一石と名づけたという。 隣に●「まよひ子のしるべ石」というのが立っています。子供が迷子になったとき、似顔絵などを貼り付けて情報を集めたという石標。 江戸時代、迷い子を見つけたら、町内で面倒を見たというから、良き時代というべきか、大変な時代と云うべきか微妙なところ。
 一つ先に●常磐橋があり、江戸時代は木橋が架かっていたが、明治に石橋が架橋された。 その先に●江戸城の石組が残っているのだが、補修工事中でありました。   9:15

■呉服橋~和田倉門
 JRのガードをくぐって皇居に向かうのだが、●三菱東京UFJビル辺りから昔の街道は左斜めに和田倉門へ向かっていたようです。現在はビルで進めない。右手には道三堀が和田倉から日本橋へ向かっていたという。当時であれば右手に道三堀が見えていたはず。
 ここは当然ながらそのまま進み、大手町の信号を左折します。 最初に見えるのが和田倉濠で、右手に見える橋が●和田倉橋。木橋で再建されたのだろうけど味わいがある。 ●和田倉門の交差点で行幸通りの広い道路が交差し、左手は東京駅の正面に当たる。その先は●馬場先濠に沿って日比谷へ向かいます。   9:45

■和田倉門~日比谷公園
 左手に●第一生命館があります。、平成になって、DNタワー21として再開発されたが、終戦後、GHQが置かれて、マッカーサーの執務室や 昭和天皇と会見した部屋などはそのまま保存されているようです。
 ●日比谷交差点を右折します。その先は日比谷公園が広がっている。公園に入って見ると石垣が続いており、●心字池がある。「重ね地図」で確認すると、このあたりには日比谷御門があって、石垣は御門の一部であり、池はお堀の跡であることがよくわかる。 公園の中に●仙台藩祖、伊達政宗終焉の地という案内板が立っています。日比谷公園は政宗から三代藩祖綱宗まで仙台藩外桜田上屋敷があった所で、政宗は寛永13年(1636)この地で70歳の生涯を閉じている。  9:55

■日比谷公園~半蔵門
 日比谷公園の先、祝田橋から桜田門へお堀に沿って歩いています。左側は官庁街で江戸時代は大名屋敷が並んでいた所。●警視庁は豊後杵築藩、対面の●旧法務省の レンガ造りの建物は米沢藩などの跡地にあたります。
 お堀の右手奥は●桜田門で、門の外で起こったのが有名な「桜田門外の変」。 
 先に進むと左手は国会議事堂で、憲政会館があるあたりが暗殺された井伊直弼が藩主の彦根藩の屋敷があった所。直弼の駕籠はここから出発し、500m位進んだ所で襲われた訳です。
 三宅坂を過ぎた、半蔵門の手前に「柳の井」の案内板が立って、・・・・桜田壕の土手下に柳の木にちなむ井戸があって名水として知られたという。かたわらに●お堀に下る石段がかすかに見えるので、ここを下りて行けばあるのだろうが、立ち入り禁止でした。 10:17

■半蔵門~西念寺
 井伊家のある前のお堀のあたりは●さいかち河岸と呼ばれていた。坂に沿って、かつてはサイカチという木が茂っていたので「さいかち坂」と呼ばれという。
 右手は●半蔵門。服部半蔵の屋敷があるので名付けられたという。天皇のお住まいに一番近いので警備が厳重で近づけない。
 この前の●半蔵門交差点を左折し、ここから麹町を抜け四谷駅、さらに新宿駅方面へと向かう。 麹町は「麹」を扱う店が多かったとか、「小路(こうじ)」が多かったためとかの説があるが、江戸の始めから職人や問屋、大店などが密集し賑わった町人の通りでした。
 麹町4丁目交差点を右へいった道は急な下り坂で●「善国寺坂」というが、日本テレビのビルがあるので日本テレビ通りと呼ばれている。  10:35

 その先右手に●心法寺がある。千代田区で唯一墓地を持つ寺で、見沼代用水を作った井沢弥惣兵衛の墓があります。
 その先、四谷駅に着いたら、真っ直ぐ進まず、駅前を右折すると石垣が見え、 ここが●四谷見附で大番所があった所。枡形になっていてここを通ることになる。石垣を右に見ながら陸橋を渡ります。橋の下は四谷駅のホーム。陸橋を渡ったら再び左に曲がり 新宿通りへ出る。
 新宿へ向かうがその前に、街道左手に沢山並んでいる寺町があるので寄って行こうと思い、四谷1丁目信号の先を左に入ると●西念寺の塀の所に出た。「四谷霊廟(真性院→)の看板が架かっている。  11:05

■西念寺~愛染院
 このあたりはかっては四谷区寺町、南寺町(現在・新宿区須賀町、若葉町)といって、その名の通りお寺が大変多い。これらの寺院は、寛永11年(1634)に江戸城西丸が全焼した際、外堀の拡張、新設計画に従って、麹町の寺社が四谷に集団移転してきたものといわれる。
 塀の向こうに●西念寺があります。 案内板には・・・「服部半蔵の墓と槍がある。また、徳川家康の長男、松平信康の供養塔もある」・・・と書いてあった。 
 西念寺の西隣は急激な坂で●観音坂という。辺りの寺院はこのような急坂の途中に作られていることが多い。道も狭く、住宅、アパート、ビルが密集し、窮屈な格好で建てられている。あちこち見て回る時間はないので西側の●愛染院だけ訪れておいた。群書類従の編者として名高い盲人国学者の塙保己一と内藤新宿を開設した●高松喜六の墓がある。塙保己一の方はわかりませんでした。11:20

■須賀神社~お岩稲荷・笹寺
 南側の●急な石段を上がると●須賀神社があります。須賀町の名前の由来の元になった神社です。ちょうど例祭の時で出店で大賑わい。また町内毎に出す御神輿が新宿通りに沢山出ていました。
 続いて神社の裏手から回っていくと●お岩神社があります。「四谷怪談」でおどろおどろしい容姿にさせられてしまったお岩様を祀る神社だが、作者の鶴屋南北が全く罪作りなストーリーをでっち上げたたおかげで、世間に伝わるお岩とここに伝わるお岩さんの物語は全く違うので誤解を招いてしまう。この神社の祀る「お岩」は実在の人物で、江戸時代の初期、薄給の夫を助けて一生懸命に働き、評判が高まり、ついには祀られる程崇敬を受けていたのだそうだ。ちなみにお岩様の墓は巣鴨の妙行寺に現存する。また神社の向かいに陽運寺という寺が派手にノボリを立てているのだが、直接の関係はないのだと思います。
 新宿通りで出てちょっと先に行くと●笹寺(長善寺)があります。元は天正3年(1575)甲斐国武田氏の臣高坂弾正昌信の居所に結ばれた草庵を起源といい、二代将軍秀忠が立ち寄った際に笹が繁ったいたことから、笹寺と呼ばれるようになったと伝えられます。
 12:15

 ■笹寺~新宿1丁目
 笹寺を過ぎると正面に御苑トンネルが見え、手前の交差点が●四谷4丁目交差点です。ここに四谷大木戸があった。街道はここを右斜めに進みます。左手に四谷地域センターがあり、水道局の営業所もある。ここは江戸時代の●玉川上水水番所の跡でもあり、大きな●玉川上水の「水道碑記(いしぶみのき)、裏に●四谷大木戸跡碑が立っている。
 地域センターの直ぐ先が●新宿1丁目交差点で左手奥に新宿御苑大木戸門が見える。ここから先がかっての内藤新宿へ入って行きますく。この先・・・というところだけど うっかりしてカメラの電池が無くなってしまい、本日はここで終了というはめに (;。;)・・・ 12:30

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