38石和宿~甲府栁町宿  歩行地 図
 市部本通-小林公園-石和八幡-和戸町-酒折駅-甲府入口  5.0km
38石和宿
石和の地名は多くの川が流れる荒地で、藺(い)が一面生えていたので藺の沢からとか、陽成天皇の時代、見事な栗が献上され石禾(いさわ)の字を賜ったなどの由来がある。また武田武田信玄の父信虎が躑躅ケ崎(つつじがさき)に城を築くまでは、ここ石和が武田氏の本拠地であり甲斐国の政治の中心地でもあった。
本陣1 脇本陣2 旅籠18

 2008年1月20日栗原宿よりの続き 12:50
●市部本通り(石和宿入口
 石和は昭和36年1月、突然大量高温のお湯が湧き出し、新興の温泉地として賑わい始めた。宿としての石和はこの市部本通りへ曲がったあたりから始まる。現在の石和は平成16年10月周辺の町村を併せて笛吹市という市に変わっている。なかなかしゃれた市名だとはおもうけど。市役所は石和に置かれている。電線が地中に埋められてすっきりしている。

●うかい山遠妙寺
 この寺は、謡曲「鵜飼」で知られた寺といわれる(どういう謡曲かは知らないけど)。殺生禁断の石和川で鵜飼をしていた勘作が捕らえられて簀巻にされ岩落という所で沈められた。以来亡霊となって苦しんでいたが日蓮の法力で成仏するという話。指定文化財の仁王門は三間一戸、側面二間楼門重層入母屋造瓦葺で江戸時代末期の建築物。墓地に勘作の墓を納めた鵜飼堂があるというが見なかった。

●八田家書院  13:05
 遠妙寺の北、八田御朱印公園の中の建物は武田家の蔵前奉公で、後に徳川家に属した八田家の書院である。桃山時代末期の様式を残し、御朱印屋敷として県の指定文化財となっている。門は陣屋の表門だったもの。周囲の土塁、外郭も当時の豪族屋敷の面影を伝えている。

 遠妙寺まで戻り、寺からから数分の右側駐車場が「石和本陣跡」で、説明板によると、明治13年の火災で本陣建物が焼失。本陣土蔵だけが焼け残ったのだそうだ。本陣跡の斜め前方に小林公園というのがあり、アラビヤ石油などの社長をつとめた石和町最大の有名人小林中(いたる)の旧邸宅跡である。中ほどに小林中の銅像がでんと立っている。  13:20

 公園入口の右側には翁の文庫倉が「石和町民族文化財展示館」として明治の建築がそのまま残っている。
 また公園の一角には、さすが石和温泉というべきか。「足湯」が設けられている。こんな所に足湯が有るとは喜ぶべきなのだろうけど、歩きの途中では靴をぬぐのもめんどくさく、足がふやけて豆ができそうで、見るだけにしておいた。

●石和八幡神社
 小林公園の斜め前。武田氏の祖・信義の子信光(石和五郎)が建久3年(1192)、鎌倉の鶴岡八幡宮をこの地に勧請して、石和八幡宮として郷の産土神とした。武田家滅亡の折り、織田信長により焼失してしまうが、翌年家康により再興されたといわれる。現在の建物は、安永3年(1774)従来の三棟を一棟にして建立されたもので、拝殿、随神門とも石和町最古の建築物です。・・・と案内板にあるが、本殿は全くなくなっている。調べると平成18年10月に不審火により焼失してしまったとのこと。  13:25

 神社の先で第二平等川を渡るが、実はこれが江戸時代の笛吹川だったのだそうだ。冬場は橋で夏場は舟渡しであった。川に架かっている橋が甲運橋という。渡ると甲府市に入る。真っ直ぐな国道に沿って歩いていると、面白い建物に出会った。六角形の建物の屋根に大国様が乗っており、何かな思って近づいて確認すると、これがなんとトイレでありました。和風レストランのもの。この後県立青少年センターを通過する。ここは武田信義の5男信光の館跡。

 甲運小学校入口のバス停の所、和戸町の由来の解説がある。和戸町は、平安期この付近を中心として栄えた表門郷(うわとのごう)の遺称である。郷とは奈良時代、50戸を持って編成された行政村落のことであり、古くから存在していたことが解る。あたりには道標らしきものや、例の球形の道祖神も置かれている。道の向側には蔵を持つ古そうな旧家も見られる。

 さらに進み、国道140号線と交差する横根跨線橋南信号交差点を直進する。交差点からすぐの右に、いまどき珍しい二宮金次郎像が学校の中ではなく小さな鳥居の前にどんと立っている。その前面のの県営和戸団地の前で、また面白いものを見た。受水槽の壁に児童画が浮き彫りのように描かれているもの。国道に面していて殺風景な壁なので描いたのだろうけど、アイデアはよいが、カラーだと一層良かった。  14:00

 国道は城東通りとなり、十郎川を渡り、山崎三叉路へやってくる。三叉路の右からの道は、青梅街道で、新宿の追分で分かれた青梅街道がここで合流するわけ。この街道はかなりの難路であったが、前の鶴川の川越人足が旅人をゆするので、ここを通る人も多かったといわれる。また、この場所は大きな刑場跡で、日蓮宗の信者だった法悦が建てたと伝えられる南無妙法蓮華経の大きな供養塔が立っています。14:06

 城東通りを西へ進み、出光のガソリンスタンド付近で右へ分岐する道の三角地帯に「日本武尊御舊蹟」、他面に「酒折宮」と刻まれた石碑が立っている。酒折宮への参道と思うけどJRで分断されてしまっている。・・と考えたのだが、後で調べると、酒折宮へは半丁(約50m)回り道して参拝してくださいという道標なんだそうだ。
 その先左側は箱根駅伝で一躍有名になった、「山梨学院大学」の校門。駅伝も留学生でもっているように思うけど、最近はあまり振るわないような感じ。ちなみに私はW大OBなので今年は気分が良い。
●酒折宮
 ここで街道から少し寄り道をしていくこととした。JRを渡ると酒折宮がある。起源は古く、日本武尊が東征の帰途ここに立ち寄り、「にひばりつくばをすぎていくよかねつる」と問うと、土地の翁が「かがなべて夜にはここのよ日にはとをかを」と答えたので尊は褒めた。それが連歌の始めで、連歌発祥の地とされている。また酒折は九筋(くすじ)という9つの古道の起点だといわれています。宮から善光寺へ回ります。14:25

●甲斐の善光寺
 信玄が川中島合戦の折り、寺が戦火に焼かれるのを恐れて本尊以下諸仏をここに移して善光寺と称した(永禄8年 1565)。その後本尊は長野に戻されたが、今の本尊も建久6年(1195)の銘を持つ阿弥陀三尊で国の重文である。規模においてとても長野には及ばないが、風格のある朱塗りの山門、本堂とも国の重文。どちらも明和・寛政年間(18世紀末)に再建されたものである。14:40

 善光寺の参道を南下して、街道に戻ります。甲州街道は、甲府宿に入る手前で枡形になります。身延線のガードをくぐった先で左に折れ、こんどは右に直角に折れて進みます。本日は実際はこの先甲府駅まで進み、写真も撮ったのですが、次回甲府宿の方で紹介します。
 本日の行程は甲府駅着15:50 22km程でした。いつもよりは短かった

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