25駒橋宿~大月宿   歩行地 図
 駒橋宿-高月橋交差点-さつき通-大月駅-大月宿 1.8km

25駒橋宿
 本陣も脇本陣も無く、旅籠数軒だけの小さな宿場であった。現在は国道から外れたおかげで、古い家並を残し、旧観を留めた静かな佇まいを見せている。旧道はJRや畑などで分断されており、歩くことができない。
 旅籠4

2007.7.29の続き
 国道から右へ旧道へ入る。通りには旧家風の建物もいくつか残るようではあるが、宿場の面影はほとんどないと思う。
■厄王大権現
 由来はよくわからないが、改修記念に大月市長の名前が出ているので、由緒正しい神社かもしれない。拝殿脇には大月空襲の犠牲者の慰霊碑もある。

■旅籠風旧家
「橿屋と門柱にある。ここら辺から旧道は斜めに大月駅方面へ向かっているはずなのだけど、それらしき道は失われている。しょうがないので、高月橋入口まで国道を進む。ちょうど大月へ曲がる交差点に鎮座している。
■三島大明神 11:15
創建1200年を迎える由緒ある神社で、大月総鎮守となっている。伊予国大三島の大山祗神社を大同元(808)年勧請したと伝えられる。かつて境内に欅の巨木があり、これが大槻と呼ばれていたことから大月の名が起こったと言う。

■岩殿山
 JR跨線橋から撮ったもの。標高634m。「武田臣・小山田備中守信有により築城された城があった。武田勝頼は最後に岩殿城の小山田信茂を頼ったが、信茂に裏切られ滅亡へと進む。という歴史がある。跨線橋の脇を左折し、ブロック舗装のさつき通り商店街を通る。日曜の為だけだろうか、シャッターが下りてる店が多い。大月郵便局前を通り過ぎ、右手にJR大月駅を見て直進して道なりに進み、国道に出て右折する。この辺りから大月宿の始まりといわれる。

26大月宿
 現在は大月市人口3万程度の特急が停車する市であるが、本陣、脇本陣の外、旅籠も二軒だけという寂しい宿場で、寛文の頃(1661~)駒橋と分かれた宿であった。
本陣1 脇本陣2 旅籠2
大月宿-追分-大月東中-一里塚-花咲宿  1.4km

■明治天皇お召換所跡碑 11:50
  左側に大月市役所があり、その先左側の「明治天皇御召換所阯」碑があるところが本陣跡となる。この先200mで宿は終わるそうだ。
■富士道追分
 大月橋のたもとを左折する道は国道139号線で昔は「冨士参詣道」という。富士山参詣道は、大月宿が起点となる。橋の左側の小さな広場には道標や常夜燈が立っていて、 右 甲州道、左 富士山道などと刻まれている。かつての甲州街道は右折して川岸へ降り、下流の笹子川の合流点に近いところで橋を渡ったという。現在は道がないので、天皇碑まで戻って、JR線を越し大月東中の前を進む。

■一里塚 12:20
  道は国道と合流して、しばらく進み、スーパー公正屋の前に一里塚跡がある。一里塚という雰囲気は全くなくて、庚申塔やらとか芭蕉の句碑とかが立っている。

7.28花咲宿
 下花咲宿と上花咲宿の二宿で構成される。宿間は五町五十八間、600m程しかない。
下花咲宿             上花咲宿
本陣1 脇本陣2 旅籠22   本陣1 脇本陣2 旅籠13   
花咲宿-真木-源氏橋-初狩鉱業所-初狩宿  3.8km

■本陣星野家
 重要文化財の星野家住宅があり、前に「明治天皇花咲御小休所」と「本陣」の石碑が並んでいる。星野家は本陣、庄屋、問屋をつとめた旧家で、現在の建物は1836年(天保6)に焼失したものをその後忠実に再建したもの。中を見学できる所、訪れたときは12時半過ぎで、13時30分までお昼休みということで開いておらず入れなかった。小原宿本陣も時間が合わず入れなかったし、つくづく運が悪い■稲村神社
 本陣を通り過ぎたら、大工風おじさんに出会い、連れてこられたのが近くの神社で、星野家に関係ある神社らしい。祭神は木花咲耶姫。改修中でオール銅葺きのきれいな屋根であった。

 さらに進み大月インターを過ぎ、上花咲宿のに入り上花咲のバス停の所には新しい倉が建っている。本陣はこのあたりと思われたが、よくわからなかった。ここから延々と国道を歩くのだけど、歩道が付いていない場所もあり、危険を感じる場所があった。途中で左に折れJRの向こう側が本来の甲州街道であるらしいが、行けないので国道をこのまま進む。
■源氏橋  13:40
 JRを越える橋が源氏橋で渡ると、本来の街道が見えてくるので多少ともにこだわって、旧道へ行くことにする。渡った突き当たりは甲府採石初狩鉱業所の門で立ち入り禁止の看板が出ていて、ビビルけど門前から右折していく道がある。 

■旧甲州街道
 線路に沿って進む道。砂利道で人があまり通らず、正しい道を歩いているのか多少不安を感じる。歩いていくと鉱業所のベルトコンベヤーが並んでいる場所に出る。進んでいいものか不安になるが、看板の下に旧甲州街道の表示がテープで貼られていて、間違いないと思いながらそろそろと進んだ。

■旧道へ続く
 鉱業所の中を遠慮しつつ進むと、旧道のような一般道が見え、少し安心して歩いていく。やがてJR中央線、第七甲州街道踏切を渡り国道へとへと進みます。しかしここの場所はベルトコンベヤーが頭上を渡っているし、立ち入り禁止の看板は出ているしで、公道なのか、鉱業所の所有なのかどうなのかよくわからない。案内表示がテープだけでは不安。

■聖護院道興歌碑 14:10
 線路を渡ってすぐ右側にある。・・・今はとてかすみを分けてかえるさにおぼつかなしやはつかりの里・・・とあり、道興は関白「近衛房嗣」の子で、天台宗寺門派修験宗(山伏)の総本山聖護院の座主を務めた。諸国を行脚し「回国雑記」に記している。碑は文化三年(1806年)の建立になるもの。
■国道合流点 14:20
 国道に合流し初狩宿に入って行く。

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